687話 天啓 07
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兄は、普通のサラリーマンだった。
さほど名の知られていない会社に勤め、結婚し、ローンで家を建て。
最終的には年齢相応の役職に就いて、一昨年膵臓癌で死んだ。
自ら選んだ道だから、それについて文句を付ける気は無い。
確かに自分は兄の身代わりのように、《家業》を継ぎはしたが。
諦めではなく、簡単だと高を括っていた訳でもなく。
ただ単純に、カネを稼ぎたかっただけの事。
苦労するのを承知で飛び込んだ世界だ。
予想通り、派手で陰湿な《終わり無き闘争》が待ち構えていた。
───親父の基盤を引き継げば、地元で選挙に勝つのは容易い。
───しかし、その後の道は、何ら用意されていなかった。
誰とも上手く折り合いが付けられなかった親父には、仲間がおらず。
即ち。
息子である自分にも、自動的に座れる席などありゃしない。
政治家というものは。
与党の議員であるだけでは、生き残れない。
偉くなれない。
主流派のどこかに属し、そこのドンに長年仕える。
票集めと意見調整に尽力する。
そうしなければ、生涯一度も大臣職が廻ってこないままで終わりだ。
金だって、思うように稼げない。
いくら議員が一般人より収入があると言っても、その程度では満足出来ない。
本当の『稼ぎ』とは、表舞台に立てる一握りだけが得られるものなのだ。
───自分は、父親のような『干乾びた政治家』になりたくなかった。
───その為には、綿密な計算の上に立ち回る必要があった。
幸いにして、自分には大した《政治理念》が無い。
こうあるべき、こうしたい、という理想や高尚な《御題目》が一つも無い。
それ故に、何をするにしても勝手がきいた。
芋虫のように這いずり、蝙蝠の如く飛び回り。
目立てる場面で映される事だけを意識して、喋りまくる。
どの派閥にも身を置かず。
それでいて、何かあれば頼まれもしないのに『外側』から援護射撃。
その反対だって、幾らでもやった。
たった一人の盟友すら、土壇場で斬り捨てた。
要は、顔と名前が国民に売れれば良いのだ。
一発で耳に残る特徴的な話し方だって、嫌になるほど練習した成果だ。
───そうやって、チョロチョロと目立って。
───長い時間を掛け、《御意見番》のような立場をマスコミに演出させ。
どの派閥も”今はウチから総理を出したくない”、そんな時期を狙い澄まし。
”ハイ!”、と威勢良く挙手した。
”じゃあ、お前が死んでこい”、とばかり、各派から投げやりな票が集まった。
それ以外の方法で総裁選に勝利する事は、絶対に不可能だったろう。
そして。
総理にさえなってしまえば、自分としては目的達成だったのだ。
その後の肉体的、精神的な疲労までは、考えていなかった。
否。
根拠も無く少しだけ、信じていた。
この国の。
日本国民が、これほど迄に愚かだとは、思ってもいなかったのだ。




