686話 天啓 06
私が生きていることを。
こうして、居城から眺めているとも知らず。
彼等は祭壇に見立てた建造物に縋り、叫んでいる。
涙を流して、何度も訴えている。
”何も要らない”。
”あなたがいてくれれば、それでいい”。
”この世に存在してさえくれたら、満たされるのだ”、と。
───ああ。
───なんてそれは、純粋な願いなのだろう。
特別な事が欲しいのではなく。
ただ、そこにあってほしい。
いてほしい。
そういう思いを一つでも、一欠片でも手にしたかったのは。
私を生み出した母である、アニー・メリクセンで。
彼女はもう、いない。
その魂が《苦界》に蘇ることなどないし、あってはならない。
そして、今ここにいる私は。
アニーの優しい部分を集めて作られたとは、聞いているけれど。
当然ながら、それは単なる比較表現。
アニーよりは、というだけの事。
実際のところは『聖母』でも、『迷える者達の導き手』でもないのだ。
あまり多くを期待されても困る。
面倒なだけだ。
でも。
それでも。
”いてほしい”は、嬉しいのよね。
とても。
「───出掛けてくるわ」
「どちらへ」
「無視は出来ないし。
放っておいた結果、《妙なもの》が出現してしまっても面倒でしょう?」
理由の後半部分は、何だか照れ隠しのように聞こえるかもしれないが。
実は真面目に、結構真剣な『懸念事項』だ。
この世界にはすでに、二名の《レンダリア》が存在している。
私という《悪魔レンダリア》と、自称『姉』である悪魔の《レンダリア》が。
そして。
人間の想像力や思いの強さは、計り知れない。
だからこそ、こんな騒ぎになっている
この先に予想外の何かが起きようと、少しも不思議ではないのだ。
局地的な『集団想念』?
まかり間違って、《よく分からないレンダリア》まで追加される?
冗談じゃない。
やってられない。
そいつまで『姉』のようにフニャフニャしたやつだったら、面倒見切れない!
「それならば、レンダリア様。
《祭儀長》である自分も、地上へ赴きましょう」
「駄目よ」
私に、『対で存在する全器官の片側を捧げた』男。
セイジ・ミツガヤ。
優秀な脳外科医だったのにキャリアを捨て、望んで《祭儀長》となったが。
いくら彼の生まれ故郷たる日本でも、そう簡単に連れては行けない。
「私が不在の間、誰が城を管理するの?
ここにはアニーの遺した、未発表作を含む手書きの原稿があるのよ?
居室の掃除だって、《祭儀長》の仕事。
アニーの墓に新しいトマトを供えるのも、貴方に任せている筈よ?」
「・・・これは失言でした。
申し訳ありません、レンダリア様」
「きつい物言いをして、御免なさいね。
今しがたの発言が責任感ゆえだとは、理解しているから」
セイジの、生身のほうの肩に軽く手を置き、フォローしておく。
ドラマ放映中は暴虐、猛悪と呼ばれた私だって、この程度の気遣いは出来る。
自分の信奉者に優しくするのは、別に嫌な事でもない。
尚も騒乱の中で名を叫び続ける、地上の彼等に対しても同じ感情だ。
「お土産くらい、買ってきてあげるわ。
お菓子とか何か、リクエストがあるかしら?」
「それでは・・・レンダリア様も一緒に召し上がれるものを」
「───流石ね、セイジ」
その『望み』は若干の計算を含みはするものの、シンプルで心地良い。
彼は。
戻って来た私が、少しでも長く城に滞在することを願った。
私という存在を求め、”それが全てなのだ”と、言葉に込めていた。
まったく。
日本人が特殊だという話は、どうやら本当らしいわね。




