683話 天啓 03
大きくはないが、腹の底を殴るようなダミ声が、一瞬で雰囲気を変え。
再始動した車のエンジンが、唇を引き結んだ運転手を代弁するように唸る。
「おう、高取よう。
オレが『一般人だったら』ってのは、何だ?
お前、誰にメシ食わせてもらってんだ?ああ?」
「──────」
「皮肉屋気取りで中身の無ぇ事をベラベラ喋んのは、親父譲りか?
そんなだから、会社勤めも出来ずに公園で寝てたんだろが、てめぇは!!」
「あと少しの辛抱ですよ。
もう二月もしたら、貴方の贅沢な肩書きは外されて。
生意気な秘書の後釜を雇う必要すら無くなるでしょう」
「おい!!」
「そこからは、もう。
転げ落ちるように『一般人へ近付いてゆく』と思いますよ?」
「・・・・・・」
ぶひゅーう。
コミカルな鼻息と共に。
前のめりで喚いていた男の背が、ぼすん、と座席へ戻った。
「・・・・・・あー。
やっぱり、そうなっちゃうかなー?」
「なるでしょうね」
ぶひゅー。
「毎度毎度、今みたいな癇癪だかストレス発散だかに付き合わされて。
こちとら、心臓にびっしりと毛が生えましたけどね。
それでも。
”《集会》に参加する”って聞かされた時には、腰が抜けそうになりました」
「・・・いいじゃない、別に」
「良い悪いの問題ではなく、まともじゃないでしょう?
普通、『一般人以外』は行きませんよ。
いつもみたいに、ハァハァして自己処理できないんですか?
ヴァーチャル何たらの、《誰かさん》の動画を見るとかで」
「ちょっと待って。
ポテロンちゃんの悪口を言うのは、許さないよ?」
「言ってないです、全く」
「家内にも秘密だからね?」
「馬鹿馬鹿しくて、告げ口する気が起きませんね」
「・・・高取クン。
ポテロンちゃんは可愛いからさ。
私が応援しなくても、きっと大丈夫なんだよ」
「800万ほど投げて、ようやく正気に戻りましたか」
「別に痛くないよ、そんな金額。
それどころか。
この世にあるものでは満たされないと気付けた、『授業料』だと思ってるし。
いやこれ、本当だよ?」
「──────」
「君だって、つまるところは私と同じじゃないか。
一緒に行こうよ、《集会》」
「駄目ですね。
貴方が逮捕された場合、誰が身元引受人として迎えに行くんです?」
「私、逮捕されちゃうかな?」
「興奮して暴れたら、そうなるかと。
《集会》の詳細はすでに、SNSで拡散してますから。
黙って見ている『桜田門』じゃないでしょう」
「・・・マズイなぁ」
「マズイんですよ。
だから、最初からずっと──────ほら、やっぱりだ」
「ん?」
「車、停めます。
ここからは、歩きで行ってください」
「えーー!
まだ結構、距離あるじゃん」
「次の信号から、警官が立ってます。
職質を喰らわないよう、堂々と自然に抜けてくださいね」
「徒歩で?」
「ええ。徒歩で」
ロックの解除音。
気の抜けた鼻息が、最後の抵抗とばかりに響き。
フードを深く被った男が、後部のドアをゆっくりと押し開いた。
「どうぞ、お気を付けて───総理。
今まで本当に、お世話になりました」
「今生の別れみたいに言うんじゃないよ!」
小声で吐き捨てはしたものの。
パーカーにサングラスの《総理》と呼ばれた男は、渋々と車を降りて。
そこからはもう、振り返らずに雑踏の中を歩き出した。




