681話 天啓 01
【天啓】
「・・・ねえ、何で14号線に入らないのー?」
ライトグリーンの軽車両が走り出してから、約15分。
長らく続いた沈黙を破ったのは、後部座席に座った男。
───年齢の頃は、中年を過ぎて初老の域。
───肩幅や腹回りは十分な貫禄だが、かと言って特別に目立つ体型でもない。
問題があるとすれば、妙にのんびりした喋り方。
そして、やや掠れて甲高い、特徴のある響き。
100人に聴かせたら半分くらいの割合で誰なのか当ててしまう、有名な声だ。
「これでも一応、警戒しているんですよ」
運転席から発せられたのは、事務的ではあれど冷たすぎでもない返答。
「14号はすでに、渋滞情報が出ていますし。
もうしばらく進んで右折して、本郷通りから西新宿へ向かいます」
「ふうーん」
「───『それ』、良く似合ってますね。
どこからどう見ても、完全に『不審者』だ」
「嫌味ったらしいなぁ」
「いやいや、まさかそんな。
変装としては上出来、という事で」
ちらり、とルームミラーを覗いた運転手が、唇の端を歪めて笑うが。
その表情には気付かぬまま、恰幅のある男は、ふん、と鼻を鳴らした。
「君だって、同じようなもんだろうに。
ツナギなんか着ちゃってさ、どこの建築作業員だい?」
「伸びまくったパーカーとサングラスの、あやしい姿で言われたくないですね」
「息子の古着なんだよ。
スーツやゴルフウェアの他には、これしかなくってー」
いじけた口調で後部席の男が、被ったパーカーのフードを下げ直す。
実際、胸にプリントされた金のロゴの半分は、削れて消え失せている。
色落ちもすでに『それっぽさ』を超えて、部屋着にするのも厳しい有様だ。
「・・・・・・」
「──────」
再び無言となる車内。
ことさら大袈裟に鳴り渡る、エンジンの唸り。
それに顔をしかめたパーカーの男からは、ぴゅうぴゅうと耳障りな鼻腔音。
「・・・あのさぁ、高取クン。
この車、揺れるし、うるさいよー」
「格安のレンタカーですからね。公用車と比べたって仕方無いでしょう」
「何で格安なの」
「経費じゃなく、私の財布から払っているからですよ」
「・・・ゴメン」
「──────」
「・・・君、手は大丈夫?」
「鎮痛剤は、あまり効いていませんね。
まあ、痛むのも当然といえば当然ですし」
ウインカーを出した車が、やや減速して右折車線へ。
ハンドルを握る左手には、指先から手首まで分厚く包帯が巻かれている。
「自分でやったのかい?」
「そうするしかないですからね。
───ああ、でも道具が無いんで。
《中谷》のところで借りて、”えいや!”、と」
「うわぁー・・・」
「どんなヘタ打ったんだ、とか。
何処に付けるケジメなんだ、とか。
しつこく聞かれましたが、ダンマリで通しましたよ。
痛くって、それどころじゃなかったですし」
「ええと・・・運転に支障は無いのかい?」
「多少あったからって、他の者に任せるわけにもいかないでしょう?」
そう広くはない空間に、冷房の風は十分行き渡っていたが。
不貞腐れた表情をしてみせる運転手の、痩せた頬から。
幾筋もの軌跡で汗が流れ落ち、その膝上に新たな染みを作った。




