636話 no malice 07
「・・・・・・」
眼前で。
僕の手を握り締めた彼女の皮膚が、ぐずり、と溶け落ちて。
その奥から現れた『天使』が言った。
「ようやく捕まえた。
いやはや、長きに渡る苦労だったな、我ながら」
「・・・・・・」
「───それにしても、想像していた以上だ。
まさか、これほど『傷口』が開いていようとは。
64箇所中の、57箇所?
ここまでくると、もはや全部に等しい《欠陥》だぞ?
まともな部分が残っていないぞ?
それなのに、よくもまあ、人間のような見た目でいられたものだ。
とても珍しい例だな!」
「・・・・・・」
「どうした、ぽかん、と口を開けて固まって。
別に、思考だの神経だのまで《拘束》してはいないぞ?
笑顔で会話するくらいは出来る筈なのだが。
もしかして、機嫌が悪いのか?」
「・・・・・・なんで、だ・・・」
「うん?」
「なんで、さっきの男は死んだ」
強制的に露出させられた、《本体》。
僕の中から、全ての能力が抜け落ちている。
駄目だ。
死ねない。
死んでから生き返ることも出来やしない。
どうやって逃れようにも、その手段が尽く封じ込められている。
自分で言うのも滑稽だが。
タネも仕掛けも丸ごと無くした手品師ですら、今の僕よりはマシだろうよ。
けれど、捕縛されたという現実にはショックを受けながらも。
1つだけ、納得がいかない事が、大きな疑問が残っている。
「どうしてアイツは、本当に死んでみせる必要があった?」
「───ふうむ。
それほど不可解な流れではない、と思うのだが」
「何故だ」
「お前とて最初から、これが罠だと疑う気持ちはあっただろう?」
「当然さ」
「その警戒をどうにか躱して騙すのが、《罠》というものだぞ?」
「・・・・・・」
「すでに終わった事だから、解説くらいはしてやろう。
少しも面白いところが無い、ごく普通の話だが」
得意そうでも、嬉しそうでもなく。
どちらかと言えば面倒気な表情で、『天使』が告げる。
「8年前。
表で転がっている男が此処で、《規格外品》を発見した。
───それは、本当だ」
「・・・・・・」
「男は、どうしてだか対象を『削除』せず。
あろうことか、《削除部隊》にのみ与えられた技術を使って隠蔽。
他の天使の目から、対象を完全に隠し続けた。
───それも、本当の事だ」
「・・・・・・」
「男には、即座に『削除』しなかった理由も。
職務規定に反してまで隠蔽する具体的なメリットも、分からなかった。
弱ってゆく対象を、”自分では助けられない”と。
『対象と同じ世代の暗号』を調べて、《救援要請》を流し。
此処へやって来た別の《規格外品》に助力を求めよう、と画策した。
───それも本当だ。
完全に真実だ」
「じゃあ、どうして、」
「いやいや。
簡単な事だろう、『無法の王』。
───”命を断ちさえすれば、《規格外品》を見逃してやる”。
そう約束した私の言葉だけが、『本当ではなかった』。
ただそれだけの、至極単純なカラクリだぞ?
本当に『分からない』か?」
「その為に、天使が・・・本気で自殺したのか?
させたのか!?」
「勿論、そうだとも。
私からすれば、今こうしてお前が怒る事こそ難解で、不愉快なのだが。
天使の何たるかも知らずに同情したり、おかしな正義感を振りかざすのは、」
「もういい、やめろ!」
「───ふむ」
掴んだ手を離さないまま。
特にこちらへ興味を持っていない、落ち着き払った顔で。
『天使』は溜息をついた。
「───まあ、いい。
私は今回の功績で、特別休暇が貰えるのだが。
お前のほうは、これから色々と大変に違いない。
今の内から興奮したり悩んだりしていると、疲れてしまうぞ?」
「・・・ッ・・・!」
「おっと───そうだ、忘れるところだった。
私の名は、ネイテンスキィ。
ネイテンスキィ・リッド・カーノンだ」
「・・・・・・」
「連れて戻る前に『必ず名乗っておけ』と、上司から釘を刺されていてな。
まったく、どうしてそんな事を指示するのか。
私には理由がさっぱり、『分からない』のだが」
溶けた蝋燭のような、乳白色の塊。
《仲間だったもの》の残骸を体から、空いている手で払い落とし。
天使は、『人間の想像する天使』の如く、優美な笑みを浮かべた。
《同じ世代の仲間》が今しがた、衣服を脱ぐようにあっさりと殺されたのに。
死んだのに。
何故か───《生存反応》は、消失していなかった。




