583話 命を大事に 02
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さて、昼食だ。
逃げ延びた僕達が駆け込んだのは、古めかしい看板のスペイン料理店。
時間が時間だから客は多いが、何とか2人掛けのテーブル席を確保出来た。
どでかいフライパンごと運ばれてきたパエリアは、見事にオーソドックス。
流行りのバレンシア風じゃなく、伝統的な魚介系のやつだ。
けど、ムール貝が多過ぎてイカやエビが見えないな?
本当、何処に入ってんだよ、って感じだけども。
───まあ、いいや。
シンと分けながら食べよう。
あとは、肉だ。
レチャソ・アサード、子羊の骨付き肉!
コレステロールなんざ、気にしたら負け!
大抵の事は、困ってから考えるべし!
「いい食べっぷりだなぁ、マーカス」
「健康診断さえ終われば、こっちのもんだよ」
「あはは。何だか女性みたいな事を言うねー」
「そこは、計量パスしたボクサーに例えてくれ」
こういう、小粋なトークを楽しみながら食事できる相手。
しかも、特務の同僚。
昔じゃ考えられなかったような現在だ。
カトリック万歳、だよな。
バルストにしても、陳さんにしても。
あと、ブレイキン達や、まっちゃんもさ。
僕がカトリックの信仰者でなければ、縁を持つ事はできなかった。
道端で出くわしても、ただすれ違って、それで終わりだったろう。
───そんな人生、想像したくないな。
「ねぇ、これさ。エビを入れ忘れてるんじゃない?」
取り皿に分けたパエリアをスプーンでつつき、シンが首を捻る。
「全然見当たらないんだけど。
メニュー表の写真には、大きく映っていたよね?
尾頭付きのが、5、6匹くらいは」
「ああ、僕もそれが気になってたんだけどな。
今まさに、謎が解けたぞ」
「え?どういうこと?」
「もしかして、『これ』じゃないか?」
そう、確かに。
あるにはあったよ、エビ。
冷凍のシーフードミックスに混じってるような、そういうサイズのが。
「・・・やられたなぁ」
「メシ屋の『あるある』だ。
まあ、味は悪くないから、クレームまでは付けないけどな」
「そこが救いだねぇ」
「あと、僕からも一つ、質問があるんだが」
「うん?」
「───『さっきのやつ』、何だったんだ?」
尋ねたのは、絶体絶命の危機を回避した、シンの交渉に関してだ。
訓練場まで拉致されるか、その場でブチのめされるかという、大ピンチで。
おっさんは脂汗を垂らしながらも、言ったのだ。
”悪いんだけども。
今回は《これ》で、勘弁してくれないかな”───と。
そして、10秒程度の沈黙の後。
壮絶にいやらしい笑みを浮かべたミリアンが、応えた。
”サンキュー。
帰っていいよぉ、今日のところはさぁ!”───と。
「ああ、『あれ』ねぇ」
顔を動かさずに素早く周囲を確認する、シンイチロー。
それから。
「あんまり見せちゃいけないんだけども。
『奥の手の一つ』なんだよ」
「ん?」
英語から日本語に切り替えたって事は。
ここから先は、センシティブな話か?
ざっと見たところ、店内にシン以外のアジア系は居なさそうだ。
耳に入ったところで多分、誰も理解出来ないだろうな、日本語。
『スシ』とか『ラーメン』くらいしか。
「ええとね。
下腹部の少し上あたりに、こう・・・力の源みたいなのがあって」
「《タンデン》の事か?」
「いやあ、君。本当に良く知ってるねぇ!
生まれも育ちも日本です、って言っても、日本人に疑われないレベルだよ?」
「アニメとゲームと、トレカのお陰かな。
『好きこそ、ものの上手なれ』ってやつで」
「いやはや、確かに!
・・・それでね。
『腹が据わる』なんてのも、この丹田に力を落とし込む事なんだけれど。
そういう知識が無くたって、ある程度はみんな、無意識でやってるものでね。
さっき彼女は。
私と《仕合う》のを想定して、そこに力を入れていて。
その重心を、崩してみせたんだよね」
「崩す??」
「うん。
正確には胸部の《中丹田》まで、強制的に『重心を上げさせた』わけ」
「え??
いや、でも───シンとあいつには、距離があったよな?
そういう事って、相手に触れずに出来るのか?
もしかして、《コブジュツ》の《ヒデン》ってやつなのか??」
「まあ、秘伝の範疇ではあるね」
「おおっ!」
やっぱりシンは、マスタークラスなのか!
コウガリュウ・ニンポウとかも使えるのか!?
「古武術というか、古流全般。
いつ頃に誕生したものか、マーカスは知ってるかい?」
「確か、センゴク時代?」
「うんうん。話が早くて、助かるなぁ。
そういう動乱期の、実戦で使われるものだからさ。
現代のように強さのランキングとか、プロモーターが試合を組んだりは無い。
その分、合戦中でなくても、非常に危険なんだよ。
藩のお抱えだろうと、そうでなかろうと、常に他流派から挑まれる。
高名であればあるほど、徹底的に狙われる。
『野仕合い』なんて、生易しいものじゃあないよ。
家族や門下生が人質にとられるのだって、当たり前。
師範が負けでもしたら、次の日にはその噂を全力で流される。
弱ければ、価値が無い。
道場を畳まなきゃいけない。
お互い、そういう覚悟の上で、『闇討ち上等』の縄張り争いをしてるわけ」
「ヤバいな。世紀末か」
「ヤバいんだよ、中世の暗黒時代並に。
家に帰る途中で突然、他流に囲まれる。
そういうのも、ザラにあるわけだよ」
白ワインのグラスで、喉を潤すシン。
いや。
ここは『シン様』と呼ぶべきだろうか。
スペイン料理屋に、ショーチューは置いてなかったよ。
何だか、すまん。
「そんな時にさ。
8人とかで来てる相手を全部倒すとか、論外だ。
戦じゃないんだから、怪我しても命を落としても、見舞金が出ない。
家には年老いた『おとう』と『おっかあ』。
腹を空かせた子供達だって待ってるんだよ」
「ニョーボーにも苦労を掛けてるな」
「そそ。
さあて、どうするか。
とにかく連中の1人2人を転がして、逃げたいんだけども。
向こうだって素人じゃあない。
それなりの心得がある、それなりのレベルが揃ってる。
《当て身》も《投げ》も、単発では決まらない。
襲撃者は全員、腰を落とし、丹田に力を込め。
重心を下げて身構えているからね。
組み合ったりして時間を掛ければ、たちまち押し潰されて殺られる。
だから。
肉体が接触するより前の段階で、《崩しておく》事が必要なんだよ」
「それを、ミリアンにやったのか」
「まあね。
咄嗟に思い付くのは、あれしかなかったし。
いきなり『地に足が付かない』『ふわふわと浮ついた』状態になって。
流石の彼女も驚いたと思うよ?
初見じゃなきゃ、通じなかった可能性が高いけれど」
いやいや。
あの《狂戦者》を退かせるとか、相撲でいう『ダイキンボシ』だよ。
押しも押されぬヴァチカン最高戦力、《一人十字軍》だぞ?
この偉業だけで、枢機卿に任命されてもおかしくないっての。
そんな驚愕の理由で、大切な同僚たる『シン様』を持って行かれたくないが!




