579話 道が途絶えた後に 01
【道が途絶えた後に】
”・・・あっ・・・あ”
”何・・・これ”
”・・・水が・・・『見えない水』が、まわ、りに”
───ええ、そうね。
”・・・呼吸が、できない”
”魔法っ・・・魔法が、使えない??”
───使えないわね。
”毒だ・・・これ、何かの、毒”
”アルカロイド?・・・神経に、作用する??”
───未知を既知で例えたところで、何も解決しないわよ。
”あ・・・熱い!からだ、が!”
”いた、い!苦しいっ!!”
───抵抗せずに、受け入れなさい。
”だっ、誰かっ、助けて!!”
───駄目。
”助けてっ!!お母さん!!”
───助けない。
”痛いっ!!い"た"い"っ!!あ"つ"い"っ!!”
───もっと深く。
”ぎゃあ"あ"あ"あ"っ!!い"た"い"っ、い"た"い"い"〜〜〜っ!!”
”お"か"あ"さ"んっ!!お"か"あ"さ"あ"あ"んっ!!!”
───もっと深く、底まで。
───もっとよ。
・
・
・
・
・
・
・
「───どうしたの、カオル」
「・・・えっ?」
スプーンを持ったまま、ぼうっ、としていた娘が、我に返る。
「え、あ・・・ああ、ごめん。
一昨日、魔法の研究で徹夜しちゃって。
その分、昨日は長めに休んだんだけど。
まだ疲れてるのかなー・・・」
「眠っていたみたいね、瞬間的に」
「うーーん、何だろう?
何か、こうね。凄く気持ち良い夢を見てたような。
そんな気が、するんだけど」
「ふうん」
本人の中でそういう事になっているのなら、別に構わないけれど。
「でもさ。やっぱりお母さんのロールキャベツ、美味しいね!」
フォークが不要な程に煮込んだ私の得意料理を口にし、顔を綻ばせる娘。
きらきらした、頭を撫でてやりたくなるような笑顔。
「久し振りに作ってみた甲斐があったわ」
「お父さんも食べられたら良かったにねー」
娘が言う、『良かった』の意味。
それは、父親ではなく、母親である私のほうに向けられているようだ。
元々ロールキャベツは、仁生 一成の好物。
学生時代には頻繁に振る舞ったものだが、今はほぼ機会が無い。
官庁宿舎に泊まりきりで年に数度しか帰宅しないのだから、作る意味も無い。
それでも娘にとって、これは特別な料理のようだ。
父親が在宅している時だけの。
私がそれを喜び祝う為に作る品目だと、そう認識しているらしい。
私の正体が《人間ではない》と認めながら。
それでも『人間性を備えていてほしい』という、小さな願いである。
───つくづく、不思議な子だ。
私の娘は2人共、まったく手が掛からなかった。
子育ての苦労を感じなかった。
それ故に大した興味が湧かず、執着を持つことも無かったのだが。
”叱ってほしかったのよ”
そう泣かれ叫ばれて、初めて。
この子を、《面倒だ》と。
《愛おしい》と思えた。
───けれども、ここからが難しい。
長女は。
由紀ならば、私の手助けは要らないだろう。
あれは『頭が良いこと』以外に、特段の欠点が無い。
放っておいても人並み以上の幸せを得て、まともな死を迎える筈。
それに比べ、この薫ときたら。
苦難の中に喜び勇んで飛び込んでゆく、厄介な《脆弱者》。
自分でも碌な死に方は出来ない、と分かってはいるらしいが。
私からすればむしろ、定命でないからこそ危険だ。
ずっと生きていれば、やがて『知らなくていい事』を知ってしまうから。
私が退官する際には、《向こう側》へ連れて行ってやりたいけれど。
このままでは無理だ。
通過できない。
六価ジスメルと、バイドファクタムの混合液。
思い切って突き落としてはみたものの、浸透率は僅かに、0.03%。
溜息が出るくらい、適性が欠如している。
私の血を受け継いでいてさえ、こんな程度なのか。
いや。
命を落とさなかっただけ可能性が残っている、と考えるべきか。
あと100回。
耐性が付加される事も考慮して250回程度、繰り返せば。
流石に、本人が違和感を追求し始めるか。
しかし、それにしても。
───さっきの「おかあさん」という叫びは、素晴らしかった。
───生命の危機に瀕し、私に助けを求めるとは、なんて甘美な。
由紀ならば、ただ狂い悶えて死に至っただろう。
たとえ発狂を免れたとしても、最後まで私を呼びはしなかったろう。
ああ。
薫。
何と可愛らしい、不出来な娘!
お母さんはね。
あなたに《外の世界》を教えてあげたいの。
あなたが望む通り、首輪を付けて。
鎖で繋いで。
管理総会のお歴々に、「こんな面白い生き物が生まれた」と誇りたいの。
そうよ。
あなたを、こんな場所で死なせたくないのよ。




