560話 聞いて 〜Road to Death 02
1930年代。
第二次世界大戦の勃発直前。
イングランドで、とある一人の男が、《それ》を作った。
”この世から吸血鬼を根絶やしにしてやろう”、と。
暗い情念と妄執を携え、ひたむきに《それ》を作り上げた。
そうするに至った理由は、誰も知らない。
おそらく、知り合いだか恋人が『干乾びた』とか。
そんなありきたりの、何処にでもあるようなつまらない復讐心だろう。
男は、ただの鉄道人夫。
来る日も来る日も砂利を敷き、枕木を打ち、レールを載せるのが仕事。
特別な知識や才覚など、何も持ち合わせておらず。
職があるだけましではあったが、けっして裕福とは言えない社会身分だった。
そんな彼が、如何にして《それ》を設計、製作出来たのかは不明。
誰にも詳細は分からぬが、確かに《それ》は完成したのだ。
───しかし。
───その効果を確かめることなく、男は命を失った。
まあ、当然の話だ。
寝食を削り、死物狂いで男が作り上げた《それ》は、弾丸。
銃から射出される、弾丸の形状である。
要は、当たらねば何の意味も無い、五月蝿いだけの花火だ。
吸血鬼にはまず、当たりはしない。
人間が発射したところで、当たるわけがないのだ。
銃弾自体は躱せなくとも、構えた姿勢でどこへ飛ぶかが判断出来る。
引き金に指を掛けて絞りきるまでに、幾らでも移動可能。
人間如きが、吸血鬼を撃てる筈がない。
密着してなら当てられるかもしれないが、そこまで接近する前に死ぬ。
事実、男はそうやって死んでいった。
そして、本当に《それ》が吸血鬼を殺せると実証したのは。
皮肉な事に男が殺せなかった、当の吸血鬼だった。
残された弾丸で遊んだ連中が、その効果に仰天し。
奪い合い、撃ち合って、そこそこの数が死んだ。
明確にはされていないが、弱小の一族が一家か、ニ家。
世界で最も吸血鬼の数が多いイングランドで、それは大した事件でもなく。
男が作った弾丸が尽きるや、たちまち誰もが興味を失った。
忘れてしまった。
───その《弾丸》を。
───私が手に入れた。
男の親族から200万ドルで買い上げた、もはや現存する最後であろう三発。
一発は、我が領地へ侵入した《爪》で実験した。
撃たれた《爪》は、のたうち回って苦しんだ。
血反吐を撒き散らし、折れ曲がった骨が皮膚を突き破り。
死には至らなかったものの、完全に再生が停止して動く事も出来ぬ体。
人間以下となったそれにとどめを差すのは、実に容易く。
確かにそれは、『吸血鬼を殺せる』と表現しても大袈裟ではなかった。
二発目は、解析に使った。
その弾丸を量産出来れば、ハンガリーの地を統一する事も可能だ、と。
しかし。
結果としてそれは、叶わなかった。
組成が解明出来なかったのだ。
いや、弾丸として発射される為の機構、ケースとその内部の火薬は単純。
何の変哲もない、ごく普通のものだったが。
問題は先端部分。
被甲と、弾芯だ。
それが何なのか、少しも明らかに出来なかった。
効果の要因はおろか、何の物質で構成されているのかさえ判明しなかった。
完全に未知の機構であり、どう組み上げたのか想像もつかない。
この世には有り得ぬ、さほど固くはない金属質の《何か》。
魔法術式を含まない、不可解で魔法じみた《何か》。
結局、《それ》は失われてしまった。
分解だけではどうにもならず、融かそうとしている間に、煙の如く消失した。
───そうして残った三発目。
───最後の弾丸が今、自分の拳銃に装填されている。
再現不能の小さな塊。
吸血鬼殺しの銃弾。
自分が思うに。
おそらくこれは、『伝来の妖族』なのだ。
吸血鬼を恨む男の想念が生み出した、限定的な『幻想』。
”吸血鬼を殺せる”と信じられた、銃弾の形状をした『奇跡』。
そう考えれば、納得がゆく。
この世の道理に縛られぬ故、既存の物質とは異なり。
『殺す為のもの』だから、理由も無く『殺せる』。
ただし、弾丸は無機物であり、交配によって数を増やさない。
全て消費されたら、終わり。
作製者が死ねば、誰も願わねば消えてゆく、異端の伝来の妖族。
人間が信じることによって、吸血鬼が出現し。
人間に恨まれることによって、弾丸が発現した。
つまるところ、人間にしか出来ぬのだ。
想像力だけで《有り得ないもの》を作り出すという、不条理は。
───私は今夜、銃を携え。
───引き金を引き、リグレット・マイネスタンを撃つだろう。
だが、奴を殺すのは私でなく。
人間だ。
最後の弾丸よ。
《願い》を果たし、夢と消えろ。
ハスバル・シルミストはどうしてか、自らを射殺するに似た錯覚を覚え。
その悲しさを振り払うように、長く白い呼吸を絞り落とした。




