535話 知らない騎士団と疑惑 06
「───『聖書の言葉』で殴る。
つまり、聖書の記述を使う、ということですが。
先程、申し上げた通り。
聖書の正しさ、正当性というものには、保証がありません。
しかしながら、社会に混乱をもたらすような、悪意あるものでないのも事実」
「世界には多くの武器があり、その悪用が人を傷付ける。
言葉も、また然り。
年々、新しい俗語や言い回しが生まれ、盛んに用いられますが。
悲しいことに、その殆どが誰かを嘲笑し貶めるもの」
「だからこそ、『聖書の言葉』を使うのです。
内容が正しいから、薦めるのではありません。
相手を説き伏せる為に、叫ぶのでもありません。
ただ単に、他の暴力的な武器や悪辣な言葉よりマシだから。
それらよりは、社会的に認められ易いからこそ、なのです。
皆さん。
ぜひ『聖書の言葉』で殴ってください。
必ず『聖書の引用』で罵倒し、腹立たしい相手を責め立ててください。
”そっだらこどで天国に行げるとは、思わんべな!”、と。
最後はそう言って、とどめをくれてやりなさい。
最終的に、『神は全てをお赦しになる』でしょう」
巻舌の地元訛りに、聴衆は大ウケだ。
「相手が、信徒ではない?
銃を突き付けられて、命の危険がある?
それでも。
それだからこそ、口にすべきは『聖書の言葉』です。
《ヨハネの福音書》、《ヤコブの手紙》、どの部分からでも構いません。
覚えている限り矢継ぎ早に、これでもか、とぶちまけてやりなさい。
向こうが動揺して目を逸し。
”マズい!こいつカトリックだ!”。
”話がまったく通じない!”、となればもう、こちらの勝ちです!」
バン!と叩かれる、卓。
wwwwwww
司祭、また顔を真っ赤にしておられる!wwwww
「そうやって皆さんが、生をまっとうした後。
万が一、その行いを『我等が主』に咎められたなら。
堂々と抗弁していただいてよろしい。
”ドンソン・ハワードという司祭に、やれと言われた”、と。
なぁに、私の心配などされなくて結構。
───腕の良い弁護士を、知っていますので!」
ニヤリと笑う、四角い司祭。
本来は静粛を求められる礼拝堂で、大拍手が巻き起こり。
それは、彼が壇上から降りても長らく響き続けた。
いやあ、これはいいな!
こんな《説教》、生まれて初めての体験だぞ!
僕も力一杯手の平を打ち合わせ、感謝と尊敬の気持ちを送りまくった。
これがミュージシャンのライヴなら、もっと派手にやるところだ。
指笛を鳴らし、アンコールを叫びたいくらいだよ、本当に!




