532話 知らない騎士団と疑惑 03
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キリスト教における《西方教会》の二大宗派、カトリックとプロテスタント。
その違いとは、何か?
神父に対して、牧師。
妻帯出来ないか、出来るか。
マリアは『聖母』か、それとも『ただの人間』として扱うか。
『ローマ教皇』即ち『法王』を階級の頂点とするか、階級自体を持たないか。
表面部分だけを挙げてみれば、ざっとこんな感じだが。
こういう事は一々説明せずとも、世界では大抵の地域で受け入れられている。
ごく一般的に、常識の範囲内である。
いや、まあね。
僕の大好きな日本の場合は、特殊な宗教観を持つ国なのでアレだ。
ごちゃまぜにして認識してる人間が、多そうだけども。
僕はカトリック信徒だから、プロテスタントの内部事情には詳しくない。
向こうがこっちを、どういう目で見ているのかも分からない。
だが。
こちらが向こうを、妙に気にしているな、とは感じている。
”あっちは別物だから”なんて言いつつも、チラチラ横目で窺ってるような。
一方的に意識して、ちょっとおかしな方向に行きかけてるような。
───例えば、ミサ。
主日である日曜に行われるコレに関しては、幾つかの誤解がある。
少なくとも僕は、『ある』と思っているんだけども。
それを口に出すだけで、顔をしかめる関係者もいるわけで。
そういう連中の主張は、こうだ。
”ミサへの参加は、信仰の基本である!”
”毎週必ずミサへ行くことこそ、正しき信徒である!”、と。
けれど、な。
聖書にはそんなの、書かれてないんだよ。
イエスは金曜に処刑され、日曜に復活なされた、ってお話だが。
『私の為に、日曜日を特別に祝え』なんて言ってないんだよ。
復活なされた日曜を信仰者が安息日として扱う事は、別にいい。
しかし、それとミサとは教義上の直接関係が無い。
正直さ、日曜は多くの者の仕事が休みだから集まり易い、って理由だろ?
もしくは。
『教会は、日曜でも扉を開けてますからね!』という、アピールなだけ。
───とまあ、こんなのを喋った日には、聞えよがしに囁かれるわけだ。
───”そんな解釈、プロテスタントじゃあるまいし!”、なんてな。
多分だが、あちらには”カトリックじゃあるまいし”とか、無いんじゃないか?
良くも悪くも、よそはよそ、ウチはウチでいいだろうに。
どのみち聖書の記述なんて、現代へ至るまでに歪みに歪んでるわけで。
聖職者が妻帯を許されないのだって、教義とは別の理由があるだろ、絶対。
国教として時の皇帝に承認された際の、特別条件とかでさ。
教会関係者が身内で権力財産を相続するのを防止する為、とかなんとか。
ああ。
ミサって単語を聞くだけで、こういうのが脳裏によぎる。
昔、コレを言ってしまったお陰で酷い目にあった記憶が、呼び起こされるよ。
どうせなら、イエスもさ。
『日曜は決して仕事をするな、約束だぞ』とか言えば良かったのにな。
そうしてくれてたら、今日は休みなのにさぁ───
そんな憂鬱な気持ちで訪れた、アメリカはネブラスカ州、フリーモント。
カトリックの信徒数は、プロテスタントの半分以下という土地柄だが。
小さな教会とはいえ、ミサの出席者はかなりのものだった。
ぎゅうぎゅう詰めの、バッチリ満席ってやつだ。
特に変わり映えしない、ごく普通の儀式的な部分が終わって、さあ《説教》。
本日の担当者は丁度、件のドンソン・ハワード司祭。
凄い肩幅の、四角・・・というか、『直方体』の体躯。
そこにめり込むみたいに頭が乗っかっている、何とも独特なシルエットだ。
第一印象として・・・好感が持てるタイプだな。
ひねくれた僕には珍しく。
刃物で細く切れ目を入れたような目付きは、完全に『強面系』。
それなのに、どうしてか安心だとか包容力すら感じてしまう。
聖職者として、凄く魅力的に思えてしまう。
この毒舌陰険のマーカス・ウィルトンをもってしても、だ。
いや、凄いことだよ!
一体何をやらかして、『上』に目を付けられたんだ?
その歳で平の司祭なんて、普通は無い。
しかも、言っちゃ悪いがこんな田舎に左遷とか、相当だぞ?




