529話 And only Judas remained
【And only Judas remained】
四方を守護する巨大な竜達が、それぞれの翼をはためかせて飛び立ち。
人形のような目をした『神聖報天騎士団』の面々が、音も無く退出した後。
───残ったものは、一名。
───白金の長い髪を後ろで緩く纏めた、長身の男だけだった。
本来ならば、目を射るほど眩しい光に包まれている筈の空間。
されど今、小さな明かりを灯した地下室の如き暗さなのは。
単純に、総面積に対して『光源』が少なく、弱過ぎるからだ。
円形聖堂の壁には、石英に似た透明な『板』がそびえ立ち。
それらが蓋をした内部には、全長50メートルにも及ぶ《巨大な人型》が直立。
ただし、7つの内6つは、もはや朽ち果て干からびており。
残りの1つも半分以上の肉が削げ落ちて、骨が露出している。
かろうじて仄かに光を発しているのは、《それ》のみ。
即ち。
この場で生命を宿している者も、男を除いては《それ》だけであった。
”───イスランデルよ”
「は」
”何故、最深部の防衛に加わらなかった”
『板』の向こう。
巨大な棺の中で、ボタリ、と自分と同じ大きさの肉片が落下し。
片膝を付いて臣下の礼をとった男は、それを見ても頭を上げぬまま答える。
「市街地における避難誘導と抗戦に手間取ってしまい。
また、元老院がそちらへ向かっているだろう、という認識の甘さもあり。
全ては、我が身の不徳の致すところであります」
”──────”
怒りと苦痛を混ぜた、呻き声が上がり。
また肉の塊が落ちて、透明な『板』の内側を赤く汚した。
”イスランデル───《聖痕》は痛むか”
男は尚も顔を上げず。
その代わりに左の袖を引き上げて、腕を掲げる。
丸く空いた《穴》を、堂々と見せ付ける如く。
「痛めばこその、『処罰』。
偉大なる我が主からの慈愛として受け止め、一層の忠誠に励む所存であります」
”───記憶は、戻ったのか”
「いえ」
”最初の一行だけでも構わぬ。
思い出したのなら、それと引き換えに《聖痕》を消してやろうぞ”
「申し訳ありませんが、未だに、少しも」
”──────”
「仮に思い出せたとしても。
それは口にして良い事なのやら。
語ることが、譲渡することが許されているのか」
”誰の許しを得る必要があるのだ!?”
即座に、びりびりと空気を震わせる大音声。
それでも気圧されることなく、男の口からは落ち着いた言葉が返される。
「・・・さあ、それすらも蒙昧なる私めには、分かりませぬ」
ぐちゃり。
がしゃん。
肉と骨が落ち。
《それ》は、片腕を失い。
大聖堂の明かりが、更に翳った。
”───元老院は、壊滅した。
あれらの権限と直轄機関を、以降はお前に預けよう”
「は」
”それでも、思い出せぬか”
「残念ながら」
轟音と共に、男の眼前へ落ちる雷光。
男は動じず、ただ、もう一段と深く頭を垂れたのみ。
”もう良い───行け!”
「は」
跪いたまま展開される、転移法円。
───移動の終了を確認し、イスランデルはゆっくりと立ち上がる。
吐き出した息は溜息ですらなく、侮蔑の現れ。
口元を歪めた表情もまた、それと同じものを示していた。
(何が、《神》だ)
(あれではまるで、癇癪持ちの子供ではないか)
すう、と普段通りの薄い微笑を浮かべてから、崩れかけの廊下を歩き出す。
本当に、《万物の創造主》が聞いて呆れる!
《蜂》に喰われる《神》があるか?
それで八つ当たりして騒ぐなど、《神》のする事か?
自分が手に入れた『奇蹟』を力尽くで奪い取れもせず、”渡せ”と脅す。
今も、おそらくは魔王からだろう攻撃を跳ね返せないまま、弱り続けている。
そんな哀れな存在を、《神》とは呼べない。
断じてあれは、《神》ではない。
全知全能で、何者をしても傷一つ付けられぬのが《神》だ。
おそらくは、私が手中に収めた『奇蹟』の製作者こそが、それに値するのだ。
あの《しなびた巨人》など、たかだか『一番強い天使』でしかない。
大きな燃料タンクを持っているだけの、愚鈍な天使。
タンクの中身を補充出来ぬまま使い切って、もはや虫の息だ。
地上に目をやることもなく、天使の1/5を作り直した事にさえ気付かぬ馬鹿だ。
それどころか。
手に入れた《奇蹟》が一つだけだと信じ切っている!
愚かなり、無能の王!
私が愛する悪魔も、お前の墓など欲しがらぬだろうよ。
むしろ彼女が望むのは、偽者の神に創られた《お伽話の英雄》のほう。
『天界』とて一隻の船に過ぎず。
今や船長も、あのザマだ。
これで航海の全てがようやく、我が意思に委ねられた───
「うおーーい、長官!」
一応は倒壊を免れた情報局を目指し、歩みを進めていたところ。
ガラガラと盛大な音を立てて台車を押してきた天使に、呼び止められる。
「どうした、ザンガス」
「ああ、その。ええと───もしかして、さ。
今回の事で何か、《神様》に怒られちまった?
命令無視した件で、懲罰を受けるとか」
「はは、そんな事はないよ。
むしろ、昇進だろうな。元老院が綺麗に無くなり、その権限を賜った」
「おっ!やったじゃん!
そっかー、くたばりやがったか、あいつら!」
「・・・それで、君は何をしてるのかね」
「やー、そこらで復旧作業してる連中に、食料でも配ろうかな、って。
地道な点数稼ぎってやつだよ。
俺、全然《蜂》を倒せてないから!」
「ふむ」
台車に載せられる量には限りがある上、瓦礫を避けて押すのは非効率的だが。
この『道化師』には、そういうユニークな姿がお似合いだろう。
どれ、私も少し付き合おうか。
台車ではなく、法術を使って。
「その非常用物資は、何番の倉庫から出した?」
「西棟の3番だったかな?扉が壊れて開いてたから、なんとなく」
「では、私もそこから持ってくるとしよう」
「え、マジで??長官も『点数稼ぎ』すんの??」
「点数なんて、あればあるほど良いのさ。
余っても誰かに売りつけることができるからね」
「いやー、悪い男だぜぇ、長官は」
”足元に気を付けてな!”、と道化の助言。
背を向けて幾らも歩かぬ内に、当の本人が”うわっ!?”と大声を上げている。
お約束、というやつだが、不思議とこういうので心が癒やされる。
後は、そうだな。
あの有能で素晴らしく頑固なネイテンスキィが戻って来てくれるなら。
道化と楽しい掛け合いをして、私の荒んだ心が更に癒やされるのだが。
あれはヴァレストと同じく、コントロール不能の駒。
そういう存在を始末せず取っておきたくなるのが、自分の欠点の一つだろうか。
イスランデルは、たわんで外れ落ちた倉庫の扉を法術で修復し。
それからふと、袖越しに左腕を撫でる。
───気のせいか。
───いや、確かにその《痛み》が、和らぎ始めていた。




