521話 黒竜紳士、逃げる 04
・
・
・
・
・
・
・
現在のハンガリー情勢は、決して穏やかではない。
元々、水面下では色々あったのが、ここへ来て一気に表面化している。
まあ、その切っ掛けは、先日の《特別会議》。
ファリアと僕が、フェンビックの首魁共を討ち取った事にある。
結局、あそこの残党は綺麗さっぱり、スロバキアへ逃げ出して。
空いた領地は、北上したマリスとアルディーの両家が獲った。
ただし、南半分のみだ。
北側───スロバキア側は、大きく残されている。
これは《敵》の南下に備えた、緩衝地帯の設定。
明らかに、クロウゾルド卿と仕掛けた『能動的な情報リーク』の効果だろう。
勿論、そうなる事自体は想定済み。
僕らとしては、ここからどう動くのかを見たいわけだけど。
───完全に予想を超えてきたのが、マイネスタン。
───あの《変態女》率いる、西方のマイネスタン家だ。
連中、この御時世にあろうことか、仕掛けやがった。
経済戦争じゃなく、武力侵攻をやっちまいやがったよ。
白昼の、堂々たる『馬鹿げた戦争行為』だ。
人間社会に対する隠蔽工作も皆無で、本当に真っ正面から乗り込んだ。
むしろ、迎撃に出たシルミスト家のほうが、躍起になって『火消し』だ。
何がしたいのか、全然分からない。
意図を読み解こうとするも、情報が足らない。
大体マイネスタンは、ウチほどじゃないにせよ、数が多くない。
《変態女》が頭首となる際、揉めた一部が『出家』したせいだ。
そんな状態で領地拡大へ走る意味も、必要性も無い。
新たな地に安定して居座れるだけの、余剰が無い。
しかも、戦い方だって妙だ。
電撃的に侵攻しておきながらほぼ完璧に防衛されたのに、兵を退かない。
最初から長期戦を望んでいるような態度。
ブラフの可能性も大いにあるが、それにしてはもう、日数が経ち過ぎている。
まるで、《戦争を目的として戦争している》。
そんなふうに思えて仕方がない。
他家事ではあるけど、こんなの続けてたら内紛で崩壊するぞ?
あいつ、それも分からないくらいの馬鹿だったのか?
本当に予想外だよ。
ああ。
この『頭がイカレた闘争』の影響が、余波が、こっちへどう伝わるのか。
そういう事を推測し、打つべき手を考えなきゃいけないんだけども。
───正直、全く思考が回らない。
───読んでる書類の内容が、ちっとも頭に入ってこない。
僕の優秀な片腕たる、マリオン。
お前のお陰でな!!
「このままだと、危険ですね」
ほら来た。
また『主語』が無いぞ。
即ち、仕事以外の話だな!?
「・・・リンカの事か?」
「ええ。筆頭にも、立場がありますし。
私の直属の上司ですから、心配するのは当然でしょう」
「はいはい、そりゃどうも!」
「筆頭は、《当て感》というものを御存知ですか」
「《当て感》?何さ、それ?
恋愛の極意みたいなヤツ??」
「いえ、違います。
どうすれば的確に攻撃を当てられるか。
高い威力を出せるか。
タイミングや角度を含めた、近接格闘における重要な要素の事です」
「・・・・・・」
「《当て感》には修練による向上が、殆どありません。
技術ではなく、才能や感覚なのです。
そして。
妹はそれが、今まさに開花しているところだと思われます」
「・・・・・・」
「筆頭とて、これだけの回数殴られれば体が慣れる。
次第に反応が早くなる。
しかし、それを上回って確実にヒットさせ。
日毎にダメージを増大させている。
最初は下歯の前歯のみだったのが、今では上歯も。
更にはその周辺まで、一撃で折り砕かれていますよね?」
「・・・そうですね」
「とても危険です。
だから、もう止めにしませんか」
「・・・男には、引き下がれない時もあるのさ」
頬杖を突き、溜息と共に返した言葉。
如何にもアルが言い出しそうな台詞。
自分で言っておきながら、体が痒くなるよ。
「───それでしたら、筆頭」
「何?」
「一発ではなく、二発殴られてみてはどうです」
「・・・は??」
「もしくは、殴られる頻度を上げるか」
「お前、何言ってんだよ!?」
「妹には、実戦の経験がありませんので。
せっかくの才能を伸ばしながら、且つ、筆頭の恋愛感情を満たすには。
これまで以上のペースで『歯を折られる』のが、ベストでしょう。
私としましては、本当に心が痛みますが。
妹の戦闘能力を高める事は、ズィーエルハイトの為にもなるかと」
「おい、メガネ」
「眼鏡は、黙して語らぬ無機物です。
されど軽はずみな発言は、全世界の眼鏡着用者を敵に回すことに」
「・・・・・・」
顔を動かさないままで、マリオンのほうを窺う。
視線は合わなかったが。
きらり、とレンズの輝きが、網膜に突き刺さった。
「・・・マリオン」
「何でしょう」
「少しの間、席を外す」
「休憩ですか」
「違う。
仕事だよ───本家に出向いてくる」
「そうですか。お気を付けて」
ああ、もう!!
僕の精神は、限界だよ!!
やってられるかっての!!
明日持って行くつもりだった書類を、手荒くレザーバッグに放り込み。
キャップを被って椅子から立ち上がった。
「じゃあな。
お前も適当なところで、休憩しろよ?」
「はい」
「一応、お前の頭の良さは認めてるから。
だから───暇な時にで、いいけども。
その。
もう少し僕が喜べるような『作戦』を考えてくれ。
真面目にさ」
「了解しました」
不機嫌な足音を立てるその背中が、見えなくなった後も。
マリオン・シュマイザーは、密偵から届いた書類を捲る手を休めなかった。
(───強情なお人だ、筆頭は)
正直なところ自分は、それほど休憩を必要としていない。
仕事中は仕事をし、家に戻ってから休めばいいだけのこと。
そして。
連日の査読とフル回転の情報統合で疲れ果てているのは、上司も同じ。
だからこそ、せめて先に休憩してほしかったのだが。
分家衆の筆頭が倒れでもすれば、ズィーエルハイトの一大事。
自分が限定的に席を代わったところで、全てをこなせはしない。
有事の際の、直接的な戦闘力にも乏しい。
強さだけで言えばもう、妹のほうが遥かに上な状態なのだ。
そして。
いや───それにしても。
(どうして筆頭は、『仕事以外』があんなに駄目なのか)
喜べるような『作戦』を考えろ?
あるわけがない。
あったらとっくに、進言している。
仕事を抜きにしても、上司に対してそれくらいの好感は持っているのだ。
『無理にキスを迫らない』より有効な作戦など、存在しない。
どうしてそれが分からないのか。
なにゆえ、『待て』が出来ないのか。
子供でもあるまいに。
行動の事実だけで判定すれば。
筆頭のやらかしている事は完全に、ハラスメントだ。
それも、かなり性質の悪い部類だ。
妹のほうも心底惚れているからこそ、かろうじてセーフ。
そうでなければ今頃、ズィーエルハイトは内部崩壊だ。
くい、と指で黒縁の眼鏡を上げ直し。
それでもマリオンは、溜息を零さない。
───やれる事を、やれるだけやろう。
一族の男連中で、《賭け》をしていないのは自分のみ。
昔、死にかけたところを筆頭に救われた父親さえ、平然と参加している有様。
実は一度、それが原因で親子喧嘩になりかけたのだが。
けれども、結果として自分の怒りは、小さな尊敬へと変わった。
父親が、次回の被害を《ゼロ箇所、ゼロ本》に賭けていたからだ。
最初からずっと、それを賭け通していると知ったからだ。
───だが。
───もはや一族に蔓延してしまった《娯楽》をやめさせるのは、不可能。
リンカのやつを言い宥め、ショートアッパー禁止を約束させたところで。
おそらく次は、投げ技か関節技に移行するだけだ。
おまけに、そっちのほうでも開花しそうで恐ろしい。
(ああ、何か)
(何か一つくらい、筆頭に恩返しできないものか)
非常に難しい問題だが。
それでも溜息をつく事無く、マリオンは次の一枚に目を通す。
(───”ガニア本家に複数回、建築業者が出入り”?)
ふむ。
これは、引っ掛かるものがあるな。
連中、何を作るつもりだ?
しかし、ドローンでの遠隔撮影は過去、撃墜されて失敗に終わっている。
現状のガニア本家屋敷を確認する手段が無い。
業者とはまだ、交渉などの段階なのか。
すでに施行に入ったか。
それは外側の増築か、内部の改装か。
手っ取り早く探るなら、屋敷ではなく業者のほうである。
ただし、ガニアとて無能ではない。
学習すべきところは、学習する。
以前にこちらが仕込んだ、『ポイゾニング』。
あれ以降、向こうも業者への接触を相当に警戒している、と見ていい。
条件反射で動くのは、危険だ。
まずは、《釣り》である可能性を念頭に置くべき。
この件は筆頭が戻ってから、念入りに協議した上で方針を決めたい。
ただ、そうは言っても、保留しておくだけでは時間の無駄。
筆頭も本家へ行く以上、書類を渡して即座に帰るわけではないだろう。
おそらく、一時間程度は猶予がある。
それまでに自分は安全な手段で、《ネット上にはない資料》を集めておくか。
マリオンは業者の名前をもう一度見てから、ノートPCを操作し。
起動したアプリの認証をパスした後、検索欄にそれを入力する。
エンターキーを押すと、即座にアプリが停止して落ちたが。
それは正常な動作であり、心配する必要は無い。
これまで通り、一分以内に電話が掛かってくる筈。
ああ、全てはズィーエルハイトの為。
使えるものは、『悪魔』でも使おう。
こんな時に備えて、こちらも様々な情報を提供しているのだ───




