520話 黒竜紳士、逃げる 03
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───ズィーエルハイト分家衆・筆頭の朝は、早い。
情報というものに停滞は無く、寝て起きたらもう、新しい『何か』がある。
それを確認している間にも、『次』が来る。
ハンガリーにおける各家の動向。
密偵達はあくまで、『集めること』のみが役目であり。
それを精査し、繋ぎ合わせ、時に改変して武器にするのは、僕の仕事。
正確には、密偵統括のマリオンと、その上司たる僕。
たった2名で捌き続けなきゃならない、神経の擦り減る重要職務である。
そもそも『情報統合』は、ピースが欠けている事を承知で行うパズルゲームだ。
”ネタは必ず裏を取れ”なんて、理想論もいいところ。
現実だと大抵、確証を得るのが不可能、もしくは危険過ぎる、のどちらかだ。
それでいて、無視できないレベルの特ダネというものだって存在する訳で。
『そういうもの』の裏を一々取らせていたら、密偵の命に関わる。
ゴシップ芸能誌の記者と違い、『相手』とは殺し殺される仲だ。
繰り返しになるが、情報の確度を判定するのは、密偵の仕事ではない。
使えるか使えないかの判断は、別の場所に居る誰かがやらなくちゃいけない。
そして。
その判断方法とは、クジ引きでもコイントスでもなく。
《経験》、《センス》。
この2つの要素しか無いのだ。
僕はどちらかと言えば、前者のタイプであり。
マリオンは圧倒的に後者。
両方が協力して、互いをカバーして、集積された情報を選別する。
そこから想定された脅威に対し、防衛策を組み立てる。
これまでずっと、それを僕達でやってきた。
現在だって、そうし続けている。
───それなのに。
「筆頭」
「何さ」
「もう止めませんか」
鼻筋が歪み、眉間に皺が寄った。
お前、何言ってんだ。
僕らがこれをやらなきゃ、誰がやるってんだよ。
マリオン、お前には任せられるから、任せてるんだぞ?
そりゃ、ここのところ周囲の動きが激しいせいで、激務だよ。
疲れてるのは分かってるよ。
けどな。
こういうのを放っておいて平気な程、ズィーエルハイトは《強くない》んだ。
これを止めるってことは、滅びるってことなんだぞ?
「休憩してこい。そんで、頭を冷やせ」
「いえ。仕事に関しての話ではなく」
「・・・ああ?」
「筆頭の『歯』について、言ったのですが」
「!?」
思わず、唇越しに『そこ』を押さえた。
いや、待て。
大丈夫だ、とっくに再生は終わってる!
今朝だって、バターロール2個にベーコンエッグを食べたじゃないか!
「何でそれを、今言うんだよ」
「それはやはり、妹の事ですし。
あと昨夜、うちの一族はその件で大騒ぎになりまして」
「え??騒ぎ??」
「筆頭が折られた歯の本数と、箇所。
それを見事に当てた叔父が、賭けに一人勝ちしてしまい」
「何やってんだよ!?」
「ふむ───いけませんでしたか」
「勝手にギャンブルの対象にすんな!
遊びでやってんじゃないんだぞ、僕は!」
「勿論、分かっていますよ。
だからこそ、これまで一度も私は賭けていませんし」
睨みつけた僕に、顔色一つ変えないマリオン。
「逆に言えば、私以外は誰も『分かっていない』という事でしょうか?」
「ものすっごい失礼な疑問系だな、それ!?」
机をぶっ叩きそうになったのを寸前で堪えたのは、仕事のせい。
頭の中が『情報統合』の為の、《特別な冷静モード》になっていた所以。
それでもまあ、叫んでしまったけどね!
いやいや、落ち着こう。
クールダウン、クールダウン。
こういう厳しい時こそ、状況を味方に付ける努力をしよう。
───そうだよ。
───マリオンは彼女の親族、実の兄だ。
プライベートを漏らさぬ為、今まではこういう《濃い話題》を避けてきたが。
せっかくだ。
ここは奴を利用して、有益な情報を得るべきじゃないか?
その積み重ねが、彼女とのゴールインに繋がるんじゃないのか?
ゴールイン。
ゴールインに。
ごくり、と唾液を飲み下し。
手癖でボールペンを回しながらも顔を伏せ、書類を読むフリ。
「・・・リンカは、僕の事を何か言ってた?」
「いえ。特には」
「・・・・・・」
「ただ。
初めて筆頭の歯を折った時には、明らかに不機嫌な顔をしていましたが。
最近は少し、嬉しそうな様子で」
「えっ!?
それってまさか、本当は喜んでるってこと!?
このまま押していくべき、そういうことなの!?」
「違います。
歯を折るのが楽しくなってきた、という感じですね」
「・・・う"っ」
殴られてないのに、殴られたような衝撃を受けて。
視界が、グラリと揺れた。
はは───昨夜振りの一撃だけどさ!
今の結構、効いちゃったよ!
マリオン、お前さ!
仕事では凄く優秀なのに、仕事以外の事だと途端に駄目になるな!?
『主語』とか『目的語』を、ポンポン抜かして!
とびきり嫌味な奴になるよな!?




