519話 黒竜紳士、逃げる 02
「ねえ、ヴァレスト───私とこういう関係になれるなら。
貴方を殺してでも代わりたい、と思う者だって大勢いるのよ?」
「そうだろうな。
そうだろうけど!それでも駄目だ!」
「何が駄目なの?理由を言いなさい!」
あ。
怒られた。
膨れっ面のレンダリア様、可愛い。
違った、恐い!
「お、俺には!心に決めた相手がっ!!」
「そう」
「・・・え?・・・いや、いるんだけ、ど?」
「別にいいわよ」
「よくないだろう!」
「私だって、貴方が童貞だと思ってるわけじゃないわ」
「どっ!?」
「心に決めた相手がいる。素晴らしいことね。
でも、それとこれとは、全く関係無い」
「あるある!!凄くあるぞ!!」
「───だったら。具体的に、その相手とはどうなの?」
「え」
「向こうは実際に、どこまで受け入れている状況なの?」
「や・・・それは・・・」
「貴方が心に決めた、決めないの話ではなくて。
どういった関係まで進んでいるの?」
「関係って・・・その・・・お茶を飲んだり、話をしたり・・・」
「そういう事じゃないでしょう。真面目に答えなさい。
男女としての接触は?
どこまでの、どの程度の頻度で?
隠さずに全部、言いなさい!」
「いや・・・・・・そういうのは・・・・・・特に、まだ」
「え」
「え」
「───何も?」
「・・・何も」
「それは、本当なの?」
「情け無いが・・・本当だ」
「どうして?」
「どうしてと言われたって・・・切っ掛けが無い、というか。
ベストなタイミングが訪れた時に考えるのも、やぶさかではない、というか」
───寒々しい、沈黙が流れて。
ゆっくりと、レンダリア様の体が離れてゆく。
俺の背骨は、半分かたやられていた。
男のプライドは瀕死の重傷、虫の息である。
「それだと───良くないわね」
「だろう?
とても良くないってことが、良く分かっただろう?」
「物事には、最低限の順番というものがあるから。
それを無視するのは、重大なマナー違反。
いくら私でも、列車強盗のような真似は出来ないわね」
「・・・・・・」
なあ、言いたい事は理解出来るが、例えのスケールがおかしくないか?
そこは普通、『泥棒猫』とかだろ?
列車強盗って、単独でやるもんじゃないと思うぞ?
「まあ・・・そういう訳で、その。
非常に!非常に申し訳ないんだが、」
「ええ、分かったわ」
ふう。
助かっ
「一時間、待ってあげる」
「?」
「最後尾に並んだ私が、前にいる者よりさっさと行くのは『良くない』から。
貴方に機会をあげる」
「え?」
「一時間あれば、どんな事情があろうとも『何か』出来るでしょう?
その『何か』は何でも構わないから、とにかく段階を進めて来なさい。
いいわね?
これは一度だけの、最大限の譲歩よ?
結果を出しなさい。
本気でやるなら、酷く忙しいだろうけれど、コトにも及べる筈」
「え??」
「一旦、筋を通した形にするのよ、私の。
その後で実力を行使する分には、何ら問題無いから」
いや、あるだろ───とは、口が裂けても言葉に出来ない。
悲しいかな、これこそが《実力の世界》というもの。
きっと今の俺は、星猫さんに咥えられたマグロより死んだ目をしているだろう。
「行きなさい、ヴァレスト。
そして、一時間が経過したら。
何処へ逃げようとも必ず追い付いて、貴方を『完璧に美味しく頂く』から」
「ちょっ!何を言って!・・・嘘だろう!?なぁ!?」
「嘘をつく必要も、真偽を問い正す暇も、あると思う?」
にっこり微笑み、得意気に胸を反らすレンダリア様。
「私は、アニー・メリクセンの娘よ?
口にした事は全て、真実になる───いいえ、必ず真実にしてみせるわ」
「!!」
「さあ、一生懸命に頑張って、男らしさを見せてきなさいな。
疲れ切っても大丈夫よ。
すぐに元気にしてあげるから。
はい、開始!」
ぱん、と手を打つお姿の背後。
確かに、若かりし頃の《Curse Maker》が見えて。
───もはや、交渉の余地は皆無!
───『観念する』というよりも命懸けで、転移陣を展開!
どうすりゃいいんだよ、これ!?
何をしようが、すまいが、一時間後には俺の《紳士道》が処刑台送りだ!!
この脅迫に屈して、これまで慎重に歩んできた道を踏み外すのか?
そうさせることを含め、レンダリア様の優しさだと受け入れるべきなのか?
ああああ!!
少しも分からん!!
頭が回らない!!
マーカス!!
マーカス!!
いや、師匠!!
俺は一体、どうしたら!?




