508話 宇宙戦士、逃げる 01
【宇宙戦士、逃げる】
気密室を通り抜け、最外壁の扉を開き。
《外》へ出てとりあえずは、『真っ直ぐに』加速する。
(うおぉ・・・気持ち悪いな!)
たかだか数百km進んだだけで、感覚が曖昧なものになる。
自分が今、どういう状態でどこにいるのかが、分からない。
上下左右。
方位も傾きも、どうなっているのか不明だ。
遠くなった基地を基準に、座標軸を設定。
それで何となくは落ち着いたものの、やはり慣れない。
僅かな推力で、際限無く身体が旋回する。
思い通りに動くのも、停止するのも、出来なくはないがタイムラグがある。
(こんなところ、よく飛び回れるもんだ)
日々出撃している部下達の苦労を思い、ダグマイアーは静かに溜息をつくが。
それは、音にならない。
静寂な暗闇の中で、口元に小さな氷が生まれたのみだ。
進んで、止まる。
今度は急加速、急停止。
左曲がりに『上昇』し。
右曲がりに『下降』して、元の位置に戻ってみる。
そういった何パターンかの動きを試していると。
───ガチャリ。
耳の奥で乱暴に受話器を取り上げるような音がして、思わず顔をしかめた。
”ダグマイアー長官!!何をしてるんですかッ!!”
ああ。
せっかく副官は、簀巻きにして士官室へ放り込んで来たのに。
この声は、管制官か。
何だってまだ、司令部に残っているんだ。
「いや、単なる散歩さ」
”馬鹿な事を言ってないで、すぐに戻ってください!
もう5分もしない間に、《蜂》が来ます!!”
「来るだろうなぁ」
”そんな所に突っ立っていたら、死にますよ!!”
「そうだろうなぁ」
”長官ッ!!”
「まあまあ。落ち着いて、よーく聞き給え、ルミナント君」
後ろ襟に指を差し入れ、ガリガリと掻きながら。
ダグマイアーは薄く目を閉じて、欠伸を噛み殺す。
「いいかい?
こんな馬鹿みたいな数の《蜂の群れ》相手に、何をしたって無駄さ。
だから私は、絶対に出撃命令を出さないし。
連中の進路が『こっち』へ変わるなら、全員が施設を放棄して逃げてもいい。
そう言ったよね?」
”ええ!ですから、長官の行動には何の意味も”
「だが、進路が変わらなければ、『地球直撃コース』だ。
君等は、こんなのと戦って無駄死にする必要は無いけれど。
土星基地の長官ともなれば、話は別だ。
責任ってのがある。
『ハイどうぞ、お通りください』とはいかないんだよ」
”そういうのを気にするタイプじゃあ、ないでしょうに!”
「いやこれ、性格がどうこうじゃなくて、『職務』ね?
はは。
意外だろう?
みんなに散々、《動かざることダグマイアー》とか囁かれてきたけどね。
私だって、やるべき時はやる。
そういう男なのさ」
”───あの───長官”
「何だね」
”あれは、その。
《長官が全然、昇進しない》という意味なんですけど”
「・・・ちょっと、やめてくれないかな、君。
せっかく格好付けてるってのに、台無しじゃないか」
”笑い事じゃありません!!”
「笑い事にしか、聞こえないんだよ」
───強制的に回線を切断する。
まあ、何を言おうが、納得はしないだろうし。
こっちだって現在、心に余裕がある状態ではない。
ステーションに残った部下達に、どう思われようといいのさ。
それが、《立派な上官》であれ。
《英雄的な馬鹿》であれ。
───この行動の意味は、自分だけが知っている。
私は。
逃げるのだ。
必ずや、逃げ切ってみせる。
その為に、『ここから去るわけにはいかない』のだ。




