470話 異種間コミュニケーション 05
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まったく、頑固なボルゾイだ。
自分の決めた事こそ正しい、と信じ。
それ以外は何があっても聞かない、認めないという。
『ガチガチ頭』の上にプライドが高い、厄介なワンコだ。
もうちょっと協調性ってのを持てよ、頼むからさ!
「・・・おい、アスランザ。絶対に、俺から離れるなよ?
通報されちまうからな?」
”お前の命令に従う理由は無い”
いや、それでもな。
お前が『もっと人間の多い場所を探す』『どうしても行く』って言うからさ。
こうやって鎖の端を握り締めて、飼い主のフリしてるんだよ。
裏通りはともかく、『表側』はマズいんだっての。
幾ら土曜の朝は人通りが少ないといったって、それなりには歩いてんだ。
ほら、見ろよ。
どいつもこいつも、スマホで撮影してるじゃねーか。
目立たないわけないんだよ、こんな超大型犬が。
それに、俺だって普段、こっち側はあんまり来ないんだ。
正直、ドキドキしてんだぞ。
”アスランザは、《通報》というものを恐れない”
「意味が分からねぇまま言ってんだろ、それ。
通報ってのをされるとな、警察とか、保健所だとか、そういうのが来る。
囲まれて、銃で・・・当たると体が痺れる弾を撃たれて、捕まるんだぜ?」
”──────”
お。
考え込んでる。
『自分のほうが強いから、全部倒す』とか言い出さなくて良かったよ。
そういうのが駄目って事は、ちゃんと飼い主から教えられてるんだな。
”───では、銃を持っている人間は、お前が倒せ”
「は??」
恐る恐る、たっぷり距離を開けて通り過ぎて行く人間達。
そいつらに聞こえないよう、小さな声で話し掛けてたんだが。
うっかり、普通の声量に戻っちまった。
”狼が人間を襲うのは、何もおかしくない。
だから、お前が倒せ。その間にアスランザは、それらを振り切る”
「誰がするかよ、そんなこと。
俺はなぁ、人間の街で暮らしてる、優しい狼だぞ」
”狼が、狼以外に優しくするのか?───とても頭がおかしいな”
・・・はあ〜〜、まったくよぉ!
こいつの言わんとしている事は一応、分からなくはない。
『とても』は、余計だけどな。
そして、俺のほうにだって主義主張はあるんだが。
伝えたところで無駄なんだろうなぁ。
経験者が経験を語って効果があるのは、相手が聞きたいと思ってる場合だけだ。
こいつにゃ、何十回繰り返したところで意味が無い。
必要なのは『説得された』じゃなくて、『理解した』だしな。
それにしてもさ。
『銃を持っている人間を倒せ』、ときたか。
なんかこう、引っ掛かる言い方だなぁ。
「・・・お前、もしかしてさ。人間が嫌いなのか?」
”ああ、嫌いだ”
即答かよ。
”狼よりも、人間のほうがもっと嫌いだ”
「・・・・・・」
おいおい。
でも、お前は飼われてるんだろ?
あと、こうやって俺が鎖を持って横を歩けば、妙に落ち着くじゃん。
たとえ本当の飼い主でなくとも、《そういう形》に安心出来るんじゃねぇの?
それを言ったら多分、滅茶苦茶怒るだろうから口にしないけどさ。
多くの視線を集めながら物ともせず、ボルゾイは進む。
人波を突き抜け、真っ直ぐに。
それでいて、信号が赤ならばちゃんと止まって待つ。
そして、ぽつりと呟かれた言葉。
”───アスランザは、耳が良くない”
「??どうした、あんまり聴こえないのか?」
”そうではない。
形が悪い───片方、折れている”
「・・・ん、まあな」
ちらりと見れば、確かに左耳が垂れている。
でも、大した問題じゃないだろ。
普通に聴こえるんだったら、個性ってコトでいいんじゃねぇの?
”───だから、《安い》”
「え?」
”『高く売れない』と言われ、母から引き離された。
小さな檻に閉じ込められた。
そして、捨てられたのだ”
「・・・・・・」
”故に、人間は嫌いだ。
信じていいのは、拾って名付けてくれた御主人と、その家族だけだ”
「・・・・・・」
”他の人間は、どうでもいい。
狼に喰われようが、銃で撃ち合って死のうが、アスランザはそれを心配しない。
風が吹いて、枝が揺れるのと同じだ”
「・・・・・・」
ボルゾイの言葉に、感情は無い。
『人間は嫌いだ』と言いつつ、嫌悪感すらもどこか、遠い場所の景色のように。
淡々と───それは悪い意味で、とっくの昔に乾いて固まっていた。
ああ、ちくしょう。
そうか、そういう事かよ。
こいつは。
こいつがどんな環境で生まれ、扱われたのかは、朧気にでも想像は出来る。
『商品』として売られる動物がどうやって増やされてるかは、俺も知っている。
それをやってる人間の一部に、酷ぇのがいるという話も、聞いたことがある。
運が悪かった、という慰めは、冷たいようでも1つの真実だろう。
俺もロクな生まれじゃなかったぜ、とも共感してやれる。
けれど。
それらはあくまで『方法』にすぎず、相手の『望み』とは違う。
運命のせいにすることも、同情されることも拒絶する奴だっている。
こいつは、分厚い殻で自分の心を守っているんだ。
そこに空けた、ほんの小さな穴を通して伝わる『暖かさ』だけを頼りにしてる。
こんなデカい図体してたって、ギリギリなんだよ。
真っ暗闇の中、僅かな明かりを見つめて生きようとしてるんだ。
───そんな奴に、『殻を壊して外へ出ろ』、なんて言えるわけがない。
───言ってしまったらそれは、《死ね》と同じ意味になる。
人探しだってのに、なんでわざわざ人の少ない裏通りにいたのかが分かった。
俺に出会った後で急に『表通り』へ行きたがった、その理由もな。
こいつにとって人間は、ただ嫌いなだけじゃなく。
恐いのだ。
幼い頃のこいつに触れた『手』は、乱暴だった。
とても大きくて、痛かった。
それを憶えてるんだ。
体が育ち、もう人間なんて目じゃないくらい、強くなっても。
心に焼き付いた恐怖は、消えることも薄れることもなくて。
今でも『人間』というものが、恐ろしくてたまらないのだ。
嫌いな狼でもいいから横にいてくれなきゃ、人混みを歩けないくらいに。
───唇を引き結び、まだシャッターの開かない商業施設の前を進んでゆく。
朝靄が晴れ、眩しい陽に照らされている筈の景色。
それが、いつもより暗くて陰鬱な色に思える。
俺の中のゼラも、同じ気分なのだろう。
意識の奥に横たわったまま、何も言わず長い息を吐き出すだけだった。
しかし、鉄道の路線に沿って駅前に差し掛かった時。
突然ボルゾイの頭が、びくん、と跳ね上がった。
”───見付けたぞ!!”
「え?」
”こっちだ!!来い、狼!!”
いきなり右に曲がり、たまたま青信号だった横断歩道に向かって走りだす。
「ちょっ!ちょっと、コラ!!」
速い!
速すぎるっての!
いくら俺が狼でもなっ、2本脚で走るにゃ制限が、って───ああッ!?
強く握り締めてたつもりの右手から、鎖がすっぽ抜けて。
それに気を取られたせいで、前のめりに転げそうになって。
何とか体勢は戻したものの、その一瞬の間に、結構な距離を引き離された。
「おい!アスランザ!!」
惚れ惚れするようなスピードで、商店街のアーケードに突入してゆく姿。
悲鳴を上げて左右に分かれる人間の隙間を貫き、更に加速。
そして、その先にいたのは。
「止まれッ!!アスランザぁッ!!」
俺の絶叫が届いたのか、振り返る一人の女性。
そこに吸い込まれるように、巨大な白のボルゾイが飛び掛かって───




