446話 I received it 01
【I received it】
”生まれながらに、罪を背負っているから?”
”本質として人間は、争う事をやめられないから”?
違うだろう。
この世に《理想郷》を実現出来ない理由は、そんなものじゃあない。
では、何か?
その答えは、とても簡単だよ。
”君が、諦めたから”さ。
”《理想郷》などありはしないと、『君が』諦めたから”だよ。
ああ、すまない。
君だけじゃなく、私もだ。
私も諦めたから、『君と私のせい』だね。
私達のおかげで、この世には戦争が続くんだ。
悲しみと憎しみが、ぐるぐると永久に廻るんだ。
良かったね、君!
私達は、この世が腐り切っている事を証明しているよ。
カトリックの教えだけが正しいのだと、生きている限り示せるんだよ!
───幼い頃、家族旅行で訪れたオレゴン州の教会で。
───『これ』を自分に言ったのは誰なのか、調べてくれ、と。
彼女からそう頼まれた時、私は心の片隅がチクリと痛むのを感じた。
期待されているのは、《調べる行為そのもの》ではなく、突き止めることだ。
『分からなかった』では、少しも納得がゆくまい。
そして、『分かったのに教えない』のも、良心の呵責に苛まれる。
彼女の記憶の中、はっきりと残っているらしい、前述の遣り取り。
相手は、『黒のカソック』を着用していたという。
つまりは、正式な司祭。
当時6歳の少女に聖職者が諭す内容としては、かなり刺激的だ。
良い悪いを論じるより前に、不適切であろう。
だからという訳ではないが。
私には、《そんな人物はいない》という確信があった。
実際に枢機卿の地位を活用して調査したが、該当者は結局見付からなかった。
それも当然だ。
極端な思想を持つ司祭がうっかり信徒に話した、などは有り得ないのだ。
教会関係者の誰にも言えないような事を子供に吐露すれば、どうなるか。
普通はそれが両親に伝わり、すぐさま『問題発言』として発覚する。
日頃から礼拝で顔を合わせている間柄ではなく、旅行で来ただけの少女だ。
確実な口止めも出来はすまい。
まあ、彼女はたまたま、それを20年間喋らなかったが。
それは、狙ってそうさせたものではないだろう。
結局は私に話したのだから。
要するに。
《理想郷》について奇妙な自説を語った『司祭』など、存在しないのだ。
少なくともその人物は、カトリック教会と無関係な者なのだ。
───もしくは、彼女が私に言った話自体が、偽りか。
───それとも、幼少期に見た夢を現実と錯覚してしまったのか。
それを見極める確実な手段は無い。
無いが故、彼女の訴えた事は本当にあった、そう仮定して考察を進めよう。
件の男は、『語り』の冒頭から自信満々だ。
しかし、『自分が理想郷を諦めた』ことより先に、少女のそれを指摘した。
『君のせいだ』と言い放った。
後で『自分もそうだ』と告げたのは、相手の反応を確認してからの付け足しだ。
強いショックを与え、混乱させる。
けれど、『仲間がいるのだ』と安心させる。
これは、《洗脳》の基本課程を思わせる。
ただし、《焼き込む》為の、『繰り返しの部分』が無い。
彼女が全内容を憶えていて、且つ、全て私に話したとすれば、短すぎる。
たかが1分、長く見積もっても2分程度の会話で、薬物を使わず洗脳出来るか。
出来はしないだろう。
そんな事は、誰にも不可能だ。
───しかし、彼女は殺した。
───”どうせ、現世は無価値なのだから”、と。
───”自分は今、それを証明しているのだ”、と。
───戦場にてあらゆる武器と手段を用い、力の限り殺人行為に励んだ。
『司祭』との話を私に告白した時、彼女は否定しなかった。
”本当にあった事か分からないけど”、と笑いつつも。
その内容が今の自分の考えとは異なる、とは一度も言わなかった。
彼女と『司祭』との邂逅に、意味が無かったとは言い難い。
事実、彼女は殺したのだ。
影響を受けなかったと言い張るには、かなりの無理がある。
想像だに出来ない手法により、彼女を《洗脳》したにせよ。
単に会話しただけにせよ。
男の行動は、自分自身の社会的なリスクを明らかに無視している。
そんなものは気にも止めず、最小限のアクションで目的を果たそうとして。
『確実に果たせた』と信じていて。
だから、その日以降は二度と彼女の前に現れていない。
そして彼女は実際に、『そうなった』。
偶然の出会いという線は、薄い。
何故なら、前後3年間で類似した事件が一件も無いからだ。
試行や未遂や、味をしめての連続的な行動の形跡が、全く見当たらない。
その男は、何らかの『条件を満たす者』を選定してから、声を掛けたのだろう。
旅先の教会で、わざわざ教会関係者のふりまでして。
彼女の地元でそれをやらなかったのは、自分を探し難くする為。
というより、彼女が探そうとするのを諦めさせる為か。
カソックを着て、堂々と『司祭』を騙る役者っぷりの割りに。
身元を追求されるのは、とても嫌とみえる。
その部分は、リスクとして認識しているらしい。
姿を眩まし、逃げ切れるだけの自信が無い───いや、違うか。
これは、手引き書だ。
男の意思や感情とは別の、定められた規則に従っている。
つまり。
《やった》のは単独でも、属している『組織』があるということ。
───では、その『組織』の目的は?
彼女の経歴は、とっくの昔に調査済みだ。
西アフリカと中東の各地を転戦し、背筋が凍るほどの数を殺している。
傭兵として報酬を受け取り、5年の間、好きなだけ殺戮を繰り返した。
提示される額にこだわらず、楽しめるなら劣勢な側にでも雇われた。
彼女はその行為を、《異教徒殺し》と呼び。
私を含めた8名の枢機卿も、それを額面通りに捉えていたが。
この奇妙な昔話を聞いた以上、考え方を改めねばなるまい。
彼女は卓越した戦闘技術で、手当り次第に殺せる。
迷い無く殺す。
《一人十字軍》と呼べるほどの、出鱈目な戦力を有している。
だが、それなら『組織』は、もっと有効的に彼女を使うべきだった。
気ままに戦わせるのではなく、一番手強く憎い集団にぶつけるべきだった。
そうしなかったのは。
そうなるように、修正しなかったのは。
国も人種も、宗教、宗派も、最初から関係無かったという事。
誰でもいいから、とにかく大量に殺させたかったという事。
”大量殺人をしたい”という人間なら、探せば何処の国にでもいるだろう。
本当に実行するかは、別としても。
しかし、”大量殺人をさせたい”と考える者は、相当な異常思考の持ち主だ。
人間全体を、俯瞰して見ている。
己を、より上位の存在だと自覚している。
───おまけに、『時間の感覚がおかしい』。
6歳の彼女が成人し、海を渡って戦地へ赴くまで、約12年。
殺しをやらせたいなら、それなりの者をそれなりに仕立てるほうが早い。
12年あれば、何千人、何万人も訓練して激戦区へ送り込める。
そうやって殺させたほうが、合計で彼女の殺害数を上回る筈だ。
その『組織』は、12年という長い年月を気にもしていない。
”殺させたい”のに、最大効率を考慮するつもりもない。
まるで、『遊び』だ。
彼女一人でどこまで殺せるか、それを眺めて楽しむ『遊び』。
もしくは、『実験』。
───彼女が旅先で出会った『司祭』は。
───非常に高い確立で、《人間ではない》。
その時、彼女以外の目には映らなかった筈の、《何か》なのだ。




