436話 はまる音 05
「ミシェルは当然として。
ハリソン監督も、私の事を微塵も疑っていなかったわよ?」
「俺が知っている限りじゃ、大物監督だが業界一の変わり者、って噂だけどな。
そういう部分でも大物かよ」
「丁度良い機会だから、『例の回』の話を聞かせてもらったの。
《エールケン・ベリ》を連呼するシーン。
あれって本来は、カメラが寄って女優の顔をアップ、だったけれど。
撮影役が怯えているのを見たミシェルが、咄嗟にアドリブで自分から近付いて。
壁際まで追い詰めてゆくのを、画が乱れても構わず続けさせたのが監督。
それが、《たった5分32秒で終わってしまった》理由はね。
誰も撮影役を救出出来ないよう立ちはだかった監督を、皆で引き倒して。
無理矢理に現場から叩き出したから、だそうよ?
”12針ほど縫った”って、笑ってたわ」
「そこまでされる前に相当暴れてるだろ、監督も。
『奇蹟のメイキング』と喝采するには、ブッ飛び過ぎだぞ」
そりゃあ確かに、あの回は凄まじいインパクトだった。
記憶に焼き付いた。
ネットでの評判だって、賛否両論にしても膨大なコメントが付いている。
生放送じゃなくドラマなのに、『TV史上最大級の放送事故』と呼ばれてるしな。
この裏話、『公式本』の第二弾に掲載されるんだろうか?
俺としては───ううむ。
一応、感謝はしておくべきだな。
そのおかげでレンダリア様が、『こちら側』へ出て来れたのなら。
「───それで、話を戻すが。
結局さっきの分の『カチリ』とやらは、何だったんだ?
この先、何がどうなるって?」
「そんな事ぁ、知るもんかい」
「え」
「あたしゃ、預言者じゃないんだよ。
ただの、しがない婆ぁだ。
物事がどう上手くいったかは後々、その時にならなきゃ分からないさ」
「そうは言ってもな。
『カチリ』の時に、俺も同席していたわけだ。
自分に関係しているかもしれないと思うと、どうも」
「余計な心配はしなくても良いのよ、ヴァレスト。
貴方の事は、私が面倒を見るから」
「『面倒』って、いや───その」
「ちゃんと幸せになれるように、私が計らってあげるわ」
全面的支援、て事か?
男としてのプライドは、ともかくも。
その言葉と笑顔は、本物に違いない。
それは分かる。
俺は───過去に似たような体験をした憶えがある。
まさに、うちの姉貴だ。
レンダリア様は、姉貴と同じだ。
心の底からの、《純粋な好意》。
要するに、まったくもって手加減が無い。
結果を出す為なら、猛スピードで反対車線へ突っ込んでゆくタイプだ。
「気持ちは嬉しいが、俺は」
「大丈夫よ」
「そろそろ、腕を離し」
「駄目」
「──────」
全ての抵抗が無駄に終わり、諦めの境地へと入る俺。
「・・・もう一杯、淹れてこようかね」
木製のトレイに空になったカップを3つ載せ、立ち上がるアニー。
そして。
こちらに背を向けたまま、こぼされた台詞。
「本当に、しっかりとそいつの世話をしな、レンダリア。
あたしの代わりに」
「!!」
「───あら。ヴァレスト、顔が赤いわよ?」
「今日は、とても天気が良いからな」
「即答するほうが不自然よね、この場合は」
「──────」
「ふふ」
ああ。
俺は紳士として、完璧じゃないさ。
だが。
決して短くはない時間が掛かったにせよ、嬉しい言葉に辿り着けた。
完璧じゃなくても、無意味じゃないのさ。
『カチリ』。
俺の中でも鳴ったよ、アニー。
やっとな。




