429話 Nothing to say 06
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「───勉強なんて、好きじゃなかったわ。
成績はいつも、真ん中より下。
学校から帰ってきたら、鞄を置いてすぐに飛び出すような子だった」
何も映さぬ《鏡》から、声だけが響く。
それはひどく乾いて、平坦で。
微かに自嘲を含んだ、女の声。
「え───何だ、これは。急に語りだしたぞ?」
”しっ!
《大佐》の『紳士的話術』が始まったんだ。
とりあえず、聞いてみようよ”
「まあ、『最終障壁』への攻撃を止めてくれるなら、何でも良いが」
「でも、ある時───どうしても欲しい物があって。
それが何だったかは、もう思い出せないけど。
買うにはお金が足りなかったから、ちょっとだけ頑張ってみたのよ。
単純に、お小遣い目当ての努力ね。
駄目なら駄目で、家事の手伝いでもするしかないか、って。
元々が真面目じゃないんだから、所詮その程度の覚悟だったの」
「その結果───運も良かったんだろうけど、テストは満点。
凄く嬉しかったわ。
夕食に並んだ好物より、渡されたお小遣いより。
”ベル、頑張ったね”って、母様と父様に頭を撫でてもらった事が。
欲しかった物も、それまでの価値観も、全部塗り替えてしまうくらい。
どうしようもなく私には嬉しくて、たまらなかったの」
「───ええ。そうよ、《大佐》。
そこから、何もかもがおかしくなった。
真面目じゃない私が、『御褒美』欲しさで真面目になってしまった」
「のんびり音楽を聴いたり、漫画雑誌を読み耽ったり。
そういう事は、一切しなくなった。
友達と遊ぶこともなくなったわ」
「けれど、足りないの。
『成績が良い』なんて、すぐに当たり前になって。
一番になったら、それ以上が無くなってしまうの」
「だから、生徒会長になった。
先生達の補佐までやり始めて。
周囲からは煙たがられるくらいの、『いい子』になった。
進学専門の塾にも通ったわ。
でも、そこでも一番になってしまったから、足りない。
学校でも塾でも教えない、上級課程の教本を取り寄せて勉強した。
褒めてほしくて。
もっともっと褒めてほしくて、気が狂いそうで」
「───そして、ある晩。
ようやく私は、気付いてしまったのよ」
「──────」
”・・・・・・”
そんな独白に引き込まれ。
いつしか夢中で耳を攲てる、魔王と猫王。
「修学旅行、最終日の夜。
ちゃんと就寝時刻を守り、布団を被って目を閉じたら。
これからの事が頭の中に浮かんだの。
───それは、少しも楽しくなるような未来じゃなかった。
大法院の付属学校に、入学が決定していたけど。
そこで一番になれるかはともかく、そうなるよう努力はするだろう。
卒業して、更に上のエリート課程にも進むだろう。
きっとそれは、今よりもっと過酷な生活だ。
ほんの少しの失敗も許されない、常に指先まで張り詰めるような世界だ。
それでも。
母様、父様に褒めてもらえるのなら、前へ進むけど。
今よりもっと、頑張るけど」
「きっとこれが、最後のチャンスなんだ───そう思ったの。
羽目を外すなんて、ここから先は絶対に許されない。
だから、一度だけ。
一回だけでいいから、思いっ切り楽しんでみたかった。
後で先生達に怒られても。
それを知った両親に叱られても。
それでもいいから。
どうしても自由に遊んでみたくて、たまらなくなって。
私は、変わり身の《自動偽装人形》を残して、夜の街へ飛び出したの」
「──────」
”・・・・・・”
「そうしたら───突然の、『戦争開始』よ。
そんなの、予想できるわけがないじゃない!
気付いた時にはもう、修学旅行生の一行は《緊急ゲート》で天界に戻った後。
私だけで帰ろうにも地獄と天界、両側から『直通転移』が禁止されていて。
どうする事も出来なかったわ。
何もかも、完全に手遅れだったの。
そうして。
たった一度だけ、『悪い子』になるつもりが。
二度と天界に戻れない、『堕天使ベルカーヌ』の誕生よ」
《鏡》から届く声は。
少し湿りを帯びた、悲壮な笑いだった。




