428話 Nothing to say 05
ふあ───
カウンター前に置かれた高椅子の上で、また欠伸。
今はこうして寛いでいるが。
一旦店を開ければ、《大佐》は非常に多忙となる。
常連であれ、一見であれ、訪れる客には等しく頭突きが必要だ。
中には好意のあまり、どうしても撫でたがる者もいる。
本来、猫は『撫でるもの』ではない。
猫が撫でてほしい時に撫でるのが、『人間』なのだが。
しかし、《大佐》は『フロア責任者』。
その上、勝手に弟子入りする悪魔がいる程の『紳士』である。
抜かりは無い。
撫でられた後に、こっそりとその部分を毛繕いするだとか、そんな事もしない。
グルーミングとは、信頼だ。
相互理解だ。
猫を撫でる時。
撫でた者も同時に、猫に撫でられているのだ。
───瞳を曇らせた女性が、溜息を零すこともある。
───そんな時こそ、《大佐》の出番だ。
控え目に言って危なっかしい足取りで、テーブルに上がり。
腹這いになって、総面積の2/3くらいを占有し。
そして女性の腕に、ぼすん、と右前脚を載せる。
《大佐》は、何も語らない。
顔はいつも通りの、(ーwー)だ。
けれども。
猫とは会話出来ない筈の女性の耳には、聴こえてくるのだ。
”冷たい雨が頬を濡らす夜・・・何も出来ない私を許してほしい。
せめて、君と共に濡れよう。雲間から優しき月が輝くまで”
涙と、それ以外の液体が盛大に降り掛かっても、《大佐》は側を離れない。
感極まった女性に抱擁され、それが些か強過ぎたとしても。
《大佐》は抵抗することも、啼くこともない。
ただ控え目に、たしたし、とタップするのみだ。
(ーwー)という表情のまま、冷静に。
───店内が、騒々しくなることもある。
───いつもは仲の良い若い男女が、些細な事で口論する日もある。
《大佐》は、やっぱりハラハラするような足取りでテーブルに上がり。
そのド真ん中に横向きで寝転んで、静かに二人を見つめるだけ。
たったそれだけで、産み落とされる沈黙。
”今宵、君達が別れを決意したのなら。
最後に互いの好ましい点を、交互に言ってみてはどうだろう”
”私にも是非、それを聞かせてもらえないかね”
彼等の耳には、そんな言葉が響くのだ。
どうしてだか分からないが。
何故か、そう言われた気がするのだ。
───《大佐》は、喋らない。
───語る必要は無い、と思っている。
そもそも『紳士』という肩書は、周囲が言い出したものだ。
特別に称賛されるような美点など、持ち合わせたつもりはない。
自分が『紳士』であるなら、それは他の者こそ精進が足らないということ。
常識と礼節さえ弁えれば、誰しも『紳士』『淑女』。
世界は、そうであるべきなのだ。
ふあ───
更に欠伸して、四肢をぐい、と伸ばした時。
5番と6番の席の間が、ぼう、と輝くのが見えた。
「・・・・・・」
どたん、と床へ落ち───降りる《大佐》。
「・・・・・・」
近付いて良く見れば、赤の三重円。
魔王陛下直々、『緊急要請』の召喚陣だ。
我らが王の署名まで入っている。
だが。
《大佐》は、微塵も慌てない。
急がない。
ここまでして呼ばれるという事は、『召喚先』は相当な事態である。
それ故、落ち着いて掛からねばならない。
自分が堂々としていないと、それを見た相手は更に動揺する。
猫は、鏡だ。
猫を撫でて安らぐのは、当の猫がすでに安らいでいるからだ。
───《大佐》は、ゆっくりと目を細めた。
───しかし、元から細いので、そんなに変わらなかった。
「・・・・・・」
のしり。
悠然と踏み出した脚が、陣の中へと入る。
目映い光に包まれた《大佐》の顔は。
相変わらずの、(ーwー)だった。




