427話 Nothing to say 04
・
・
・
・
・
・
・
午後1時、少し過ぎ。
降ろしたブラインドカーテンの隙間から、薄く外の日が差し込む店内。
”洗い物を残さない”、”きちんと掃除をしてから帰る”。
この2つが徹底された結果、店は常に清潔で、すえた匂いが漂うことも無い。
当たり前を当たり前にやってこその、飲食業。
食中毒の発生も、害獣、害虫が出没する事も、断じて許さない。
それは店長と《大佐》の意地であり、誇り。
BARとしてどうなのかをあれこれと言われるより、まずはそこからなのだ。
ふあ───
大きな欠伸。
静かで、心地よい春の午後。
客がやって来る開店時刻まで、あと4時間近くある。
当然、店長を含め従業員は、まだ誰も出勤していない。
今ここにいるのは。
もう8年以上『住み込み』で働いている、《大佐》だけ。
《大佐》は、有り体に言えば──────猫である。
階級でも愛称でもなく、名前が《大佐》である。
光沢のある、青みがかった濃いグレーの毛並み。
顎周りと腹部が少し───いや、かなり恰幅の良い体型。
尻尾は、けっして短くない。
そう見えてしまうのは錯覚であり、断じて《大佐》の責任ではない。
───そして、最も重要なのは。
《大佐》は、喋らない。
発声機能に問題があるのではなく、自分の意思で喋らない。
何があろうと決して、『にゃあ』と啼くこともない。
目を細めて僅かに微笑んだ表情は、いつでも(ーwー)だ。
《大佐》は、『土星帰りの猫』である。
その事は、店長しか知らない秘密である。
人類に先駆け遥かな昔、悪魔と天使は競い合って宇宙へと進出し。
そして、思いもよらぬ問題に直面した。
頑強な肉体に魔力、法力を備え、生物として破格な存在である彼等。
その彼等が。
たった1週間の宇宙滞在で覿面、精神をやられた。
座り込んで膝を抱え、譫言を呟いて、目は虚ろ。
職務はおろか、日常生活すらまともにできない。
この点においては、人間のほうがよっぽどマシなくらいだった。
どれだけ調査しても、原因は不明。
配属者の数、勤務環境や居住設備を変更しても、まったく改善されない。
分かったのはただ、『猫さえいれば大丈夫』。
『いないと、どうにもならない』。
それだけである。
以来、猫にはそりゃもう、大変な需要がかかった。
《探査船搭乗》及び《宇宙施設勤務》は、引く手数多の人気職となった。
三食、おやつ、昼寝付きで、特に何かをやる必要はありません。
一緒にいてくれるだけでオーケー!
自由意思で、いつでも退役することが可能です。
宇宙空間にいる間は、完全に老化や寿命が停止されます。
退役後は勤続年数に応じて、食事や住居、健康の保証を含む様々な特典が!
───さあ!君も我々と共に、宇宙へ行こう!
デメリットは、地上へ帰った時にはもう、知り合いが亡くなっていること。
だが、身寄りが無く、兄弟も飼い主もいない猫ならば、とびきりの好条件。
現在でも募集シーズンとなれば、世界中から問い合わせが殺到する。
遥かな宇宙のロマンと冒険は、そういった猫達に支えられている。
《大佐》が地球を離れたのは、宇宙開発初期の頃だ。
土星軌道上の、『発着基地』兼『防衛ステーション』。
探査船の運用管理と同時に、外宇宙からの攻性生命体を迎撃する最重要拠点。
そこに配属となったは良いが、困ったのは受け入れる側だ。
───《大佐》は喋らない。
───だから、名前が分からない。
”おい”とか”お前”では駄目だ。
せっかく志願してくれた猫に対し、非常に失礼だ。
それに、ちゃんとした呼称が無いと、勤務にあたり様々な支障を来す。
どうするか。
どうする。
誰か、彼に素晴らしい名を付けてやれる、気の利いた奴はいないのか。
皆が悩んでいた、その時。
司令長官を務めるダグマイアー中佐が、ぼそりと呟いた。
”それにしても、凄い。
なんて太ま───いや、威厳たっぷりの猫だ。
俺なんかより、よっぽど風格があるじゃないか”
隣にいた副官は、その発言を全く否定しなかった。
というか、全面的に肯定した。
”ははは!確かにその通りで!
じゃあ、1つ上の《大佐》にしたらどうです?”
かくして《大佐》は、階級のような名前を貰い。
正式な書類にも、そう記載される次第となり。
勤続年数、618年。
内、探査船搭乗期間、121年。
宇宙空間滞在の最長記録として、いまだ破られぬ偉業を果たした。
ちなみに。
『昇進』の話は、何度も出た。
宇宙にいる間も、帰還した後も。
何も知らぬ人間の常連客まで、名前的な意味で《大佐》を昇進させようとした。
だが、《大佐》自身がそれを受け入れなかった。
《少将》と呼んでも、《中将》と呼んでも。
ついには《大将》《元帥》まで持ち出したが、駄目だった。
《大佐》は、《大佐》以外の名称では決して応じない。
顔は(ーwー)のままだが、振り向かない。
聴こえている筈なのに、尻尾の先端さえ持ち上げない。
───今の名前を、余程気に入っているからか。
───『宇宙帰還者』としての誇りか。
もしかすると。
今も土星に居る件の司令長官が、所謂『万年中佐』なせいか。
理由はともかく、《大佐》は《大佐》である。
生涯寝ていても困らない、最上級の恩給を受けていても。
働かざるを良しとせず、誰かと関わる事を好む猫である。
初めて訪れた客は大抵、”ロシアン・・・ブルー??”と疑問系になるが。
別に《大佐》は、そういう種類ではない。
あと、猫種の判定をする際に体型を加味するのは良くない。
《大佐》は、《大佐》である。
やや太ま───いや、存在感の漲る猫である。




