426話 Nothing to say 03
・
・
・
・
・
・
・
───New-Wave Grand BAR 《Tender Ocean》。
特段、見つけにくい場所にあるわけではなく。
店内が窮屈であるとか、雰囲気が特殊だということもないのだが。
その名を知っている者は、さほど多くない。
故に、入ったことがある者となれば、本当に僅か。
”ここバーミンガムで『良いBAR』といえば、どこか”。
道行く人にそう尋ねれば、50人目になっても名前が出てこないレベル。
つまり、有名ではない。
だが、誰も訪れず潰れかけている状態でもない。
───この微妙な立ち位置の原因は、イギリスならではの事情に由来する。
21世紀になって、かなりの年月が経ち。
世界は日々、目まぐるしく変わっている。
ついこの間までの常識は非常識、訴えられたら社会的制裁。
スマートフォンを前提とするサービスが、操作に慣れぬ高齢者を追いやり。
AIの処理速度と精度は、かつての軍事競争並みの勢いで向上を続けている。
けれども、イギリス人は『変わらない』。
良くも悪くも、『頭が固い』。
イギリスにおけるBARというものは、コミュニティーである。
単にアルコールが提供される場所ではなく。
文化であり、社会的立場であり、自らのパーソナリティーを示すものである。
そして。
《BARに行かない》という選択肢は、基本的に存在しない。
新社会人の息子が仕事を終えて真っ直ぐ自宅へ戻ろうものなら、大事だ。
ほろ酔いで帰宅した父親が妻からそれを聞かされ、一瞬で酔いが醒め。
普段は小言ばかりの祖父も孫の為、馴染みの連中を頼ろうと躍起になる。
医者から酒を止められているのに、脚を引きずり『昔の店』へ顔を出しにゆく。
イギリス人にとって、BARは気紛れでフラリと入る場所ではない。
どこの店の扉を開けるかは、どんな会社で働くかと同じくらい重要である。
一箇所に留まりすぎると、”面白みのない、浅い奴だ”と思われる。
頻繁に店を変えれば、”嫌われ者、流れ者だ”と囁かれる。
この匙加減を上手くやれてこそ、一人前。
逆に言えば、そんな事ぐらいで『人間性』にまでケチを付けられてしまう。
そこに加えて───《Tender Ocean》が不人気なのには、明確な理由がある。
『通常のイギリス人の感覚』からすれば、
まず、表通りに堂々と看板を出しているのが、何か気に入らない。
そして、店内が狭くないのが、どうにも気に食わない。
更に、何となく居心地が良いのが、やたら癇に障る。
もっと言うと。
名前の頭に付いているNew-Waveという言葉で、胃がムカムカする。
この、《ちゃんとした言い掛かり的な理由》。
それが奇しくも、イギリス人というものを如実に表している。
要は、伝統的かつ、やや閉鎖的なものにこそ安心感を得て。
新しいもの、見慣れぬものは迂闊に信用しない。
遠ざける。
それは単なる『懐古主義』とも違う。
好き嫌い以前、彼等は本能的にそういう方向なのだ。
どれだけ時が流れど、これは『過去の風習』『昔の話』ではない。
今もイギリスに根付く『現状』。
他国で育った者には分からない、目には見えぬルールなのだ。
しかし、当然ではあるが全てのイギリス人が同じかといえば、否。
皆と違う考えを持つ者はいる。
皆と同じに思いながら、けれどそれが叶わない者も存在する。
行く先々のBARで、どうやっても馴染めなかった。
5日寝込んだ後に訪れて、誰からも心配されなかった。
店内で爺い共がやってる賭けに誘われ、断ったら無視され始めたんだが。
ちょっとノートPCを開いただけで、何で溜息つかれなきゃならねぇんだ。
わけが分からないまま、コミュニティーから弾かれた悲しさ。
悔しさ。
そういった不満や疎外感を抱える者達が、何故か最後に辿り着く店。
”もう一度行ってもいいな”が、”ここじゃなきゃ嫌だ”に変わる場所。
───それが、《Tender Ocean》。
───殆どのイギリス人にとって近寄り難く、胡散臭いBAR。
《大佐》は。
そんな奇妙なBARの、『フロア責任者』である。




