406話 禁断の箱 01
【禁断の箱】
俺という奴は、一般的な社会常識を身に付けている。
上っ面なんかじゃない。
様々な局面で通用する、かなり高レベルの立ち振舞が自然に出る男。
その辺の通りを歩くだけでも、明らかに一流だが。
うっかり『お高い店』に入ろうと、周囲から浮かない品格を持ち合わせている。
そりゃあ、随分と長い間、地上暮らしだ。
そこらの『新米悪魔』とは、人間と関わってきた年季が違う。
礼節や細やかな心配りは、地獄よりもこっちで学んだと言って良いくらいだ。
当然、ナチュラルにフレンドリーで、紳士的。
誰かが困っていれば、すっ、と傘を差し出し。
何も言わず自分は悠々、濡れながら帰る。
俺は、そういう奴だ。
自分で言うのもなんだが、なかなか大した奴なのだ。
しかし、そんな俺でさえ、『完璧』とまではいかない。
初対面の相手に、緊張する時だってある。
どうしていいか分からず、若干おかしな口調になることさえ。
ただ、それは向こうが男だった場合の話。
───そう思っていたんだけどな。
───これまでずっと。
現在俺は、愉快な相棒の口癖じゃないが。
ピンチの真っ直中だ。
テーブルを挟んで対面する、ファーシェンと名乗った女性。
見た目は完全に子供だが既婚者というギャップに、どうにも対処しかねている。
「日頃より、娘が大変お世話になっております」
「いえいえ。こちらこそ、いつも力を貸していただいており」
「不出来な子ですから、きっとヴァレストさんにご迷惑をかけているかと」
「いや、そんなことは」
咄嗟に俺が、『事実とは異なる』答えを返した理由。
その半分は、左前の席で微かに震えているリーシェンが、何だか哀れだった事。
そして残りは、あれこれ考える余裕など無かったからである。
「わたくし、子供達とは離れて暮らしていまして。
この子はその中でも、一番の問題児なんです。
妹達の模範となるどころか、真っ先に地上へ飛び出してしまって」
「ですが、ミュンヘンの中でも彼女の一派は、トップに位置していますから。
素晴らしい実績で、皆を惹き付けるカリスマも備えていらっしゃる。
参考にすべき事が多くあり、感嘆する日々ですよ」
まあ、これは『社交辞令』という名の嘘だ。
前半はともかく、最後あたりは完全に真っ赤な嘘である。
リーシェンが、”もっと!もっと褒めて!”と視線で訴えているが。
悶絶モノのエピソードを美談に変換して、綺麗に仕上げる自信は無い。
そこまでは、やりたくもない。
「けれど、それも一派の皆さんの力添えがあればこそ。
優秀な方々に支えられているだけであって、この子の実力ではありません」
「───いや(ハイ)」
大正解!
拍手で讃えたいところだが、心の中に留めておこう。
少し俺にも、掠ってるような気がするし。
「《如何にして手を抜き、逃げ出すか》。
そういう事ばかりを真剣に考える、不真面目な子です。
根っからの、『駄目悪魔』なんです。
どうせ仕事もせず、日々を怠惰に過ごしているのでしょう。
その行いが、どれだけ周囲に負担を掛けているか」
「───いや(ハイ)」
うっ。
マズい。
結構、被弾し始めたぞ。
「・・・わたし、ちゃんとやってる」
おそらく、相当に勇気を振り絞ったのだろう。
カタカタと震えながらも、リーシェンが言い返した。
「こうみえて、点数も。自分のぶんは自分で、かせいでる。
めいさいしょを出してもいい。ほんとう」
なッ!
何だとッ!?
お前、そういうのに関しては『俺と同じ』じゃなかったのかよッ!?
「そんなものは、悪魔として当然。最低限の義務です。
一派を率いる者なら、それ以上をしてからようやく評価されるのです。
よくもまあ、ヴァレストさんの前でそんな恥ずかしい事を言えますね?」
「・・・・・・」
多分、こっちを見るだろうリーシェンから、素早く視線を逸らした。
滅茶苦茶、痛い。
俺は常々、マギルの嫌味に耐え忍び、打たれ強いほうだと自負していたが。
初対面の女性に少しも悪意無くブチ込まれるのは、痛すぎる。
直撃で突き刺さってるぞ、これ。
「どこを見ているんです?こっちを向きなさい、リーシェン。
”ちゃんとやってる”?
それなら、先月の収支は?控除額は?
具体的な数字を言ってみなさい。
全部誰かに任せて自分は把握していない、そんな事はまかり通りませんよ?
《一派の長》として」
「・・・・・・」
(──────)
いや。
まかり通───してるんですよ、それを。
それでも、何とかなるんですよ。
上に立つ者がある程度気を抜かないと、こう。
組織の雰囲気とか、その。
必死に心の中、言い訳の弾幕を張る。
ああ。
どうして俺は、リーシェンの母親に追い詰められているんだろうか?




