398話 学習帳 1ページ目 01
【学習帳 1ページ目】
それはおそらく、『山小屋』だった。
もう長らく、まともに使われておらず。
最近は《まともでない》使われ方をされている、『山小屋』の成れ果て。
壁と屋根がある事以外、何も期待するなと言わんばかりの外見で。
中に入ってみれば当然の如く、想像を裏切らない惨状。
廃屋と表現するだけでは、まだ足りない。
倒壊寸前の『木の囲い』。
もはや《まともでない》者達しか入って来ない、危険区域。
元が何か分からぬ残骸とゴミが散乱する、朽ちた床板。
それを踏み割らぬよう、慎重に進むブーツの歩み。
荒れ果てた内部をぐるり、と見回して。
男は全てを納得したような表情とは真逆の言葉を、ぽつりと漏らした。
「───分からんな。
どうしてこうなったか、さっぱり分からん」
”一部始終を見てきた私からすると、その台詞が出る事のほうが理解不能だぞ”
言い返したのは、多くの者には聞こえぬ声。
ぴったりと壁際に張り付いて背を向けた、白ネズミが発したものだ。
「よし。一旦、状況を整理しよう」
”それこそ、何故だ。
この期に及んで私に説明させる気かね、ご主人”
「お互いの為だろう。勿論、君の優しさに期待する訳だが」
”・・・・・・”
ネズミは、何も言わなかった。
言わないまま。
肌色の長い尾でパシン、と床を叩いた。
「それで。どうなのだね、ラッチー」
”・・・まず、我々の『任務』は無事に成功した”
「うむ。そうだな。
初回ゆえ、きっと《同志ベリーリ》が容易な案件を回してくれたのだろう」
”成功したのに、どうして山へ入る必要があったのだ”
「予定よりずっと早く終わってしまったからな。
ホテルへ戻ったところで、暇を持て余すのは目に見えていただろう?」
”そうではない。
私は、暇つぶしの舞台に山を選んだ理由を聞いているのだよ”
「『今年は暖冬だ』とか、皆が騒いでいるじゃないか。
それならば、熊はちゃんと冬眠出来ているのかと、急に心配になってだな」
”・・・・・・”
「眠れない熊達が人里へ降りてきたら、被害が出るだろう?」
”一応は、よくもそんな事に思い当たった、と褒めておこう。
しかし、だ。
ご主人が見つけたのは熊ではなく、《山賊》だった”
「うむ。あれは紛うこと無き、《山賊》。
今の時代にもいるものだな、と妙に懐かしさが込み上げてきたのだが。
近隣の村を襲う計画など小耳に挟めば、放っておく訳にもいかん」
”せめてそこで、然るべきところに通報すれば良かったのだ。
それが『普通の人間』としての対応だろう”
「まあ、それはもう過ぎた事であるし、さておいてだ」
”・・・・・・”
「私は冷静に、優しく彼等を諭した。
なのに向こうは聞く耳を持たず、不遜な態度だった」
”山賊とは本来、そういうものではないのかね。
付け加えるなら、言動で聖職者と見抜かれたが故、余計に嫌われたのだろう。
人質にして身代金を要求するのも、面倒だと”
「さりとて、あの時点ではさほどの緊迫状態でもなかった筈だ。
それなのに、どうしてだか山賊達が急に怒り始めた」
”・・・ご主人は、自分が彼等に何と言ったか憶えているかね”
「勿論だとも、ラッチー。
『山賊というものは、まるでゴキブリだな』、と。
一字一句違わず、そう言ったさ」
”怒るに決まっているだろう、それは!”
バシン、とネズミの尻尾が打ち鳴らされた。
「いやいや、悪意や蔑みなど含んではいないぞ?
ゴキブリとは、古代から現代に至るまでほぼその構造を変えずにいる、と聞く。
山賊も、ローマの時代から変わっていないのだな、と。
そういう意味で言ったのだ」
”心の声は届かぬのが道理だ。
届いたところで、結果は同じだったろうがな!
そういうのを口に出す事自体がもう、駄目なのだよ!”
バシ、バシ、とまた床が叩かれた。
「それはそうと、ラッチー。
どういう理屈なのか分からない出来事が、一つあったのだが」
”・・・・・・何だね”
保護者たる白ネズミは、あからさまに嫌そうに目を細め。
そして、相手の耳に届いても構わないという大きさで溜息を落とした。




