396話 そして、必然 03
「しっかし・・・これから先、『地上界』はどうなっちまうんだ・・・」
「いいじゃない、どうなっても」
あっさりと、本当にどうでも良さそうに笑う《悪魔》。
「それに、『こちら側』へ出て来たからって、大した問題は無いでしょう?
変わった事といえば、月の裏側に私の居城が建ったくらいかしら」
「・・・まあ・・・うん」
『公式本』の記述を思い出しつつ、こっそりと溜息。
それなぁ。
十分に大問題だよ、レンダリア様。
最近は、各国こぞって月面調査を進めてるんだぞ?
城なんか発見された日にゃ間違い無く、おかしな方向にゆくって。
異星人だの、地球外文明だのと。
いや。
それよりもっと、重要なのは。
「なあ・・・『こちら側』で、人間を食べるつもりなのか?」
「勿論、食べるわよ」
「おい!!」
「ただし、《私に食べられることを納得した者》のみね」
「しかし、それは」
「心配性なお前には、説明しておいてあげるけれど。
私が物語の中で、嫌がり泣き叫ぶ人間を食べた事なんて、あったかしら?」
「・・・・・・」
「同族なら、容赦無く殺してきたわ。
明確な理由があろうと無かろうと、大抵は気分次第でそうした。
それでも、食べられることに納得していない人間を食べたのは一度も無い。
そんなことは、アニーに許可されていないのよ」
「喰われるのを受け入れるとか、そんな奴が本当にいるのか?
それも、物語じゃなく、現実の世界に?」
「出て来る時に、少しだけ確認したのだけれど。
それなりにいるみたいね。
あと───《私に一部を食べてほしい》、それ自体が『望み』という者達も」
「ええっ!?」
「《一時でも会えるなら、対で存在する全器官の片側を捧げる》。
彼なんて、とても純粋で情熱的だわ。
名前と祭儀長の地位を与えて、居城への出入りを許してもいいかしら」
「・・・望みを叶える代償に、肉体の一部を受け取る・・・」
「ええ、そうよ。それが《悪魔レンダリア》という存在」
「誘惑や、脅迫は」
「そうする事に、何の意味も無いわね。
私は《食欲によって食べたい》のではなく、《役割だから喰らう》のよ」
「・・・・・・」
ああ、それは。
同じだ。
『こちら側』の悪魔達と。
願いを叶える代わりに、魂の一部を削り取る。
脅しも唆しも無しで、《仕事として》粛々と対応する。
人間の立場からすれば、捧げるのは『魂』と『肉体』、どちらが良いのか。
それを一概に断ずる事なんて、出来はしない。
どちらだって、同じだ。
どちらもが不利益であり。
だからこそ、自分では摑めない何かを、手に入れられるのだ。
「・・・分かったよ、納得した」
「宜しい。
まあ、お前が悲しむような結末にはならないから、安心なさいな。
物語の中でも、私が食べた人間で《より不幸になった者》はいないのよ?
私を喚ぶ時点で十分に不幸だけれど、その先の不幸は確実に回避したわ」
自信満々で言い切る、レンダリア様。
一撃で相手を『のした』時の姉貴みたいな顔だ。
「ただ、唯一の例外はアリサね。
あれはグランツの妨害もあって、途中で終わったから」
「皿に載ったヤツを、グランツが回復の呪符で体内に戻したんだよな、確か」
「ええ。彼は良かれと思って、そうした。
その結果、彼女は望まぬ子を妊娠したわ」
「・・・アレってやっぱり、そういう意味だったのか・・・」
立ち去ってゆく男の背中にアリサが呟いた台詞が、今でも耳に残っている。
”───死んでしまえ、人でなし”
あの時。
彼女が本当に望んでいたものは、『誰かへの復讐』ではなかったのだ。
「人間が悪魔を喚ぶのは、《欲》に囚われたせいだけではない。
『悪魔歴』の長いお前なら、もう十分に知っているでしょう?」
「・・・ああ、そうだな。
だから割り切れなくて、苦しいことも。
忘れたくない、大切な思い出になることもあるよ」
「ふふ。
前々から思っていたけれど。人間が大好きなのね、ヴァレスト。
『ニンゲン病』って名付けたいくらいに」
「おお!それ、何かいいな!
凄くいい、嬉しくなっちまう言葉だ」
「あら。流石、私だわ。
アニーに似て、文才があるみたい。
ああ。
そういえば一つ、言い忘れていた事があった」
「ん?」
「出て来る時に、どうしてだか巻き込まれて。
一緒に『こちら側』へ現れてしまった者がいるのよ」
「もしかして、グランツか?」
「いいえ。
ピーターソンよ」
「・・・誰だ、そいつ」
「特に気にしなくてもいいんじゃない?
無害で真面目な、ごく普通の奴だから」
「はあ」
「───さて。
それじゃあ、お話はお終いね。
そろそろ《探しもの》を見つけに出掛けるわ」
「何だ、探しものって」
「彼女の目的、《絵描き》の男よ。
『こちら側』へ出た私からすれば、義務も特別な感情も無いけれど。
《物語》がどう作用したのかは、興味があるのよ」
ああ、例の爺ぃか。
そういや、アニーが凄く拘ってたよな。
・・・確か、アイツって今。
ちらり、と左後ろを見ると同時。
傅いたまま顔を上げず、マギルが言った。
「件の者は現在、東マレーシア西部のクチンにいるようです」
「───ふうん───そこの悪魔、名は」
「直言、失礼致しました、レンダリア様。
私はマギルと申します。姓無き身で御座います」
「そうか。
───マギルとやら、貴様に褒美を取らそう」
レンダリア様の手が、何かを放った。
粗雑な仕草だが、宙を飛んだものは羽のようにふわり、と静かに床へ着地した。
「それは、常に持ち歩いてきた愛用の品だ。
私を信奉する者達に、大いに自慢するがいい」
「はっ。有難き幸せ」
モノトーンのそれを受け取り、恭しく感謝を示す秘書。
あれ?
こんなカッコいい光景を見るの、初めてだぞ?
こういうの、一度も体験した事が無いんだが?
俺って一応、ボスだよな?
時々はそれ、やってくれてもいいんだぞ?
「じゃあ、御機嫌よう、ヴァレスト。
また近いうちに、会いに来るわね」
目の前でざあっ、と霧のようにその輪郭が溶け、薄れてゆき。
「私はアニーの、《一番良い部分》。
だから、アニーと完全に同じではないのよ。
───お前一匹くらい、受け入れる事も出来るわ」
最後の最後で。
謎めいた、いや、少しばかり古傷を抉る言葉を残して。
《悪魔レンダリア》の姿が、完全に消え去った。
栞を挟んで閉じられた、《物語》のように。




