392話 笑う仮病者、笑わぬ仮病者 04
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───かたん。
微かな音が響いて。
ベッドの上に半身を起こしていた男が、すっと顔を上げた。
正面の壁、天井近くの高い位置。
拳大の円い押し蓋が開いて、『侵入者』が顔を出している。
視線が合うと『それ』は、ニコリともニヤリともとれる笑みを見せ。
ぼたり、と流動体じみた動きで壁面を伝い降りてきた。
そして、ぶるぶるっ!と身震いし、体に付いた埃を落とす仕草。
「───おかえり、キング」
”ただいまー”
キングと呼ばれた猫は板張りの床を、すす、と爪音も立てず歩き。
華麗なジャンプ一発でベッドへ飛び上がった。
茶色がかった灰色の毛並みに、薄い黒のストライプ。
手足と尻尾の部分は特に、縞が濃く走っている。
体付きや動作は、ワイルドキャットと呼ばれる種よりも更に野性味を残し。
けれど一般的なイエネコと同じ愛嬌のある顔立ちで、軽く男の腕に頭突き。
”ざっと回ってきたけどさ。ネズミがうろちょろしてたよ”
「どんなネズミだ」
”赤い仮面を被ったネズミと、そいつらに従う小ネズミさ。
君の診療記録を漁ったり、一番奥の扉を開けようとしてたね”
「ふむ」
”まあ、どうやったって『魔導原型核』には触れないけどさ”
猫は男の横、黒と金の掛け物にごろん、と横になった。
ちょっと場所を借りる、という遠慮がちな態度ではない。
むしろ、このベッドは自分の物で、男に貸してやっているのだと言わんばかり。
それから優雅に、丹念に毛繕いを始める。
”ところで君、さっきから何を読んでるの?”
「ああ、これは小説───のようなものだな」
”『ような』ってまた、微妙な言い方だね。一体どんなお話?”
「普通とは違う方法で生まれた《新しき吸血鬼》が、《古い吸血鬼》と戦い。
それらを従えて国を興す、というストーリーだ」
”面白いの?”
「いや───少しも。
物語の進行に意表を突かれる部分が、何一つ無く。
登場キャラクターの誰にも感情移入したり、応援する気になれない。
文体の癖が強い割に、それを生かせるような表現力も皆無。
率直に言えば、趣味のレベルにしてもこれはないな、という感じだ」
”・・・・・・”
「読んでみるかい、キング」
”やだよ。そこまで聞いちゃったら、何が何でも読みたくないよ”
「私だって読みたくはないのだが。
いつの間にか続きがここに置いてあって、困っているんだ」
”うわぁ。傍迷惑な作家もいたもんだねー”
ぐっと拡げた指の間を丹念に舐めつつ、猫は目を細めた。
それは呆れたような、楽しんでいるような。
気ままで自分勝手で、それでも思わず手を伸ばしたくなるような表情だった。




