389話 笑う仮病者、笑わぬ仮病者 01
【笑う仮病者、笑わぬ仮病者】
基本的に、ある程度の時間働いた者は休むべきだ。
否、必ずや休まねばならない。
健康の為。
生産性を維持する為。
休息は絶対に必要である。
労働法により、労働者の権利、及び雇い主の義務として定められている。
それは人間に限った話ではなく、悪魔とて同じだ。
人間達がこういう問題に手を付けるより、遥か前から確立している常識。
厳重に法整備され、誰もが当たり前に受け入れている事。
───なんて言えば、聞こえは良いのだが。
現実としては、人間のそれと大差が無かったりする。
監査機関が入ろうと、罰則が課せられようと、労働違反が絶えることはない。
ちゃんとした所は遵守しているが、そうでない所は気にも掛けない。
悪行が発覚して逮捕者が出て、ニュースになってすら皆の反応は希薄だ。
”ああ、やっぱりな”。
”知ってたよ、あそこは以前からブラックだって噂だったし”。
そりゃあ、色々と事情はあるだろうさ。
景気がどうこうとか、中小は厳しいとか。
それを言い訳にする雇用主の嫌らしさ。
稼げるなら構わないという姿勢の働き手だって、同罪だ。
───しかし、ミュンヘンにおける有力組織であるウチは違う。
《大手》とは、単にデカくて強いだけの集団を指すのではない。
抜けたくないほど待遇が良く、募集をかけずとも希望者が殺到する。
つまりは、福利厚生が充実した、健全な職場であることが《大手》の条件。
ウチだと、昼食時の一時間のほかに、もう一時間分の休憩がある。
それは纏めて使ってもいいし、何回かに分けても構わない。
休憩室、仮眠室等も完備されているが、それを使わないのもまた自由。
アジトから出て外で何か小腹に入れてこようと、誰も文句は言わない。
正当な権利だ。
そういうルールだから、堂々と行使していいのだ。
現在、これをちゃんと守っていないのは、一名のみ。
ボスである『馬鹿蜘蛛』だ。
勿論、働きすぎている、という意味ではない。
当然、その事に対しては繰り返し注意しているが、全く効果無し。
馬鹿というものは無敵であり、世の道理を説いたところで自省しない生き物。
───それに加えて、周囲が『アレ』だ。
ウチの連中は、その。
俺以外、全員『アレ』なんだよ。
筋金入りの、高レベルの。
ボスに説教してるのなんか見られた日にゃ、必ず奴等が言い始めるわけだ。
涙ぐんで。
”カルロゥさん、もう勘弁してください・・・ハラハラしますから!”
”カルロゥさん、もう・・・いや、あと少しだけ・・・ハラハラしますから!”
俺は、その『ハラハラ』の詳しい意味を考えたくない。
説明してほしくもない。
良い塩梅で盛り上げるとか、誰かを喜ばせる為に叱ってるんじゃないのだ。
ただ、”ルールを守れ”と言いたいだけなのだ。
皆、気のいい奴等だが、この一点に関しては味方ゼロだ。
ウチは特殊なのが集まり過ぎた、特殊な大手。
時々、『何が正常なのか』『間違っているのは俺なのか』と悩んでしまう。
俺も結構、ストレスがキてるらしいな。
───デスクの時計を見れば、10:52。
あと一時間ほどで昼時だ。
まだ休憩が必要なほど疲れちゃいないが、書類仕事は一段落したところ。
一服入れるなら丁度良いタイミングだろう。
しかし。
そうするには多少、気が引ける。
今、自分の代わりに『外』へ出てる奴がいるのだ。
そいつが帰って来た時、先に休憩をとっていたら格好が悪い。
些細な事かもしれないが、自分は組織のNO.2という立場だ。
僅かでも構成員に不平不満を持たせるわけにはいかない。
またしても何処へ行ってるのやら不明なボスの分、余計にだ。
まあ、何もせずダラけている、というのも性に合わない。
少し空いた時間は、『少しずつ進めるべき仕事』に当てよう。
来週後半には、有力派連合の会議がある。
大手のみが出席する、非公式な集まり───なのだが。
今回はそこに、話題の《独立国家・『地上の星』》がゲスト参加する予定だ。
早い段階で恩を着せておいて、後々に食い込もうとする悪魔達と。
上手くそれらを争わせ、美味しいところを格安で頂こうとする向こう側。
そのせめぎ合いになるのは、想像に難くない。
連中のミュンヘン入りを主導したミスター・ヴァレストから、話は聞いている。
あちらの元首は相当な切れ者らしく、侮ってはならない相手だ。
そういう奴とバチバチに打ち合うというのは、事務屋として腕の見せ所。
思う存分、鎬を削ってみたいと思いはするが。
しかし、残念な事に『一騎打ち』は不可能だ。
他の大手が同席している以上、あまり手の内を晒すのはマズい。
それでなくともウチは今、以前よりも勢力が落ちているからな。
発言は控え目にして、基本は様子見だろう。
そして閉会寸前。
『エルフ絡み』で便宜を図れるのを売りにして、気を引くか。
上手くハマれば両者合意の下、会議とは別の場で話し合えるかもしれない。
幾つかの分岐を想定に入れつつ、簡易的なフローチャートを作成していると。
フロアの端で、転移陣が青く輝くのが見えた。
───11:07。
よし、戻って来たか。




