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37話 夢を捨てた者


【夢を捨てた者】



 『人生は、道』。



 使い古され、ありきたりで。

 稚拙と言わざるを得ない表現。



 ───だが、真実だ。



 全ての人間が命ある限り、その道を進み。

 終着地にて倒れ果て、消えてゆく。



 確かにそれは、『道』だ。


 そして、生きてゆく為の制約を『幅』とするなら、道は思いのほか狭い。

 自分自身が制約を付け加えれば、更にそれは狭まる。


 残された自由に感謝する者は、少ないのだろう。

 道を歩むことすら、誰かに強制されていると感じる者もいるだろう。



 ───しかし、私には、不満が無かった。


 ───手の中に握り締めた自由を、全て自分の為だけに使い切ったのだから。


 ───心残りが、何一つ存在しなかった。



 道の上に。

 後藤正臣(まさおみ)という、私と同じ名前の男がいる。


 一歩先に。

 二歩先に。


 地平の果ての、その向こうにまで。

 延々と『後藤正臣』がこちらを向き、刀を構えている。


 私は、無数の自分自身を斬り捨てながら、進んだ。

 それを続ける為、余計なものを()ぎ落とし、純度を高める事に心血を注いだ。



 ───誰もいない。


 当たり前だ。

 道の上には、『後藤正臣』しかいない。


 ───誰にも理解されない。


 当然だ。

 私以外の全ての『後藤正臣』が私を否定し、打ち倒そうとするのだから。




 ───歩き方を変えた。


 人間は、遅すぎるから。



 ───動き方を変えた。


 人間は、弱すぎるから。



 ───呼吸の仕方を変えた。


 人間は。

 いや、後藤正臣は、あまりに脆弱で。


 長い長い道の先にいる、未来の自分達と戦うには非力すぎたから。




 後藤正臣を殺し続けて、進む。


 その行為に、喜びは無い。

 削ぎ落としたものの中に、それはあったのだろう。


 どこまで行っても変わらぬ景色の中、気が狂うことも無かった。

 いつそれを捨てたのか、思い出せもしない。



 ───ただ、予感はあった。


 最初の自由を使って自分が選んだ、この『剣の道』。

 いや、もしもそれが剣ではなく、絵画や彫刻だったとしても。


 己の寿命が尽きる前に、1つの道を最後まで。

 極致まで進みきることが出来たならば。



 “そこに、神が立っているのではないか?”、と。



 そう思ったのは、何歳(いくつ)の時だったろうか。


 喜びに似たその感情は、すぐに霧散した。



 ───どうせ、斬るのだろう。


 ───神にも『後藤正臣』と名付け、ただ斬るだけだろう。




 最早、無常とも、達観とも言い表せない、暗闇だった。


 それでも私は、私という肉体を殺しながら歩いた。




 ───せめて、最後に『神』を倒そう。



(愚かな夢を見ているんだな)



 過ぎ去った道から。

 斬った筈の過去の自分に、笑われても。



 ───そんな夢しか残ってはいなかったのだ。




 未だ、神の姿は見えず。


 されど、私は悪魔と再会してしまった。


 私が殺すことの出来ない、懐かしき『炎の悪魔』に。






 ───勝ち負けならば、決着はしていた。

 それこそ、前回の時点で。


 私が得たものは、雨粒にも満たぬ大きさの『納得』。

 剣奴隷(むかし)の自分よりも強くなった、という事実確認。



 私の、とうに無くした筈の心を揺さぶったのは、言葉だ。


 私がすでに踏破した地点、そこをまだ歩いている悪魔が放った言葉。




「その道は、間違っている」


「進んではいけない」


「ここで死んでほしい」、と。



 私に敗北した剣士が、泣きながら叫ぶ声。




 ───何故、お前がそれを言うのだ!?


 ───同じ道を歩いてきたお前が、何故!?


 ───わたしが間違っているならば、お前もまた間違っているのに!!



 過去において、そして今も殺せない悪魔に対し。

 忘れていた感情が、爆発した。


 (いか)る、という行為と。

 それに伴う痛み。


 胸の内に、耐え難い嵐が吹き荒れた。




 ───ああ。


 それなのに。

 私は、彼女を殺せない。


 誰も、何も愛したことの無い私が。

 億兆の自分を切り刻んできた、私が。


 私より弱く。

 けれども、心を捨て去ることなく進んできた彼女を。



 ───どうしても、殺せないのだ。





 愛を知らぬ男に、愛を語る資格があるはずも無く。


 それでも、彼女を。

 メイエル・ディエ・ブランフォールを。


 美しいと思った。



 見上げた月が、目にしみて。

 ただ、泣いた。



 剣の道の、終わりに。

「マサオミ!ご飯、できたよーー!」


「ああ。有難う」



 読んでいた本に、栞を挟んで立ち上がる。


 テーブルに並ぶ、薄く湯気の登り立つ皿。

 そこに幸せを感じとれるのは、彼女がここに存在するから。



 まだ、上手く言葉には出来ないが。

 それでもこの感情を、少しずつでも彼女に。


 妻である、メイエルに伝えていきたい。



 ひたすらに進んだ、剣の道よ。

 もう二度と手に取ることの無い、無銘の刀よ。



 その全てに、価値があった。

 優しく、強き悪魔と出会う為の。





 私は。


 彼女を愛している───


彼は、これ以外に幸せになれる方法がなかった。

そんな気がします。

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