370話 不遜な英雄 01
【不遜な英雄】
もっと、給料が欲しい。
福利厚生が充実し、待遇の保証された職場で働きたい。
誰もが、そう願って。
切実に、もしくは惰性で、さらには諦め混じりで口にする。
───実際わたしの給料は、かなり高い。
月給も賞与の額も、そこらの平均を軽く越えている。
年間休日数が多く、有給日数とその実際の消化率も素晴らしい。
『ここ』では、それが当たり前。
”評議会で受付をやっている”なんて言うと、皆が羨ましがる。
”どうやって入ったの?”。
”中途採用の枠で自分を推薦してくれ”。
───わたし自身、何故採用されたのかは分からない。
完全に『駄目もと』で応募したら、書類選考を通過。
酷く混乱したまま筆記試験を受けたら、それもパス。
有り得ない。
流石に最終面接では、堪えきれずに訊ねてしまった。
”どなたか他の応募者と、間違えておられませんか?”。
───けれど、本当に受かってしまった。
コネが無いと無理、《百年学院》卒業が最低ライン、等と噂されているのに。
それらを満たさないわたしが、どういった理由でか、採用されてしまった。
でも、『高給取り』の現実は甘くない。
誰もが理想とするそれには、《しかも、楽に》という言葉が隠されていて。
当然ながら、そんな都合の良い職場なんか存在する訳がない。
地獄の中心に聳え建ち、権力の中枢でもある『評議会本部』。
そして、わたしの担当は、1階窓口の《一般受付》ではなく。
最上階の奥、会議室と評議場の《入出受付》。
ここを利用する議員達の殆どは横柄で、理不尽だ。
セクハラだって、当たり前のようにある。
それをさらりと流せる程、わたしの精神は強くない。
就業後に全部忘れて、穏やかに夕食を口にできるような性格でもない。
加えて。
何よりメンタルに突き刺さるのは、『議員以外』だ。
この階へ呼び出された者達、一般悪魔の怯えた目。
そして。
───その半数が、戻ってこない。
───帰りに受付を通らない。
《退室確認時刻》の欄が空いたままの書類が、平気で受理される恐怖。
わたしは、いつまで経ってもそれに慣れることが出来ない。
どうしても、帰らぬ者の運命を想像してしまう。
帰ってこれた者の、今後を考えてしまう。
接客業務である以上、他者へ対するある程度の『共感』は必要だ。
しかし、それを自分の意思でオンオフ出来るのが、有能な《受付》。
残念ながら、わたしは違う。
どうして自分がここで働いているのか、未だに理解出来ないでいる。
───ああ。
けれど、次の『入室予定者』は、安心だ。
元より身だしなみには気を遣う仕事だけれど。
それでも一応、卓上の小さな鏡で襟元を確認。
眼鏡の位置も微妙に調整する。
───彼は、安心出来る『常連』だ。
わたしが評議会に勤務して、450年。
平均して年に5、6回もここへ呼び出される彼は、無敵の英雄。
他の者達と違い、ぴん、と背筋を伸ばし。
笑みを浮かべて、堂々と受付を通る。
そして、必ず戻ってくる。
彼だけは、評議会の『闇』に飲み込まれない。
屈しない。
それどころか、出頭を命じられて来るだけでなく。
逆に、上級議員達すら《呼び付けて》しまう。
こんな事が出来るのは、彼だけだ。
彼だけは、出てきたその後を想像するのが楽しい。
嬉しい、とすら思える。
───ほら、やって来た。
いつも通り、15分前。
いつもと同じく、颯爽と廊下を進む黒のスーツ姿が。
「やあ。ヴァレスト・ディル・ブランフォールだが」
「はい、承っております。3番の会議室へどうぞ。
───頑張ってくださいね」
最後に付け加えた言葉も。
それに笑みを浮かべ、ぐっ、と親指を突き上げる戯けた彼の仕草も。
何百回となく繰り返してきた、わたし達だけの───
漂う、煙草の匂い。
けれど、脂ぎった議員達のどぎつい香水よりも、よっぱど心地良い。
最奥の伏魔殿に向かい、悠然と歩き出す彼。
これから観劇にでも出掛けるような、安心して見送れる背中。
───彼は、必ず戻ってくる。
大丈夫。
わたしにとっての、絶対無敵の英雄なんだから!




