351話 Full Boost、愛の歌 01
【Full Boost、愛の歌】
古びた織り布に、花の染料で描いた図形。
『地図』であるそれに載せられた石の1つを、横に滑らせ。
しばしの逡巡を挟んだ後、更に中央部へと寄せて。
───ガモント・ゴーディエンは、溜息をついた。
───それが大袈裟な音を立てぬよう、ただの呼吸音として聴こえるように。
纏め役である自分の言葉は、皆の士気を高めることもあるだろう。
だが同様に、僅かな挙動が不安となって拡がる危険も孕んでいる。
迂闊な事は出来ない。
胸の中の『迷い』も『怖れ』も、外へは出さぬ。
誰にも見せてたまるか。
少しも表情を変えないまま再度、ガモントは『地図』に意識を戻した。
───とても、芳しくない状況だ。
総合的に評価すれば、我々は『とても良くやっている』。
しかし、それを誰かに拍手で讃えられ、笑顔で応えて一礼して。
などとはいかないのが、《戦争》だ。
退けば奪われ。
負ければ死ぬ。
『敵』が望んでいるのは、我々の《根絶》。
話し合いの余地は無い。
そんな輩と話し合いたい、とも思わない。
───非常に、厳しい戦況だ。
前線における戦闘、個々のそれ自体は概ね勝利しているのだが。
勝っても、押し込まれる。
じりじりと、退却を余儀なくされている。
何せ向こうは逐次、幾らでも戦力を追加出来るのだ。
きりが無い。
負けながら進んでくる様は、さながら『動く死体』。
こうなると、勝っていても退がらざるを得ない。
戦端が開かれた当初は、他国の同胞も駆け付けてくれた。
だが、あれから一年が経過し、今は空路も海路も『敵』に押さえられている。
もはや増援は来ない。
オーストラリアは、孤立してしまった。
向こうの狙いは、『完璧に勝てる状況を作り上げること』。
『戦況を覆せないほど弱るまで、我々を追い込むこと』。
その後に何が起こるかは、語るまでもないだろう。
───毒が、深く回っている。
奴等の用いた《戦術毒》が水脈を汚染し、除去する術が無い。
それによって飲み水は勿論、作物までやられた。
まともな兵站を確保出来ない。
人間達には、いつもと変わらず『美しい森』が見えているだろう。
その裏側で、我々にだけ効く《毒》が猛威を奮っている。
奴等との熾烈な戦いで、精霊の力が森から失われ続けている。
まるっきり現実から剥離した、夢のような。
そして、無惨で無慈悲な戦争。
オーストラリアは、最大規模の拠点だ。
ここが落とされるならもう、エルフに未来は無い。
我々の存在は、本当の『夢物語』になるだろう。
映画やゲヱムに登場するだけの、『架空の生き物』として扱われるだろう。
───エルフは・・・退場する運命の、脆弱な生物であったか。
もう一度、音にならぬ溜息をつくと。
微かな足音が耳に入った。
「族長、宜しいですか」
「どうした」
天幕の入り口から発せられた声に、平静を装い返答する。
「今週分のコンテナが来ました」
「・・・ああ、そうか。
皆を集めよ。暫くしてから、儂も行く」
「はい」
遠ざかってゆく気配。
今の声は、ミースケンドか。
2日前、奴の父親は前線で重傷を負い、今も予断を許さない状態だ。
それでも、息子のあいつは伝令を買って出て、気丈に振る舞っている。
自分は。
自分は族長としてこれ以上、何が出来るのか。
何をすれば、この森と皆の命を守れるのか。
───その答えを出せぬまま、ガモントは木の椅子から立ち上がった。
現存する最古のものとなってしまった、オーストラリアの《世界樹》。
その洞の中へ週に一度、コンテナが届く。
有志の『転送陣』を幾つも経由し匿名性を高めた、魔法技術によって。
汚染された地で一滴の水さえ飲めぬ我々の、命綱。
この『公に出来ない支援物資』がなければ、とうに負けている戦だ。
───コンテナを開け、飲んで、食べて。
───それからまた、この森を守る。
だが、明日はどう戦うのか。
その次は。
更にその次は、どうするのか。
どうやったら、我々は勝てるのか。
───やはり、答えが出せないまま。
唇を固く引き結び。
ガモントはゆっくりと、天幕の外へ出た。




