306話 絡まれる 03
「・・・蜘蛛の姿、見せてあげたいけど、できない」
「ん?」
「えらい悪魔は人間のせかいで、ほんとうの姿を見せたら駄目。
そういう、きまり」
「悪魔??───え、いや、リンは『蜘蛛』なんだろ??」
「うん。わたしは、『蜘蛛の悪魔』」
「──────」
ああ。
始まったよ。
また『例の』、ファンタジーだ。
ドラゴンに、伝来の妖族ときて。
ついに、《悪魔》まで出てきやがった。
蜘蛛だけなら、オッケーだったのに!
脚が14本あろうが、蜘蛛ならば俺的にセーフだったのに!
「───なあ、リン」
「なに」
「《悪魔》ってのは、その。
人間を傷付けたり、悪事を働いたりするのか?」
「しない」
「何でだ?」
「めんどうだから」
とても面倒臭そうに、答えやがった。
嘘をついてるようには───感じられないな。
もっとも、俺が勘付けないような、高等な嘘なのかもしれないが。
「・・・あつい」
「ああ。暑いな」
木陰とはいえ、陽が直接当たらないだけだ。
この茹だるような熱気はもう、どうにもなりゃしない。
「・・・キース、行こう」
「ん?何処へ?」
「アイス、食べたい。高くて、おいしいやつ」
「───おい待て。高いやつってのは、どれくらいだ」
「行こう、はやく」
ひょい、とベンチから立ち上がって。
リンが俺の手を掴んだ。
「いい店を知ってる。とても、おいしい」
「だから、値段は?」
大の男が少女にぐいぐいと引っ張られて歩く様は、さぞや滑稽に違いない。
ただし、この立ち位置が逆だった場合は、完全に『事案』だ。
それと、傍目には分からないだろうが。
大型車に牽引されているような、非常識で圧倒的なパワーである。
もう少し、ゆっくり歩いてくれよ、頼むから。
まったく。
手首が、おかしくなっちまいそうだ。
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嫌な予感は、していた。
店の看板が見える頃には、それが確信に変わり。
そして。
入店してメニュー表を広げた時、逃れられない絶望となった。
この店には、一度だけ来たことがある。
リンの言う通り、ここは美味い。
ミュンヘンの『スイーツ屋』の中で、断トツの美味さを誇っている。
それは間違い無い。
センスも抜群、見栄えだって最高レベル。
更には、店員が全員女性で、揃いも揃って美人の愛想良しで。
───にも関わらず、俺が二度とここを訪れなかった理由は、2つ。
お値段が、気絶するほど高いのと。
店長を含めた全員がどうも、《男嫌い》らしいからだ。
直感だけどな。
「トロピカル・ファンシーソーダと、ハニーレモンソースのヴァニラ・アイスM。
ショコラ・オランジュと、ワイルドベリーのキャラメルクリームパイ。
アップル・パンプディン、シナモンレーズンパウンド。
カンノーリのセットは、チーズクリームとチョコレートと、ピスタチオで。
ホワイトピーチ・ジュレに、カフェモカ・パンプキンロール。
あと、マカダミアソースのパンケーキと、ナッツ&フローズンヨーグルト」
───ああ、こいつは。
黒画面の、ド真ん中。
”キース・マクドガル、死す”、とテロップが出た気分だ。
お前、さっきまでの舌足らずな口調は、どうしたよ。
TVキャスターみたいな滑舌しやがって。
まるで台本があるような、淀み無い注文だな!
「───それ、俺が全部払うのか?」
男として本当に情け無い限りだが、思わず口に出してしまった。
いやもう実際、声が震えてる。
「うん」
「──────」
返ってきたのは、簡潔明瞭な『YES』。
ちらり、と注文を取っていた店員の顔を窺う。
無言の、穏やかな微笑み。
しかし、その瞳の奥にあるのは。
”こんな可愛い子に奢らないなら、お前は何の為に生まれてきたの?”
そう言わんばかりの、冷ややかさ。
何ておっそろしいお姉さんだ、アンタ。
「───分かった、分かったよ!了解だ!
俺は、アイスコーヒーで!───以上!」
こりゃあ、次の給料日まで毎日、昼メシ抜きだ。
それでもヤバいな。
朝メシも、2日に1度か?
いや、無理だろ絶対。
今月はもう、バルスト社長に泣きつこう。
血縁者の特権だ。
曾々々爺ちゃんの脛を齧って、何とか生き延びよう!




