304話 絡まれる 01
【絡まれる】
人生において1度だけの『豪運』───とまで言うと大袈裟だが。
一年に1回程度なら、非常にツイてる日もある。
キース・マクドガルにとって。
今日はまさにその、『ツイてる日』だった。
半年くらい前に営業した客から紹介された、まだ若い夫婦。
土地付きで購入した戸建てをリフォームしたい、とのことだったのだが。
出向いてすぐに、顎が外れるほど驚愕した。
───普通はまずお目にかかれない、別次元の《金持ち》だった。
移転して来たばかりで、調度品はまだ仮置きだと言うが、その1つ1つが凄い。
年収が高いだけの富裕層では決して手に出来ない、時代物の名品ばかり。
自分は職業柄、大抵のブランドは知っている。
『価格が高いだけの品』と『価値が高い品』の見分けだって出来る。
だが、その家にあったのはもう、そういう範疇を超えていた。
オークションにだって出やしないし、出品したら大騒ぎになるレベルだ。
───もしかして、何処かの王族か?
そこまで考えてしまったのは、その夫婦の『気品』に当てられたからだ。
服装も勿論だが、ちょっとした所作や発言の『品格』が、すこぶる高い。
一代二代でのし上がった成金じゃ、とても真似が出来ない立ち振る舞いだ。
それでいて、非常に穏やかで他者に安心感をもたらすという、完璧さ。
リフォームについての話し合いなんて、あっという間に終わった。
全オプション付加、MAXグレードの『込み込み』。
腹を探り合うような交渉など、微塵も無し。
お互いが終始笑顔のまま、たちまち見積もりの算定、そして契約成立。
あとは紹介者へのバックを奮発すれば、関係者全員がWin-Winである。
こんなドでかい契約を取ってしまったら、もう。
今日は一切、営業をしなくたっていいだろう。
営業所に電話で報告したら、所長もそれは理解っているようで。
”あんまり羽目を外し過ぎるなよ”とだけ、釘を刺された。
上機嫌で、ちょっとお高いランチを楽しんで。
店から出て時計を見れば、時刻はまだ13:07。
ここから午後が丸々、自由ときたもんだ。
さて、何をするか、って?
───思う存分、美人を探すに決まってるだろ!
左手に持ったビジネス・トランクが些か邪魔だが、ここは我慢だ。
一応は『仕事中』な身である故、コインロッカーに預ける訳にもいかない。
トークの中でこれを小粋なアイテムとして登場させるかは、状況次第か。
思えば最近は、こいつの『もう1つの使い道』も、出番無しだ。
人間に危害を与えるようなタチの悪い図形も、ほぼ見かけなくなった。
『伝来の妖族』とかいう連中の親玉と会談した成果だな。
いや。
確かにそうなのだが───それだけでもない。
なんかこう、『小っこい』のが頑張ってるのだ。
カーキ色のベレー帽を被り、6匹で隊列を組んで街を巡回している一団。
そいつらが、自主的に《取り締まり》を行っているらしい。
この前なんか、駅前でバッタリ出くわして。
ビシッ!、と気合の入った敬礼をしてくるもんだから、思わず返しちまった。
周囲からすりゃ、俺は完全に不審者だったろうな。
けど、無視するのも感じ悪いしなぁ。
住宅街を抜け、市内中心部を目指して歩く。
ミュンヘンは大都市だが、中央部とそれ以外の落差が大きい街だ。
それは『伝統』と『発展』が上手く調和している、とも言えるのだが。
新しい出会いを求めるにはやはり、人通りの多い場所に限る。
まあ、ひとまずはバスの通る大通りまで出よう。
例の『警備隊もどき』と出会わない事を祈りつつ。
営業で散々歩き回っているから、俺の土地勘はタクシー運転手並みだ。
近道するのも容易い。
鼻歌混じりで最短距離を進み、角を曲がり。
そう。
あと一本でメインストリート、というところで。
───スーツの袖を掴まれた。
(・・・っ!?)
誰だ。
いや、なんでだ。
契約を取った後、高級住宅地を抜け、知る者ぞ知る小さな名店でメシを食い。
そしてここ、現在地に至るまで。
出会った人物の顔と挙動は全て、憶えている。
すれ違った相手の職種や年齢すら、ある程度の予想と共に頭に入れている。
それなのに。
今、自分に触れているのは。
触れることができるのは。
───後ろを尾けられていたのか!?
───何処からだ!?
恐る恐る、振り返れば。
少し首を傾げた黒髪の少女と、視線が合って。
”ああ、こりゃ駄目だ”。
キース・マクドガルは瞬時に、そう悟った。




