296話 不正行為 04
さて。
この奇怪な球体が殺せないという事を認めて。
こいつを《神》だと認識した上で。
───けれど僕は、頭を垂れない。
だって、手下じゃないからさぁ。
庇護を受けてるとかでもないし。
よほど何か、尊敬できるような点でもあれば別だけど。
初対面だしなぁ。
そういう細かいところは知らない訳で。
膝を折り、傅いてみせても心は込もらないだろう。
それなら、普通に接したほうがよっぽどマシだよ、絶対。
うん。
そうしよう!
「やあやあ、初めまして!
そこの───ええと───《丸い御方》。
いきなりお邪魔して申し訳ないんだけどさ。
僕のところに変なの送り付けてくるの、やめてくんないかな?
凄く迷惑してるんだよね」
───あれ?
反応が無いぞ?
「おーい?───その、あーー、言葉分かる?」
ぼこり、と球体の表面が盛り上がり。
それをなだらかにしながら全体の色を変えて、渦を作る。
鈴の音に似た響き。
悲鳴と笑いを混ぜたような音。
何度かそれが繰り返された。
───ああ、これ多分、何か喋ってるよね?
───ごめん!僕の方こそ、言葉が理解出来ないや。
ほぼ引き篭もりな僕に、異種間コミュニケーションは難易度が高過ぎた。
どうしよう?
悩んでいると、左側の列に動きがあった。
のそり、と進み出てきたのは、例のヤツ。
周囲から浮きまくった、あの黒いドラゴンだ。
僕の正面でこちらを向き、巨大な顔がゆっくりと降りてきて。
何故か可愛らしく揃えた両前脚の上に、それが載せられ。
「・・・我等が主、XXィラーXXワルツ様は、言われた。
”よもやこの場所に訪れる者がいようとは思わなかった”。
”大変驚き、また、感動を禁じ得ない”」
耳に届いたのは、心地良い声。
つまり、先程までの音楽とは違い、『適度に生々しい』もの。
ただ、それを発したのはドラゴンではない。
その頭部に腰掛けた、長い銀髪の女性だ。
───んん??
彼女を、というか、この『種族』は見たことがあるぞ?
───たしか、『砂の唄い手』??
もしかして、《この星》の出身だったの??
『音楽留学』とかで地球に来てる、って事??
いやいや、そういうのを考えるのは後にしよう。
せっかく通訳してくれてるんだから、会話を続けないと失礼だな。
「いやあ、僕としても驚いてるよ。
だけど、『何者であれ通さない』とかじゃないんならさ。
入ってすぐの罠とか、やめたほうがいいと思うよ?
あと、放射線量も控え目にね?」
よし、言ってやったぞ。
《神》に物申したぞ、僕!
再度、球体が波打った。
ドロドロと得体の知れない何かを、こぼしながら。
うっわ。
非常に目のやり場に困る光景だね、これ。
「・・・XXィラーXXワルツ様は、言われた。
”汝の問う1は、我と謁見する為の試練なり”。
”汝の問う2は、我が宮殿に入る者の身を清める為なり”」
「───うへぇ」
『試練』って言うけどさぁ。
永久ループだから、越えられなきゃ『無限地獄』じゃん。
死ぬよ。
やり過ぎだよ。
あと、この星では放射線って、『消毒シャワー』なの?
こりゃ駄目だね。
あちらさん、悪気の欠片も無いよ。
「───まあ、その。
それで最初に言った、鳥だが犬だか分かんないヤツの事なんだけど」
「・・・XXィラーXXワルツ様は、言われた。
”人間の身でありながら、ここへ辿り着いた事”。
”その偉業を讃え、赦しとしよう”。
”遠き星に住む『血吸い鬼』との契約は、これにて果たされたものとする”」
「ありがとう!こんな場所まで来た甲斐があったね。
これでやっと、安心して眠れるよ」
───『人間』か。
相手が何であれ、僕をそう呼んでくれるのは嬉しいね。
『消されない為』に、インチキやズルを目一杯使ってる身だ。
その行為が一般的な人間の範疇に収まってないことは、自覚してる。
でも、僕は『人間』だ。
『人間である』と、強く信じ続けている。
それを認めてくれた、何たらワルツ様?
発音不能な部分があるから、バッサリ略すけど。
ちょっと好感を持っちゃったな!
まあ、細部まで吟味した上での、『人間』という判定なのか。
ざっくりカテゴリー分けしたら、大体『人間』だったのか。
そのあたりは不明なんだけども。
「・・・XXィラーXXワルツ様は、言われた。
”そして、人間よ。褒美を与えよう”。
”汝が未知は、我の当然”。
”汝が脅威は、我の必然”。
”望むものを問え”。
”若しくは、欲する加護を述べよ”」
───何でも質問オーケー?
───それか、『加護』をくれるって?
知識は、うーーん。
与えられるより、自分で探したいな。
そうでなきゃ、長い長い時間を持て余すことになるし。
『加護』も、要らないんだけどな。
別に僕は、強くなりたい訳じゃないから。
天使にゃ瞬殺されるけどさ。
それだって、『愚者の礼装』を身に付ければいいだけの事。
使わないけどね。
でも、褒美と言われてお断りするのは、すっごく無礼だよなぁ。
どうしたもんだろう、これは。
内心、溜息をついて悩む。
その僕の前。
ドラゴンがこちらを、じっと見つめている。
何だか好奇心一杯の、キラキラした瞳だ。
こいつ、まだ子供なのかな?
図体はデカいけれど。
───それを見つめ返していたら。
ふと思い出した顔があった。
随分と昔の。
まだ若かった頃の。
───おお、閃いたぞ!!
「じゃあ、『加護』を頼むよ。
というかね、ちょっと相談なんだけども。
それさぁ。
僕以外に掛けてもらうのって、出来るかな?」
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マレーシア。
サラワク州、クチン。
花瓶に飾られた、早咲きのビレア(シャクナゲ)。
その姿をスケッチしていた老人の手から、ペンがぽろりと落ちて。
「ふおおおおぉッ!?」
響き渡った、奇怪な叫び。
「ちょっとー。どしたの、お爺ちゃん」
「わ、儂の体が!!急に、謎のPowerが!!
───ああ、いや───かくも美味なる珈琲を飲んだからじゃろう。
この老体に、みるみる力が湧いてきおったわ」
「またまた、そんな事言っちゃってー。
じゃあ、お代わりする?
そうだ、昨日焼いたクッキーも付けちゃおうかなー!」
青い如雨露を手に笑う、悪魔。
その笑顔は、店内にあるどの花にも劣らぬ、眩しき朗らかさ。
「うむ!是非とも頂こうぞ!」
それに対し老人は顎髭をしごき、華麗なウインクで返す。
だが、こちらは自称だ。
少なくとも本人は、『華麗な動作だ』と思っている。
再開されるスケッチ。
ペン先は微塵も迷いを見せず、複雑な曲線を描いてゆくが。
老人の胸中はその真逆、大きく揺れ動いていた。
───突如として我が身に降り掛かった、先程の『力』。
───それが肉体の芯まで染みて定着した、違和感。
愚者の礼装は、魔法も法術も通さない。
この状態で自分に干渉出来るのは、我が師のみのはず。
これは、全く知らない種類の『何か』だ。
天使と悪魔、その両方に恨みを買い、山ほど攻撃を受けてきたが。
そんな自分をもってしても、この『何か』の正体が分からない。
(・・・先生に、お伺いせねば・・・)
ただし、今は駄目だ。
花屋の営業時間内は、ここから動けぬ。
断じて、ならぬ。
何故ならば。
(レンダリア嬢は、儂が守護るのだ!)
(老いぼれとて、そうそう遅れをとるまいぞ!)
性質の悪い客が来たら、人間だろうと悪魔だろうと速やかに追い払う。
無論、店に金を落とさせた上で。
そして、自分は花を買い、絵を描き。
何十杯でも珈琲を飲もう。
店の売り上げに貢献する為。
好感度を高める為に。
「はーい、おまたせー!」
ことん、とテーブルに載せられたコーヒーカップ。
銀色のプレートに並ぶは、色とりどりの小さな甘味。
黒猫がひょい、と悪魔の肩に跳び、首の後ろに巻き付いて目を細め。
それがまた、いい。
引き出されたとびきりの笑顔に、こちらの表情まで綻ぶ。
───ルーベル・レイサンダーは今、幸福の絶頂にある。
長年に渡り気にもしなかったざんばら髪を、丁寧に櫛で撫で付け。
ウールのジャケットにホンブルグハットまで被った、最近の自分。
ああ。
こんな姿、とても師には見せられぬ。
これは芸術という『本道』から外れた、『迷い道』だ。
分かってはいる。
いるけれども。
───しばらくの間、帰ってこれないかもしれない。
そんな予感と期待に、心が震えてしまうのだ。




