295話 不正行為 03
音楽が聴こえる。
鼓膜を突き抜けて脳を揺らす、甘美な調べ。
テンポはそれほど速くないが、クラシックともジャズとも違う。
既存の何とも比較不能で、ジャンルが特定出来ない不可思議な旋律とリズム。
整然と並んだバケモノ達の、更に奥。
楽団らしき集団が、それを奏でているんだけど。
───気分が悪い。
───あまりに美しくて、吐き気を催す程に。
何らかの芸術的な分野に身を置く者にとって。
『美しさ』とは、まさに『敵』だ。
挑めば、必ずや敗北し。
求めれば、最終的に殺される。
決して真正面から見据えちゃいけない、絶対に敵対してはならない相手。
───『美しい』という言葉は、誤解される事が多い。
”白い”とか”黒い”とか、”大きい”や”小さい”。
それらと一緒にして、《形容詞》と名付けられてはいるものの。
根本的な性質を問えば、他とは大きく異なっている。
───『美しい』は、物事の様子を示すのではなく、《感覚》だ。
”楽しい”や”悲しい”や、”痛い”とかの仲間。
度が過ぎれば肉体を、精神を著しく傷付ける。
『ぶ厚い』ステーキ。
『美しい』何か。
人間を殺す可能性が高いのは、圧倒的に後者なのだ。
真面目な話、険しい山に登り、その山頂から『美しい景色』を見て。
それ故に筆を置いてしまった、なんていう絵描きは多い。
僕にノートPCをくれた友人。
彼の場合は山には登らなかったが、それでも一度、死にかけている。
ピアノの音に憧れ、心を奪われて。
それに匹敵する『美しい言葉』を書こうとして、悶え苦しんで。
笑わなくなり、喋らなくなり。
何も食べようとしなくなり。
そして挙げ句は、自殺未遂。
だから僕はルーベルに、”『美しい絵』を描くな”、と繰り返してきた。
”通俗的で構わない”。
”少し品が無いくらいで、丁度いいんだ”、と。
万人に美しいと感じさせる存在、それ自身は一切の雑念も含まない。
星空や朝焼けは何一つとて憎まず、求めず、ただ冷酷にそこへ在るだけ。
その様を完璧に描こうとするなら、描き手も全てを捨てなければならない。
『美しく描こう』さえも、雑念、邪念。
そして、それらを無くすことは。
個性を消し去り、感情を失い、人間をやめることに他ならないのだ。
はは。
こんな事を言ったって世間じゃ、”そんな馬鹿な!”、と笑われるだろうな。
まあ、いいけどさ。
笑えていられるなら、それはそれで幸せの1つなんだし。
顔をしかめて、広間の中央を突っ切るように歩く。
左右からバケモノに挟まれる形だけど、視線は感じない。
そもそも、どの辺りが『顔』なのかも分からないヤツばかりだ。
楽団の連中なんて、どこまでが『腕』で、どこからが『楽器』なのやら。
列の間を1/3くらいまで進んだところで、不意に音楽が止んだ。
それと同時。
バケモノ達が一斉に『顔?』を向け、僕を見た。
うん?
まさかとは思うけど、ようやくこちらを認識したのか?
今の今まで僕の事、ハエが飛んでるくらいにも感じていなかったとか?
───扉が開いた時点で気付こうよ。
───泥棒とかだったら、どうすんのさ。
───盗めそうな物は何一つ、置かれてないけども。
なんとなくその位置で、僕も歩みを止めた。
広間へ入った時から見えてはいたが。
前方の数段高い場所に、巨大な球体が鎮座している。
ゆっくりと脈打っている。
紫と赤。
黒と黃がその表面で渦を巻き、海流のように動き続け。
吹きこぼれたそれらが、床に
───おっと!
あんまり長く見つめたら、駄目みたいだ。
『障壁』全部、抜けてきやがったぞ。
神経の一部をブロックしておこう。
間に合わなかった箇所は、自己焼却して切除だ。
『死んでる途中』で死ぬのは、かなりマズいからなぁ。
けれど、『ぱっと見』だけでも《これ》に関して語れる事はある。
臣下のように控えた他の異形達とは、そこが明確に違う。
人間の言葉で、ちゃんと表現することが可能だ。
───うん。
───どう控え目に言っても、《神》ってやつだな。
僕の信条は、公正と自由。
如何なる宗教にもかぶれることが無い、中立的な思考が基本。
だからこそ、容易く『それ』を口にすることが出来る。
判定基準は、いたって単純明快で。
大きさや、知性、能力は問わない。
性格なんて、少しも関係無い。
どれだけ優しかろうが、邪悪であろうが、一切構やしない。
───すっぱりと潔く。
───どうやっても殺せないなら、《神》なのだ。




