288話 盤外のJOKER 01
【盤外のJOKER】
───あらゆる宗教関係者にとって、悪魔は『敵』である。
───人心を惑わし、教義を歪め、世に害悪をもたらす存在。
まあ、そう扱われて当然。
”そういう認識で構わない”と、こちらも開き直っているわけで。
出会う奴の一人一人に、道理を説いて回るのも面倒だ。
これは人間に限った事ではないが、聞くつもりの無い者に何を言っても無駄。
特に、教典だの聖書だのを『絶対』とする連中は、厄介極まる。
十字架を掲げて祈りの文句、とやられた日には、挨拶する暇もありゃしない。
悪魔に対しそれらが一切、微塵も、爪の先程の効果も無いにせよ。
しかしだ。
こういった悪魔を『人類の敵』扱いしてくる連中の中にも。
極稀にだが、公正な判断ができる者が存在する。
敵意剥き出しの相手と手を取り合うつもりは、全く無い。
けれども、向こうがそうでないなら、興味を持つのは自然な流れ。
俺はそういう奴とは、可能な限り友好的に付き合うようにしている。
場合によっては、《真名》を名乗ることさえある。
ちなみに、《真名》を告げた上で《契約》を結ばなかった場合は違反だ。
かなりマジな、大違反。
実際にそれで2回ばかり降格した身だが、気にせず今も繰り返している。
バレなきゃいいんだ、バレなきゃ。
いや、バレて『位階持ち』から陥落したって構わない。
位階があろうとなかろうと、大した事じゃあない。
強いも弱いも、とんと興味が湧かないのだ。
姉貴とは違うからな。
そんなもの、喧嘩せずに生きてゆくなら、どうだっていい話だ。
───さて。
───そんな平和主義な俺の前に今、カトリックの『偉い奴』がいる。
ベリーリ・マルドロス。
管区大司教。
普通の信者が普通にやって到達可能な、最も高い地位であり。
したがって、ミュンヘンにおけるカトリック教会の最高責任者であり。
おまけにちょっとアレな任務さえ統括する、愉快な相棒の直属上司であり。
更に付け加えれば、俺が『真名』を名乗った数少ない1人でもある。
───その彼が。
───回転式の丸椅子に座って受けているのは、『健康診断』。
だが、向かい側の椅子に腰掛けた男は、医者ではなかった。
医療の知識など、全く持ち合わせていない。
それをどうにかしようとする気も、さらさら無い。
聴診器も血圧計も使わず、診断書さえ書かず。
白衣ならぬボロボロな茶色のローブを纏い、フードで顔を隠した姿。
骨ばった指の全てに嵌められた、宝石付きの指輪。
怪しさ満点。
信頼度ゼロ。
見た目からして、そこらの闇医者のほうが何倍もマシ、という感じ。
「睡眠時間は、どうかね。眠れているかね」
「そこそこ、といったところです」
男の手が、触れないギリギリでベリーリの頭部から首筋へと移動する。
「食欲は、どうかね」
「無いですね。しかし、それなりに食べてはいます」
「『それなり』、かね。かなりの肥満体型に見えるが?」
「地位相応の威厳が必要なので。
───うっかり口が滑った部下から、豚呼ばわりされることはありますが」
うおう。
自分の上司に対しても容赦無いな、マーカス。
あいつの口の悪さは、筋金入りか。
今日の俺は、『管区大司教』様の送迎役。
これは年に1度の、大切な検診ではあるのだが。
行き帰りの転移陣を出す以外、特にする事が無い。
暇だから、客用テーブルの上にいる白ネズミの頭を、ちょいと撫でてみる。
”───やめてくれないかね、ヴァレスト卿。私は読書中なのだよ”
「・・・すまん、悪かった」
イギリス紳士ばりの慇懃な口調で抗議され、思わず謝罪したものの。
広げられている本はどう見ても、児童用の絵本。
それは、ええと───イソップ童話か?
「日常的な頭痛や、幻聴、幻視の類は」
「ありません」
「倦怠感はあるかね」
「いいえ」
「自暴自棄になることは。自傷行為や、自殺願望は」
「ありません」
「信仰心に変化は」
「少しも揺るいでおりません」
「記憶の欠如を自覚することは」
「ありません」
「君と初めて会った時に、私が言った内容を憶えているかね」
「はい。
”では早速、死んでくれたまえ”、です」
「ふむ」
男は、ベリーリの心臓付近へかざしていた手を引き。
腕を組んで、しばし沈黙。
「───正常だな───差し当たって、対処すべき問題も無い」
「そうですか」
息をつき、僅かに緊張を解いたベリーリに対し。
カラカラと骨のように乾いた声で笑う男。
被ったフードの、闇より暗いその奥で。
鮮血のように赤い光が2つ、輝いた。
「安心したまえ、ベリーリ君。
君は私と同じ───いたって健康な『死せる賢者』だよ」




