277話 知らないことは、知らないことに 03
食堂で朝食を摂り、自室に戻り。
ラップトップPCを立ち上げて、ネットラジオを再生。
ベッドに腰掛け、もう5回以上完読した愛読書を広げる。
───『大激怒 Ⅱ』。
人間が書いたにしては、素晴らしく出来の良い詩集だ。
何故かこれを読むと、心が落ち着く。
癒やされる。
先日、作者であるアニー・メリクセンがニュース番組に出演していた。
”まあ、何だかんだ言ってもベストセラーだ!”
”印税も凄いんだろ?ラッキーだよね、アニー!”
それは、しかめっ面の彼女を撮る為の、お約束的なパスだったのだろう。
だが。
次の瞬間、カメラに映ったのは。
『決して放映してはならない顔』だった。
おそらく、今世紀最大の放送事故である。
コメディアン出身で10数年番組を続けている司会者が、固まってしまった。
気の効いた返しも出来ず、完全にフリーズ。
見ていたわたしが、『こいつ死んだな』と思ったくらいだ。
すぐさま動画サイトに該当シーンの切り抜き動画がアップされたが。
そのどれもが冒頭に、
”心臓の弱い方は、決して見ないでください!”
”この警告を無視した場合、責任は取れません!”
等の注意喚起。
実際、番組放映中と動画の視聴によって、何人かは命を落としているだろう。
本当に凄いな、アニーは!
どうにかしてサインとか貰えないだろうか?
出来れば『ああいう顔』をされないよう、穏便な手段で。
───時計を見れば、10:15。
昨晩はあまり眠れず、今になって睡魔が押し寄せてくる。
だが、貴重な休日だ。
寝て時間を消費するのは、何か悔しい。
(ケニスに会いに行くか)
───いや、駄目だな。
世間は平日、今頃は学校だろう。
勉学はからっきしでも、休まず通うのだけがあいつの取り柄だ。
なかなか都合が付かず会えないが、週末あたりに連絡をしてみよう。
(まあ、無難に買い物というところか)
冷蔵庫を開けずとも、中身の種類と量は覚えている。
基本的に食事は寮で提供されるから、入れているのはそれ以外。
ちょっとした間食や、ドリンク類だけだ。
───ここ最近のマイブームは、チーズ。
とは言え、『地上勤務』も随分と長い。
ブーム自体が確か、7回目だったか。
近場で買えるものは全種類、最低1度は購入している。
通販にもかなり、手を出した。
そろそろ目新しいのが欲しいところだな。
人間も戦争だのエコだのとつまらない事をやっていないで、チーズを作れ。
手を取り合い総力を結集して、新しいチーズの1つでも開発してみせろ。
折り畳みの買い物バッグを入れたミニショルダーを、肩に架ける。
一応鏡の前に立って確認するが、格好には特にこだわりも無い。
人間の女と違って化粧はしないし、ベリーショートの髪はブラシ要らずだ。
というか、ケニスに会う時以外、気を使う必要も無いだろう。
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寮を出て、表通りへ。
初夏とはいえ、午前中はまだ少し肌寒い。
今日のように風があれば、尚更だ。
体表温度の調節など造作もないが、それをやってしまうと人間と『ズレる』。
真冬にうっかりシャツ1枚で歩けば、大いに目立ってしまう。
服務規定、第2条第4項。
”可能な限り地上環境に溶け込み、人間と同等レベルの生活を心掛けるべし”。
些細な事にも一々気を使わねばならないのが、地上勤務の厄介なところだ。
幾つもの規定を遵守した上で、更には悪魔共との兼ね合いもある。
天使の殆どが、出来ることなら天界での勤務を望んでいるだろう。
しかし、上級資格持ちのエリート以外は、地上勤務からのスタート。
正直、周囲は嫌々仕事している連中ばかりだ。
わたしの場合は、『上』に行こうという野心が無いのでそれは別にいい。
ただ純粋に、地上勤務が面倒で窮屈なだけである。
───連発しそうな欠伸を堪え、横断歩道を渡る。
目指すは、行きつけの食料量販店。
本日水曜は、卵と乳製品が安い。
適当な果物も一緒に購入して、ババロアを作るか。
確かゼラチンは、まだ残っていた筈だ。
多めに作って、後輩達に振る舞うのもいいな。
───そんな事を考えていたら。
「うおあああああぁッッ!!!」
突如、奇声が耳に飛び込んできた。
(何だ───騒々しい)
視線を向けると。
進行方向15メートル先に、1人の男。
狂乱の形相で頭髪を掻き毟ったかと思えば、膝から崩れ。
「ぐおおおぉおぉ!」
先程よりは小さいが、手負いの獣じみた声が上がった。
──────。
昨今は、『ストレス社会』と言われているらしい。
列車やバスの中でも時折、こういうのと出くわすことがある。
勿論、彼等はそれなりの事情を抱え、その結果こうなったのだろうが。
出会った側からすれば完全に理由不明、対処不可能だ。
単に大声を出すだけなのか、それ以上の危険性があるのかも分からない。
よって、このような場合は。
刺激せず、関わらず、気付かぬ振りがベスト。
歩道の左側、駐車場フェンスの方に寄って、さっさと通り過ぎよう。
願わくば、こいつが世間を騒がせるような事件を起こしませんように。
だが、あと5歩くらいで男の横を抜ける、というところで。
わたしの天使としての能力が発動してしまった。
(───ん??この男───顔の一部に『偽装』が)
自動的に検知された、『モザイクを掛けられたような部分』。
違和感を感じて、そこに意識を集中すれば。
(こッ───こいつ、エルフかッ!?)
『認識改変』を突破したそこには。
先の尖った、長い耳。
わたしが息を飲むと同時、男もこちらを見た。
激しい敵意。
燃え盛るような憎悪を込めた目。
完全に、わたしの正体に気付いている。
───当然と言えば、当然の反応だ。
エルフ共とは未だ、休戦協定を結んでいない。
地上侵攻部隊と各地で交戦している事を考えれば、まあこうなるだろう。
それに、天使側とて彼等の主張は、絶対に容認出来ない。
出会えば即、戦闘。
どちらかが息絶えるまで。
どちらかが根絶やしになるまでだ。
しかし、ここは大都市のど真ん中。
周囲には、多くの人間が歩いている。
何故都市部にエルフが居るのかは謎だが、この場で戦う訳にはいくまい。
両者にとってそれは、デメリットしかない。
(────)
わたしの方も穏やかではないし、睨み返したいところだが、堪える。
無視だ。
後で本部に目撃報告を上げるだけでいい。
そして、そこから先はわたしの職務外だ。
視線を外し、ゆっくりと男の横を通り過ぎて───
「・・・ここで会ったのも、運命か」
その呟きを聴き取った瞬間、反射的に振り向いた。
唇を引き結んだ男の、両腕が持ち上がるのが見えた。
(ばッ、馬鹿な!!こんな所でッ!?)
ぴん、と指を伸ばし、エルフの掌が合わされる。
精霊魔法!!
それも『印』まで組むという事は、相当な規模の!!
(防御法術を!───だが、それでは人間に目撃、いや、被害が!!)
ああ、駄目だ。
完全に対応が遅れた。
何をするにしても間に合わない。
これはもう、確実に喰らってしまう。
スローモーションで進む世界の中。
わたしの意識は、諦めに満たされてゆき。
エルフの薄い唇が、ゆっくりと開いて。
しかし、紡がれたのは詠唱ではなく────
「お願いしますッ!!
お金貸してくださいいいぃッッ!!」
泣き叫ぶような、『懇願』だった。




