24話 無限の国 03 〜Last Word
【無限の国 〜Last Word】
────人間という生き物は、あまりに非力だ。
獲物を捕るために、何かを使い。
引き裂くために、何かを使い。
挙げ句の果て、それを喰う時さえも、自分の体以外を必要とする。
────情け無いくらい、弱くて脆い肉塊だ。
ふん。
オレの半分くらいの大きさで。
半分の半分、更に半分よりも力が無い。
どうせ、土を掘るのにも『道具』とやらが要るんだろう?
こんなもの、爪を立てて掻き出すだけでいいじゃないか。
他のやり方なんて、認めない。
オレは一番簡単な方法で、自分の望みを叶える。
人間の真似など、決してするものか。
────そうだろう?
────オレは、それでいいんだろう?
地を抉った穴、その中へと土くれを落とす。
横たわるものの服を。
金の髪を。
白い肌を。
湿った黒土が汚し、無情にも覆い隠してゆく。
さよなら、なのか。
これが、さよならという言葉の、悲しさなのか。
────ああ。
オレは確かに。
このか弱き人間の娘・・・・イルファが好きだった。
たとえそれが、本当のオレの願いではなかったにせよ。
思えば、この3年間。
オレはずっと、イルファの側にいた。
『人間喰い』の獣たるオレが、人間の。
それも、たかだか20年ほどしか生きていない、ひ弱な娘などと、共に暮らした。
様々な事を教え込まれ。
好き勝手に体を触られ。
おかしなものばかり喰わされて。
何てことだ。
3年もおとなしくしてなきゃ、ならなかった。
「・・・・いるふぁ・・・・」
多くの言葉を覚え、その意味を理解し。
けれど、発音出来たのは、これ1つ。
娘の名前だけ。
そして、オレの名前は、ゼラ。
人間達の古い古い言葉で、『空と地を繋ぐもの』────『雷』。
別に名前など必要は無いが、少し。
少しだけ、気に入っている。
・・・・雨の降る夜に見かける、光の爆発。
あれは間違いなく、強い。
ひょっとすると、オレより強いかもしれない。
あんな凄いものをあらわすという言葉が、オレの名前。
初めて聞かされた時は、興奮のあまり、全身の毛を逆立てたものだ。
ゼラ。
それが、オレの名前。
イルファ。
それが、名前をくれた娘の名前。
「・・・・いるふぁ・・・・」
まったく、不思議な生き物だった。
“人間を食べるのは、もうやめて”
そう言って差し出した、『料理』というやつも変だった。
何だか柔らかそうなものと、その下にある、堅くて丸いもの。
ああ、どっちを喰えばいいかも分からないのに。
あいつはずっと、オレのことを見ながら微笑んでいて。
堅いほうを噛み砕いたら、頭を叩かれた。
オレより弱いやつが、オレを攻撃してきた。
「・・・・いるふぁ・・・・」
とにかく、やたらとオレに触れたがるやつだった。
頭を、首の周りを、背を。
脚だろうと、尾だろうと構わずに、撫で回された。
当然、牙をむき、唸りを上げて拒絶。
しかし、あいつは恐れる様子もなく、笑い続けるだけ。
そしてまた、オレの体に手を伸ばしてくる。
────仕方がないので、少し噛んだ。
たっぷりと加減したのに。
オレは、とても叩かれた。
「・・・・いるふぁ・・・・」
人間の言葉だけでなく、オレの声も分かるやつだった。
『歌』という、妙な遠吠えをする娘だった。
毎日、毎日。
昼と夜にあいつの唇から流れた、妙にあたたかな気分になる『歌』。
それは自分ではなく、他の者達を幸せにする『願い』なのだと言う。
尽きること無く、絶望すること無く。
様々な命が持つ力を豊かにし、増やしてゆく為の『約束』だと。
────はん。
なんだ、それは?
馬鹿馬鹿しい。
弱いものは、勝手に死ね。
沢山とか、凄いとか、そういうことを手に入れていいのは、強きものだけだ。
この『歌』とやらは、オレのものにする。
他のやつは聞くな。
・・・・そう思っただけなのに。
また頭を叩かれた。
「・・・・いるふぁ・・・・」
今年の。
雪が止んだ頃から、あいつの元気は無くなりはじめた。
最初から弱いのに、もっと強さを失っていった。
ベッドの上、横になっている時間が長くなった。
オレは残さず、『料理』を喰うのに。
あいつは、殆どを残すようになった。
《・・・・おい、イルファ。『病気』なのか?》
オレのじゃない分を、嬉しくない気持ちで飲み下して。
教えられた人間の言葉を幾つか、思い出してみた。
《『病気』なら、『医者』が作る『薬』を飲めばいい》
“────────”
《そして、早く元気になれ》
“────────”
あいつは、何も答えずに目を閉じた。
言葉の使い方を間違ったなら、そう言えばいい。
けれど、オレの声が聞こえているくせに、黙っていた。
《・・・・イルファ》
オレもあいつも眠っていないのに、静かなのが嫌で。
もう一度、呼びかけてみた。
《おい、イルファ》
“────────”
ゆっくりと。
あいつは目を開けて。
オレの背を撫でてくれた。
“────ゼラ。よく聞いて”
《・・・? ああ》
“これは、病気ではないの”
《じゃあ、何だ?》
“────『呪い』よ。だから、薬では治らない”
《・・・? の ろ い?》
・・・ああ、知ってるぞ。
あまり使わない言葉だが、お前が読んでくれた本の話に出てきたな。
誰かが誰かを妬み、傷付けたり。
殺そうとしたりする────
何だと!?
《イルファ! 誰だ、『呪い』をやったのは!?》
“────────”
《教えろ! オレがすぐに走っていって、そいつを噛み殺す!!》
“────────”
《言え、イルファ!!》
叫んでから、しまった、と思った。
『殺す』とか『死ね』とか言うと、ひどく怒られる。
きっとまた、叩かれるぞ、これは。
慌てて首をすくませ、逃げだそうとした。
“────────”
だが、あいつの手は、オレを叩かなかった。
ゆるい風のように背の毛を撫でつつ、少し笑っただけだった。
“ゼラ。あなたには殺せないわ”
《・・・どうしてだ? そいつはオレより、強いのか?》
“ええ。そうよ”
《誰なんだ、そいつは? どこにいる?》
“─────どこにでも。あらゆる場所に。今、ここにも”
《?????》
“私に呪いをかけているのは、人じゃなくて、この世界”
・・・・『世界』?
オレが見ているものと、見えないもの。
知っているものと、まだ知らないもの。
全部を一緒にした、とてつもなく大きいという、あれか?
《・・・それは、嘘だ》
“どうして?”
《お前の歌は、『世界』の色んなものに力を与え、喜ばせているじゃないか》
“─────そうね”
《だったら、呪われるわけが無い》
そう言った瞬間。
手が止まり。
オレとあいつの、目が合った。
優しく強い、金の瞳。
その中に初めて、凍るような苦痛を見てしまった。
“私の歌は、多くを育み、増やしてゆく”
“森の木々も”
“空に舞う鳥も”
“海に泳ぐ魚も─────人間達も”
“ゼラ。覚えておいて”
“人間は弱いけれど、成長は他の何よりも早いの”
“豊かになり、子を増やし、住む場所を広げる彼等”
“そのことに、木も、鳥も、魚も追いつけない”
“いつかはみんな失われて、人間だけが残ってしまう”
“─────それは、『豊かさ』ではないでしょう?”
“─────永遠の『約束』ではないでしょう?”
“だから、歌の無い時代も必要なの”
“歌うことを止められない私は、死ななければならないの”
“─────そうね。辛い現実ではあるけれど”
“たまたまそれが、今だった、というだけ”
“私の番だった、それだけのことなのよ”
あいつは、涙も流さずに。
オレを撫で続けた。
毎日、毎日。
倒れそうな体を引きずっては、外に出て。
丘の上から、オレの好きな歌を風に溶かし。
自分を呪うものにさえ、残りの力を与え続けた。
─────そして。
オレを触りたがる手が、冷たくなって。
今日。
イルファは、死んだ─────
ぎぎ。
ぎぢ。
あいつを飲み込んだ、土の匂い。
その前に座り、喉の奥を開く。
ぎぎ。
ぎ・・・が。
・・・・やっぱり、オレには歌えない。
この体は人間じゃないのだから、同じように歌うことは出来ない。
オレは。
こんな『さよなら』なんか、認められなくて。
薄寒い夜の暗さに、あいつと同じ歌を響かせたいのに。
ぎ。
ぎぎゅ。
背骨の奥で、もう1つのオレが蘇る。
長い眠りから目覚め、オレの不様な心を笑い始める。
ぎぎっ。
ぎっ。
ぎおおおおおお〜〜〜〜〜〜〜〜!!!
ちくしょう!
ちくしょうっ!!
何て面白くないんだ、これは!
イルファは土の中!
もう、息をしていない!
じゃあ、これから誰が、オレの側にいてくれる?
オレの名を呼ぶ?
幾ら人の言葉を覚えても、オレの声が分かるのは、あいつだけ!
どうすればいい?
この3年間は、全て無駄になるのか!?
どうすればいい?
どうやって生きてゆけばいい?
どこへ行けばオレは、イルファに撫でてもらえる!?
あの温かい手を、どうしたら取り戻せるんだ!?
おああああああ〜〜〜〜〜〜〜〜!!!
木立から、怯えた鳥どもが泣き喚いて逃げる。
貴様ら。
イルファを呪った、憎いやつら!
丘の下の村、慌てたように灯りが輝く。
貴様ら。
イルファに愛された、憎いやつら!
ぎゅるあああああ〜〜〜〜〜〜〜!!!
イルファは。
またいつか誰かがここに来て、同じ歌を紡ぐ、そう言い残した。
けれど、オレはそんなもの、欲しくない。
あいつがいなきゃ、あいつでなければ。
オレは、ただの『人喰い』に戻るだけだ。
・・・・ちくしょう!!
もう、人の肉の味を思い出している!
この爪を振るい、血を飛び散らせ。
存分にそれを啜っていた昔に、鮮やかな色が付いてゆく!
ふいいいいいる!!!
ふいいいいいる!!!
─────ああ。
いいだろう!
オレの中の、もう1つの本能よ!
好きなだけ、人間を喰わせてやる!
オレはそういう生き物だから。
決して、オレ自身を否定したりしない!
逃げ惑う人間。
立ち尽くし、動けない人間。
オレに喰われる為だけに生まれた、人間達を。
人間達を!
思うさま嬲り、引き裂き、噛み砕いてやる!
─────だから。
取引だ、オレよ!
この先、何百年でも人間を喰らってやるから。
その代わりに、1つだけ要求する。
太陽が昇り、沈むまで。
星が輝いて、消えるまで。
森を駆ける時も、休む時も。
殺す時も、腹を満たす時も。
オレは、イルファの名を思い出し。
何度も、何度でも、胸の中にあいつの顔を呼び起こす。
もしそれが、出来なくなったら。
オレは、オレを殺す。
必ず。
どんなみっともないことになっても、絶対に殺してやるぞ!
─────さあ。
今夜中に、この国を離れよう。
せめて遠く。
遙かに遠い、まだ知らぬ、呪わしい世界の果て。
あいつが大切にしていた『全て』の、端っこで。
オレはまた、人間を喰う、ただの獣に戻るだろう。
さよなら、だ。
イルファ─────




