255話 主と、獣と、ぬいぐるみ 06
───物事には、『効率』というものがある。
俺は、マギルほど数字に五月蝿くはない。
だが、労力と成果のバランスを無視するような愚か者でもない。
根性論なんてのは、それを持ち出す時点ですでに『悪手』。
それで全てが解決するなら、人間だって生身のまま深海へ潜れるだろう。
この世で一番、情け無いことは何か?
それは、《一生懸命やったのに結果が出なかった》、だ。
成果無し、評価は最悪で、デメリットのみ。
費やした時間は戻らず、場合によっては更に手間を掛けねばならない。
肉体的精神的に疲弊した上で嫌味まで聞かされる、なんてのは真っ平御免。
そういう事態だけは、絶対に避けなければいけない。
───つまり、何が言いたいのかというと。
《下手に俺が仕事をすれば、皆に迷惑をかける》。
《だったら、何も手出しせず黙っていたほうがマシ》。
そういう事だ。
幸いにして部下達は、揃いも揃って優秀。
俺くらいはコーヒーを飲んで寛いでいても、何の問題も無い。
というか、何処かに出掛けてたって少しも困りはしない。
大丈夫である。
自信をもって、断言出来る。
───読み終えた新聞を畳んで、俺は静かに立ち上がった。
スーツの上着に袖を通し、姿見の前でネクタイを締める。
手櫛で髪を直しつつ、そこに小さく映った事務所の方を確認。
月末というのもあって、かなりバタバタしている様子だ。
忙しそうに働く皆の、邪魔をしてはならない。
可能な限りスマートに、この場を離脱しなければ。
「・・・少し出掛けてくる」
この一言で、全員が分かってくれるはず。
マギルだって、その、なんだ。
諦めてくれるよな?
な?
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ファリアの覚醒めから、約1ヶ月。
ズィーエルハイトの本家屋敷は、ほぼ元通りとなったようだ。
外観だけでなく内部の細かい部分まで修繕、改修され。
分家から派遣された者達が日々、それぞれの職務を果たしていた。
まだ見習いらしいが、執事だってちゃんと居る。
荒れ果てていた前庭も美しく整えられ、誰に見せても恥ずかしくない。
これなら、客を迎えて晩餐会、なんてのも出来そうだな。
勿論、新たに加わった全員が『吸血鬼』だ。
この先、本家に於いて人間が家人となることは無いだろう。
それが当主の意向。
やかましい分家衆の筆頭も、この点は折れるしかなかったらしい。
───そして、当主の現在の御様子は、というと。
「何か、忙しそうだな」
「ええ、アルヴァレスト。
せっかく訪ねて来てくれたのに、ご免なさい。
どうしても今、手が離せなくて」
「いや、いいんだ。俺も連絡無しでいきなりだったし。
領地の責任者として、色々とやる事があるんだろ?」
「そうね。本家しか承認、作成が出来ないものが多いから。
『休眠明け』はいつも、こんな感じなのよ」
手が離せない、というのは言葉通りのようだ。
重厚なマホガニーの机に向かい、ファリアは右手の万年筆で何かを書きつつ。
左手は───
左手は、狼を撫でている。
銀色に輝く毛並みの、かなり大型なやつだ。
前脚を伸ばして優雅に伏せた狼、その頭に置かれたファリアの掌。
ううむ。
これは、美術館に飾られるべき名画のような・・・いや。
取り消そう。
銀狼の面が、どうにもいただけない。
目尻から鼻先にかけてだらけきった、『いやらしい顔付き』をしているぞ。
それにこいつ、ただの狼じゃないな。
これは、獣狼族の《獣形態》か。
「・・・ファリア、そいつは?」
「そういえば、まだ会ったことが無かったかしら。
彼は、カールベン。200年ほど前からこの領地にいる獣狼族よ」
「へえ。カールベン、ねぇ・・・」
「領地内の『人ならざる者達』をまとめる、責任者のようなものね」
”ファリアちゃああん!!愛してるよおおおぉ!!”
「!!!」
「そう。有難う」
おいッ!!
お前、今───何て言いやがった!?
ええッ!?
しかも、『ちゃん付け』だとッ!?
ファリアはさらりと受け流して、頭を撫でてやってるが!
たかだか200年程度の関係で、いい気になってんじゃねぇぞ!
大体な、第三者がいる状況で告白するとか!
現代では確実に『セクハラ認定』されるんだよ!
くそッ!!
体の芯から湧き上がる怒りが、殺気として漏れないように堪える。
堪える。
必死に堪える。
”──────”
狼と、目が合った。
この野郎!
口元を歪め、得意気に笑いやがった!
おう!
ちょっと屋敷の裏まで行こうか?
紳士的に、物理的に、じっくり話し合おうぜ、なあ?
これはもう、引き下がれねぇよ。
徹底的に闘り合うしかないだろう。
このまま背を向けて帰るのは、男の誇りにかかわる。
ただ、ファリアの手前だ。
こいつを引きずって外へ、なんてのは格好が悪い。
それに、争いの理由を変に誤解されたくない。
・・・どうする。
・・・一体どうすれば、この『いけ好かない狼』を・・・
「───どうかしたの?」
「え?いや、別に何も」
平静を装って答えたが、何とか誤魔化せたようだ。
見たところ不審がられた様子は無いし、その顔はとても美しく・・・
「少し休憩しましょうか。
アルヴァレスト、貴方はコーヒーで良かったかしら」
「あ、ああ」
ファリアは万年筆を置き、カトレアの花のように微笑んだ。
それから、ハウスキーパーを呼ぶ為のベルを鳴らし───
その瞬間。
俺の頭の中に、ピーン、と閃くものがあった。
ふ。
ふはははは!
来たぜ、ドラゴニックなインスピレーションが!!
突如、”我に秘策あり”だ!!
───まさか、『アレ』を使う日が来ようとはな!
覚悟しろよ、セクハラ野郎!!
すぐにギャンギャン泣かせてやるよ!!
いいか!
ドラゴンに勝てる狼なんてのはなぁ!
うちの姉貴以外、この世に存在しないんだよ!!




