プロローグ2 長い夜、ローズティー
患者2号、弟。
【長い夜、ローズティー】
「おお レスティア なんと哀れなのだろう
此の世には 生まれ持った才のみで生くる者がある
汗水垂らさずとも頂点に立ち 名声を欲しいままに暮らしている
・・・・それに比べ お前はどうか?
報われぬことよ 得られぬことよ
悲しいという感情は無いのかね?」
「────それほど辛いと思ったことはないけれど?
空を舞う鳥を 魚は『羨ましい』と感じるかしら?
苦しみ痛みを 世界全ての存在と共有する必要があるのかしら?
今夜はまた いつになく饒舌ね
お仕事はもう 終わったの?
回らねばならない所が いくつもあるのではなくて?」
「ああ レスティア なんと凍えているのだろう
達観は 諦めと否定に他ならず 一歩も檻から出られぬまま
多くの者が自由を願い 足掻き続けるというのに
・・・・この部屋から出る気はないのか?
明日と言わず 明後日と言わず
今変わることを願わないのかね?」
「────何もかもを 割り切れてるわけじゃないけれど?
わたしにも 大切な失いたくないものがあるし
それを手放さぬ為に日々を送り 緩やかな足取りで進んでゆく
こんな会話って 映画のワンシーンみたいよ
随分と 優しい言葉を並べるのね
相手が何処の誰でも そんな風に口説いているのかしら?」
「からかうのはよせ レスティア
心配でたまらぬのだ お前の儚 不幸が
心底 憂いているのだよ
ろくでなしの男と結ばれ 子を得られず
そいつは酒に溺れて さっさと逝った
過ぎ去りし日の風景を 塗り替えることは出来ないが
せめて忘れたいとは 思わないか?
・・・・ここにいることがお前の『自由』であるならば
夢だけでも 叶えたいとは思わぬか?
その為のきっかけだとは 考えられぬか?」
「────結構 真面目に答えてるつもりよ
この街にこの国に いいえ 世界中に不幸はあるもの
それを比べ合うは 愚かしいこと
ろくでなしと結婚して 子供は生まれず
5年も経たないうちに ひとりぼっち
わたしの人生から その1ページだけを切り取るのは無理
忘れたいとか そうね そういう時期もあったけれど
・・・・自分の感情には とても素直に生きてるつもり
寂しいと感じるのは今 ひとつだけよ
以前はよく見えてたあなたの姿が すっかり消えて
もう声しか 聞こえないこと」
「ならば レスティア」
「お茶にしましょうか」
老女は眼鏡を外し 机に置いた
よいしょ と立ち上がり 小さなテーブルへと歩む
「書き物をしてると 時間を忘れてしまうわ」
「────────」
花柄のティーポットから 2つのカップに紅茶を注ぐ 痩せた指
「すっかり冷めてしまったけれど いつものことね
どうぞ 召し上がれ
悪魔ヴァレスト」
老女が椅子に腰掛けると
かたん
見えない手が 向かいの椅子を引いて かすかな咳払いの音
「────畜生 名前なんか教えるんじゃなかった!」
「尋ねたら 普通に答えてくれたじゃない」
「『名乗れば契約のことを考えてもいい』って 言ったからだろう」
「あら そうだったかしら?
それにしても やっぱりあなた
そういう口調のほうが似合ってると思うわよ?」
「────ふん────」
2つのカップが傾き 少し紅茶が減った
ランプの中 柔らかく色褪せたオレンジの炎が踊る
「新作を書いてるのよ
子供と それを読んで聞かせる お母さんのための童話」
「────────」
「ううん どちらかと言うと 大人向きかしら
優しさを取り戻したお母さんに 子供が安心出来るような ね」
「・・・・つまらない」
本当に 唾でも吐き捨てるように 悪魔が呟く
「お前の書く物語は いつも面白くない
天使が泣き濡れるほど高尚じゃなければ
悪魔が喝采するほど低俗でもない 当たり前の話
そういうものを 人間は有り難がらないぞ」
「・・・・ええ 知ってるわ 売れるには極端じゃないとね
量産された美談よりも 美しく?
氾濫した悪徳よりも 毒々しく?
そういう『おはなし』を作る人も 苦労してそうね」
苦笑と同時 寒そうに身をすくめる老女
強い風が 窓をカタカタと揺さぶった
「────どちらかと言えばお前は 暗く残酷な物語を書いたほうが 合いそうだぞ」
「あら どうして?」
「心の中に それが渦巻いているからだ
閉じこめても尚 出口を探し 彷徨っているからさ」
「素晴らしいフレーズね」
「────────」
「・・・・ヴァレスト」
「なんだ」
「姿を 見せて」
「────無理だ」
「どうして?」
ふう と 凍てつく山から吹き下ろすような溜息が響く
椅子が動き 何かが動く気配
老女は自分の肩に 意外にも温かな感触をおぼえた
「────レスティア」
「・・・・なあに?」
「眠くはないか もう随分と夜も更けたが」
「少し ね
でも あと3時間くらいは机に向かっていられそうよ」
「その新作とやらは 3時間で書き終わるか?」
「早くても 2日はかかるわね
あんまり急いでも 納得出来ない性質だし」
「────そうか────」
見えざる手が 力無く 肩から滑り落ちた
「ならば 俺たちはもう・・・・『サヨウナラ』だ」
「・・・・残念ね」
沈黙 静寂
ランプの炎が 耐えきれなくなったように数瞬 大きく燃えて
また落ち着きを取り戻す
「────頼む 俺と契約を結んでくれ」
「・・・・」
「お前の言いたい事は よく分かる
幸せな時には 挨拶もしに来ない
不幸になった途端 どこからともなく現れて 恩を押し売る手口
悪魔なんて 卑怯で冷淡な 嘘吐き野郎だって
そう思ってるんだろう?」
「・・・・」
「でもな じゃあ 神はどうだ? 天使達は?
お前が教会で式を挙げた時 本当に祝福してくれたか?
いや そもそも 此の世に生まれ出た時に?
祝福の結果が これなのか?
今 救いの手を差し伸べているのは 誰なんだ?」
「・・・・」
「お願いだ レスティア 契約してくれ
悪魔は その生涯に2度だけ 無償で望みを叶えてやれるんだ
それを使っていい 魂なんか 捧げなくっていいんだ
ぜひ俺に 手助けさせてくれないか?」
「・・・・それが 『愛』だとでも いうつもり?」
「────────」
熱にうなされたような悪魔の声を やんわりと言葉が遮った
「幸福の最中に現れて 無理矢理にでも奪ってゆく
欲しいものなら 力ずくでもね
そうしないのが 悪魔の格好悪いところだと思うわ」
「レスティア!」
「それが 天使達とあなた達との 取り決めなのかしらね?」
「────────」
一筋こぼれた涙を さりげなく拭い
老女は 冷えた紅茶を飲み干した
「・・・・正直に答えて」
「────何を?」
「あなたは昔 名乗った時に 『百八柱の内 二十二位の悪魔だ』と威張っていたけど
今でも そう?」
「ああ」
「あなたが存在した その瞬間から そう?」
「────────」
「答えて」
「────元は 八位だ その頃の名は言わないぞ」
「言わなくても 察しはつくわよ
物語作家が そういった類の本を読んでないと思う?」
「────────」
「『2度は無償で 云々』のお話が 真実なら
たぶん 1度はすでに使って それで降格したの?」
「まあ・・・・別に 大した懲罰でもないさ」
「わたしに対して『使う』と言ったのだから 確かにあと1回は あるのでしょうね
だけど その1回目の人は 幸せになれた?」
「────────」
悪魔は 無言だった
それでも 老女には 首を横に振る気配が伝わった
「これまで 楽しい時間をありがとう ヴァレスト」
「おい────」
「人生最後の夜なのだし 紅茶を煎れ直すから もう一杯どうかしら?」
「あ ああ・・・・ええと その」
返答を待たず 立ち上がり キッチンへと向かう背中
ヴァレストは 生まれて2度目の感情に震え
2度目の失敗を犯そうとする自分を 懸命に抑えた
「とびきりの葉を 使いましょうか ミスター・ヴァレスト?」
「・・・・あのな!・・・・いいことを思いついたぞ!
こう見えても 随分長く この稼業だ
知り合いの天使だっているしな 結構大物クラスのさ!
ようし 今から1匹 呼びつけるから
なあ? 楽しくやろう レスティア」
「────馬鹿ね あなた────」
けらけらと 快活な笑いが届く
「天使がしかめ面 するわよ
悪魔に惚れた女なんか 見たら」
「!!!」
「────ほら もうすぐ持ってゆくから ね」
悪戯な声色が 悪魔の心に
鋭い痛みと 思い出を刻み付けた
「人間の苦しみと その中に隠された喜びを 勉強なさいな────」
前話の彼女の、弟君。
まあ、その。
彼は、相当にこじらせています。
このシリーズの、主人公かな。