196話 Danger Zone 09
「1つ聞きたいんだが。『ちょっと』とは、どの程度だ?」
”───お前ホント、堅いヤツだなぁ。『ちょっと』は、ちょっとだよ。
思うままにやりゃいいんだ”
「そ、そうか・・・なら、『ちょっと』だけ、やってみようか」
”ああ”
「・・・私は、猫が好きだが。これまで1度も、触れたことが無い。
幾度も接触を試みたものの、尽く嫌がられ、逃げられている。
所謂『捨て台詞』のようなものさえ、返って来ない状態だ。
それ故に弁解も、追いかける事も出来ない。
会話が成立したのなんてブライアン、君が初めてなんだ。
それだけでも今日は、奇跡的な一日と言えるだろう。
猫と付き合いたいが、上手くいかない。
けれども、好きだという気持ちは抑えられない。
そんな私は・・・『動画サイト』に逃げるしかなかった。
人気のある動画を片端から再生し、そのリンクを辿って更に探し求めて。
画面の中、様々な猫達を眺めては、さも自分が体験したようなつもりになり。
世界中の猫に会いに行き、仲良くしているんだと。
そう思い込む事で、現実を忘れようとしている。
『猫と付き合えない猫好き』の、悲しい生き様さ。
人間達が投稿する動画は、バリエーション豊かだ。
飼い猫を毎日、撮り続けているもの。
野外で出会った野良との交流を主体にしているもの。
保護した猫達を里親が決まるまでの間、人間との生活に慣れさせているもの。
子猫、老猫。
猫種も多様で、性別や個々の性格も合わせれば、それこそ無限大。
メインクーン、スコティッシュフォールド、ヒマラヤン。
おかげで、有名所は一通り覚えたよ。
しかし私はね、猫種よりもその被毛に、一層の興味を持っているんだ。
純血だとか、雑種だとかに囚われず。
その猫が持つ最大の個性を見るとすれば、『まずは被毛から』が私の持論だ。
レッドタビー。
ポインテッド。
バイカラー。
どれも皆、美しいさ。
だが、その中でも特に。
『キャリコ』と呼ばれる、白、黒、オレンジがかった茶の、柄模様。
これが一番好きでね。
格別なのさ。
私が《キャリコフォルダー》に保存している動画数は現在、200を優に超えている。
勿論、吟味に吟味を重ね、厳選した上でだ。
時間が許すならば、私はそれらを永遠に繰り返し鑑賞していられる。
飽きる事など、有り得ない。
地上へ降りてより現在まで、集めに集めた『宝の山』。
失えば生きる意味の大半を喪失するだろう、魂の拠り所。
・・・それを完全に、上書きしてしまったのが。
ブライアン、君なのだ。
体験は、知識を容易く凌駕し。
その感動は脳ではなく、心に刻み付けられる。
最も高い解像度で撮影された動画さえ、目の前の君には勝てない。
雪の如く清廉で、けれど陽だまりの中にあるように優しき『白』。
艷やかに煌めき、意志の強さのみならず、包容力さえ示す『黒』。
大地と炎を宿し、時間も場所も超越する、不変の美たる『オレンジ』。
呼吸の度、静かに波打つそれらは。
そのコントラストは。
清流の川底であり、落ち葉舞う並木道であり、明けの光に照らされる山頂。
正に、一枚の絵画。
いや、連続した風景、世界の一部だ。
至高の芸術をこんな間近で見せてくれる、君の寛大さ。
口を聞かない自由も、近寄らない自由もありながら、それらを行使せず。
蒙昧な男に、自らの肉体をもって教示することを選んでくれた温情。
有難う、ブライアン。
君は私の、初めての『猫』だ。
眺めるだけの遠い存在ではなく、生命を感じ取れる『現実の猫』だ。
本当に有難う。
君と、君の仲間達に多くの幸せが訪れる事を、切に祈る」
”───長ぇよっ!!”
ばしっ。
ブライアンのパンチが、右脚に直撃した。
”しかも、半分くらい自己紹介じゃねぇかっ!!”
ばしっ。
追加の一撃が炸裂。
少しも痛くないのだが。
”えーーーあーーー、しかし、アレか?”
「うん?」
”お前、その───オレの毛並みが、そんなに好きか?”
「ああ、好きさ。大好きさ。
ビビッドで絶妙な配色の、世界一極上なキャリコだよ」
”〜〜〜〜〜〜!!”
ぐるぐると。
凄い速さでブライアンが、回転を始めた。
え??
これは一体、どうしたんだ??
以前、間違えて再生した動画で、小型犬が自分の尻尾を追いかけて回っていたが。
それとはまた、別の動きに見える。
しかも、更に高速だ。
「お、おい・・・」
”ああ、まったく!───まったく、もう!!”
「??」
”『ちょっと』って言ったのに、そんなに褒められちゃあな〜〜!
それに、このオレンジ色が『炎』だって!?
そりゃまあ、当然だろ!!ご主人の猫だしよぉ〜〜!!”
大丈夫なのか、そんなに回り続けて?
そう尋ねようとした矢先。
ブライアンが、ぴたりと止まった。
互いの視線が、真正面から噛み合って。
”仕方無ぇな───いいぞ、オレを撫でても!”
「なっ!?いいのか、本当にっ!?」
”落ち着け、興奮するな!”
簡単に言ってくれるが、簡単な事ではない。
それに、落ち着かなければならないのは、お互い様だと思うが。
”いいか、セルディオル。ゆっくりとだぞ?”
「わ、分かった・・・やるぞ!?」
右手を伸ばし、震える指を近付ける。
ブライアンの頭部。
暖かく滑らかな毛先に、触れた。
全ての指先が、そこへ沈み込み。
包まれた。
「・・・おおお・・・!」
”ほらほら!遠慮せず、撫でてみろ。
ただし、最初は頭と顔。最大範囲は、首の付け根までだ。
いきなり背中の方へ行くんじゃないぞ?”
「ああ・・・ああ!」
”手を動かしていても、観察は忘れるな。
大きく目を見開いてたり、耳を何度もピクピクと動かしてたら、『要注意』だ。
そういう時は、さり気なく撫でるポイントを変えろ。
触られたくない場所は猫によって違うし、信頼のレベルによっても変わってくる。
特に、耳を平たく伏せた時は、即・中断だぞ?
無理に続けたら、好感度が著しく低下するからな?”
そう解説しつつ、ブライアンは頭部を上げ、両目を細めた。
これは・・・悪くない反応、なのか?
今、私は。
一生分の幸運を使い果たそうとしているのか!?
”よぉし。顔の横、まずは頬の辺りを擽ってみろ。
───そう───そうだ、いいぞ。
もっと───今度は喉というか、口の下へ”
「・・・こんな具合か?」
”おう───悪くないぞ!
というか、お前。初めてにしちゃあ、妙に慣れた手付きだな?”
「動画を見ながら、練習していたんだ。
実際にやるのは、今回が初めてなんだがね」
”ほほぉ───『シャドウボクシング』みたいなモンか!”




