171話 愛ゆえに 04
(───くそっ!見失った!)
イライラする。
喉が乾いて。
だから、更にイライラする。
逃げている『標的』は、それほど速くはないのだ。
だが、追っている自分達も似たようなもので。
いつまで経っても、追い付けない。
それどころか、じりじりと離されている。
(何処だっ!?どっちへ曲がった!?)
眼前を塞ぐ草葉を、手荒く振り払い。
額から目尻へとむず痒く伝う汗を拭えば、また視界が覆われている。
・・・ああ、そうだ。
こんな事をやってるから、駄目なんだ。
”腰溜めで射つな”と教わったから、射撃の際は小銃を両手で構えてから狙う。
当然、脚を止めて発砲する。
そして、当たらなければ追跡の再開。
そのまま進めば、低木の枝葉が顔面を直撃する。
それを払うのには、空いている両手が必要で。
肩ベルトで吊り下げた小銃は必然的に、腰の後ろへ回すことになり。
撃つとなればまた、これらの繰り返しだ。
(ゴーグルもフェイスガードも無しで、やってられるか!)
サバイバルゲームが趣味の友人が、よくそういう格好をしていたっけ。
自分は参加しなかったが、アレはきちんと意味のある装備だった訳だ。
「岸田」
5、6メートル右横の同僚に、声を掛ける。
「・・・消えました」
呆然とした顔が首を振って、間の抜けた声を返す。
”消えました”、じゃないだろ。
何だその、自分は関係無い、悪くない、みたいな言い草は?
見失ったんだよ!
どうにかして見つけ出さないと、俺もお前も『懲罰』が待ってるんだよ!
───この『岸田』という奴。
体格は自分と同じくらい大柄で、体力もあるが。
頭のほうが、どうにも弱いらしい。
『聖言』が憶えられず、『覚醒試験』に何度も落ちている。
調理はおろか、配膳の仕事もままならない、ってんで、『防衛部』に回された。
部長である自分としてはまあ、有り難い。
周りに馬鹿が多いほど、有能さをアピール出来るからだ。
しかし、そう言ってられるのも、平時の間だけ。
『真実の聖杯』を奪われたとなれば、『防衛部』が最終責任を問われる。
奪われるまでの経緯も、奪還出来なかった理由も関係無い。
『失敗』の責任、それを誰にでも分かる形で取らされるのが、部長である自分。
大教祖様の命令で防衛部総員が飛び出したが、すでに殆どが脱落している。
肉体も頭も中途半端な連中は、土壇場で使い物にならない。
普段の自分の配食は、5名しかいない『上位覚醒士』と同じ物だ。
そんな特典も奪還に失敗したら、失ってしまう。
妬んでいた奴等がさぞかし喜び、後釜を狙うだろう。
「岸田」
「すみません、ちょっと、引っ掛かって」
振り返り、遅れ始めた馬鹿を呼ぶ。
小銃の銃身が蔦に絡まり、それを御丁寧に指先で解こうとしている。
緊張感の欠片も無い、緩慢な動きだ。
「ナイフを使え」
「あ、ハイ」
どこまで要領が悪いんだ、お前は!
腹立たしいが、ぐっ、と堪える。
今こいつに怒鳴ったって、仕方がない。
山中で身動きが取りづらいのは、自分も同じ。
この《AK-47》と呼ぶらしい、ロシア製自動小銃。
かなり古い物らしく、小銃どころか『大銃』だ。
おまけに、弾倉込みで4キロ以上の重量ときている。
こんなのを持ったまま長時間、行動出来る訳が無い。
自分達はほぼ一般人、射撃訓練しか受けていないのだ。
ベルトの長さや吊り方に、何かコツがあるのか?
そもそも、やり方自体が間違っているのか?
背部に回すのではなく、銃口を上にして背負うとか?
───いや、そんな事を考えてる場合じゃない。
早く『真実の聖杯』を、取り戻さねば!
あれは大教祖様が、光の絶対神であるアデムレイトより直々に賜った物である。
来たるべき『世界一斉革命の日』に、人類の切り札となる『神器』。
決して、悪神の信奉者達に渡す訳にはいかない。
聖杯なくして、教団はあり得ず。
自分の立場も役得も、教団があってこそなのだ。
「岸田」
「あの、あの、もう少しで」
お前、いい加減に───
怒りの塊が、喉の奥からせり上がって来た時。
前方で物音がした。
枝の揺れる音。
折れる音。
靴がそれを踏む音。
止まっている自分達が、先程まで立てていたものと同じ───
「構えろ!急げ!」
「え、ええと!」
顔面を真っ赤にして蔦を切っている、岸田。
───また音がした。
近い!!
岸田の馬鹿を待ってる暇は無い。
《AK-47》の安全装置を解除し、構える。
目を凝らして、動いている茂みがないか探して───
いやがった!!
白樺の木立から、グレーの長袖の腕が見えている!!
「2時の方向、10メートル先!」
岸田に知らせ、引き金に掛けた指を───
「撃つな!!降伏する!!撃たないでくれっ!!」
視界の中で、腕が大きく上下に振られた。
「抵抗しない!降伏するっ!!撃つなっ!!」
必死の、裏返った情け無い声。
それを聞いて苦笑より先に、安堵の溜息が出る。
『聖杯』の奪還は、何よりも最優先。
しかし、悪神の手先であるこの連中を生きたまま連れて帰れば、更に評価される。
こんなに苦労して、走り回ったのだ。
最大の成果を上げて戻りたいし、そうするのが当然だ。
「───両手を上げて、ゆっくりと出て来い!」
《AK-47》を構えたまま、出来るだけ威圧的に叫ぶ。
相手に妙な真似をさせない為だ。
恐怖で震えるくらいで、丁度いい。
そもそも、悪神の側に付くような輩に、かける慈悲など存在しないのだ。
・・・木の影から1人、男が姿を現した。
小太りの中年。
よろめいて、今にも倒れそうな疲弊っぷりだ。
脚は速いが、持久力が尽きたらしい。
流石に走れなくなって、もう逃げられないと観念したのだろう。
(『こんなの』に追い付けなかったのか・・・!)
小馬鹿にされたような気がして、ぎり、と奥歯を噛み締める。
だが、それよりも!
「もう1人は、どうした!?」
「向こうの沢に転落した!動かないから、置いてきた!」
「『聖杯』は?」
「私が持っている!」
「何処だ?」
「背中のリュックに入っている!」
───よし。
手間が省けた。
骨折したか、死んでるのか分からないが、そっちの方は部下にやらせよう。
自分は、『一番美味しい』ところを持ってゆく。
大教祖様に、褒めて頂く。
ただし、慎重に、ギリギリまで安全策を使う。
自分は『防衛部』のトップであり、管理者。
危険を冒すのは、役立たずの阿呆が適任だ。
「リュックを降ろして、そこに置け!
そうだ───もう一度両手を上げて、5メートル退がれ!」
安心しきり、更に緊張感を無くしている岸田に、顎をしゃくる。
「確認してこい」
「・・・え?あ、ハイ!」
気の抜けた返事と共に、岸田がリュックへ歩み寄る。
一応、奴が射線に入らぬよう、男に狙いを定めたままで横に移動する。
「う、撃たないでくれっ!」
顔を歪めて、中年男が懇願。
「分かってる!もう少し、退がれ!」
睨み付けて黙らせ。
顔を向けないまま、ちら、と岸田を見た。
「どれだろう?・・・何か、色々入ってるけど・・・」
「大きさを考えろ、一番大きなのを探せ」
こいつ。
そこまで指示しないと、駄目なのか!?
小学生でも、お前より頭が回るぞ!?
「・・・あ!これかな?」
リュックから、黒いケースが引っ張り出された。
「中身、確認!早く!」
「・・・どうやって開けるんだろう?」
煮え滾る怒りを、何とか溜息に変えて吐き出す。
ああ、殴り飛ばしてやりたいな!!
ファスナーとか、ボタンとか、そういうのがあるだろう!!
『開けられない箱』なんて、あるかよ!!
くそっ!!
中年男!!
お前も笑ってんじゃねぇよ!!
というか。
いや、待て。
───距離が───
「おいッ!!動くなッ!!」
「??」
声に反応して顔を上げる、岸田。
そこへ。
吸い込まれるように、飛び蹴りが突き刺さった。
「岸田ッ!!」
咄嗟に名前を呼ぶが。
棒切れのように引っくり返ったきり、動かない。
マズい!!
一瞬で、数のアドバンテージが無くなった!!
もう『生け捕りにする』線は、破棄だ!!
この男、危険すぎる!!
殺そう!!
躊躇せず、引き金を引き絞った。
パンッ!
当たらなかった。
パンッ!パンッ!
当たらなかった。
(おい!?嘘だろ!?)
音も立てず。
ただ足元の下生えだけを、揺らして。
滑るように男が進んでくる。
その異様さに気圧され、退がりながら撃った。
フルオートに切り替えて、連射した。
だが、それも当たらない。
(何でッ!?何で、この距離でッ!?)
2秒も経たず、弾が尽きた。
(よ、予備のマガジンを・・・ッ!)
腰のコンバットベルトに手を伸ばした瞬間。
世界が、ぐるりと回った。
(!?)
カッ!、と鋭い呼吸音が、耳に響き───




