155話 ニンゲン病患者 02
「久し振りだね、ルーベル。急に呼び出して、ごめんね」
「い、いえ!先生のお呼びとあれば、何があろうとも!」
背筋を伸ばし、己のとり得る精一杯の言葉遣いで返す老人。
視線を上げ、埃とシミに汚れた絨毯のその先を見れば。
金縁の丸眼鏡をかけた青年が、こちらに右半身を向けている。
中肉中背の、どこにでもいるような顔立ち。
人目を惹きつけるような特徴は、どこにもない。
それでも、『きちんとすれば』それなりなのだろうが。
青年自身にそのつもりが無ければ、話にならない。
紺と灰色の横ストライプが入ったセーターは、遠目でも分かるほど毛玉だらけ。
下は、聞いたことの無いメーカーのロゴが入った、黒のジャージ。
その裾と緑色のスリッパの間にのぞく靴下は、左右で色とも柄も違う。
センスやコーディネート以前の問題だ。
そもそも、身に着けるものに些かの関心も払っていない。
───しかし、そんな姿こそ、老人が渇望していたもの。
───これぞまさしく21年前に見た、尊き師の在り方だった。
「・・・その・・・先生は」
「うん?」
「先生は何故、死んでしまわれたのですか」
奇妙な問い掛けに、青年は微かに笑う。
けれども、PCのキーボードを叩く指は常に動き続けている。
「それはね───馬鹿は死なないと、治らないし。
『絵描き』は死ななきゃ、やめられないからだよ」
「では・・・どうしてまた、生きる事を決意されたのですか」
「死んでいる間、ずっと考えていたんだけどね。
せっかく『絵描き』をやめたんだから、今度は他の事をやってみようかな、って」
「・・・・・・」
「ごめんね。君の期待には、沿えなくて」
「・・・戻って来られただけでも、僥倖です」
「有難う」
俯く老人には、隠しきれぬ失望があり。
それを視界の隅に捉えた青年は、小さく溜息をついた。
それは、恥ずかしがるような。
けれどどこか、嬉しそうな。
子供じみた表情だった。




