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桜神の追憶

作者: 鴇月



主人公 かつては旅をしていた。

女 桜の木の下にいた。







私は昔、旅をしていた。もう随分と昔のことだが、今でも桜を眺めていると思い出す。あれは、両親を亡くした少し後だった。帝都を少しばかり遠くに進んで、親類のところへと行く最中だった。


山の奥深い山道を、一人で歩いていた。季節は春の真っ盛りで見事に咲き誇る桜が、両端に咲いていてこのまま果てなく桜ばかりが咲いているのではと思いつつ、早くここを抜けなければと足を動かしていた。さて、どれ程歩いたか。いつしか辺りがすっかりと拓けている所へと出た。その近くの桜は風に吹かれて散っている。しかし、この桜はさっきまでの両端に咲いていた桜よりも、一等紅いのだ。花弁はまるで血のようで、私はとある与太話を思い出した。「桜の下にゃー、死体があるんだとさ。」

…両親より先に鬼籍に入った元軍医の祖父は、よく私に怪談話をして怖がらせてきた。少しだけ寒気がして、私はここは奇妙で長居はしてはならないと再び歩き出したときだ。

大きな桜の木の下に女が居るのを見つけた。女は今高価そうな薄紅の着物姿で、容姿はその頃の私と変わらないぐらい若そうに見えた。

しかし思い出して欲しい。山奥に連れも無しに、非力そうな女人が来るものだろうか。暖かい春は、熊がいてもおかしくない。屈強ならともかく男の中でも非力な私や、女人では太刀打ちできないというのに。いつしか私は女に近づいていた。

「もし。そこの貴女、どうしてここで一人でいるのですか?」

「あら、見馴れない方。あたしは、この近くの屋敷に住んでいるのよ。桜がとっても綺麗だから、ここへ来たの。貴方は、旅人かしら?」

「ええ。両親を亡くしたので、遠方の親類のところへと行く旅ですよ。」

女はまじまじと、私を見た。

「生まれはどちら?都かしら?上等な着物を着ているようだわ。」

「帝都の近くのほうですよ。貴女こそ、良い着物を着ているようだ。」

「あらあら、口の上手いこと。それにしても、随分と歩いてきてるのね。ここを突き抜けるのなら、東北の方へ行くのね?」

「ええ。着く頃には秋でしょうから、せめてもとここの桜を眺めていこうと思いましてね、鉄道を途中で下車したのですよ。」

私は嬉しそうに話に相槌をうってくれる女と話し込んだ。女はとある伯爵家の娘だが体が弱く、家族の勧めで山の別荘で手伝いらと暮らしているという。

「じきに夜が来てしまう、どうかお泊まりになって頂戴。この山は暗くては何も見えなくなりますから。」

女に案内され、着いたのは確かに伯爵家らしい豪勢な風貌の屋敷だった。

暗くなった空のせいか、あまり綺麗に見えはしなかったが、幼少の頃に、母が語ってくれたフランスの宮殿のようだった。

「さぁ、お入りになって。」

すっかりと、御馳走と湯を借りて旅の疲れか、眠気がしてきた頃、女は言った。

「貴方は、他の男らとは違いますね。」

からかうような言い草に、私は反論した。

「どうしてそう、思われるのか聞きたいものです。」

酒瓶を手に、女は笑って言った。

「桜を見て、逃げなかったのは貴方が初めてよ。」

「あの紅桜かい?」

酒のせいか、少しばかり暑い身体を窓辺に近づけて心地よい風にあたる。

「旅人はみな、あの桜を嫌うのよ。血のように鮮やかな桜に狂気でも見出だしたかのように、逃げていくの。でもあたしはあの紅桜は美しいと思うのよ。儚さを押し付けられて可哀想な桜はあたしは嫌よ。」

外から小さくぽつんと見える、大きなはずのあの紅桜。私はくいっと酒を飲み干すと、女にそろそろ寝るからと、退室をしてもらった。女が部屋から出た後、いつしかまどろんで寝てしまっていた私は奇妙な夢を見た。

「旅人、お前は早く屋敷を出なけりゃならない。」

「旅人、逃げろ早くにげなけりゃ死んでしまう。」

まるで悲惨な末路を知っているかのように、何かが私の耳元で囁く。

「どうして?」

「紅桜はお前を見初めちまったんだ、早くしなけりゃお前さんは殺されて葬られてしまう。」

はっと、目を覚ますとザアザアと桜吹雪がまるで血が飛び散るかのように夜の明け始めた空一面に舞い始めた。

私は慌てて、荷物を手に窓から飛び降りて、外へと出た。後ろを振り向かずに、一目散に走って

ついに丘まで下った。するとザアザアと風のするなかで、女の声が木霊した。

「やっぱり貴方も同じだった。せっかく桜の木の下へと葬って、あたしの物にしたかったのに。仕方がないわね旅人さん、お行きなさいな。」

「すまない、私はまだ死ねないんだ。」

踵を返して、私はそのまま下りていった。


秋に親類のところへと着いた私は事の次第を話すと、親類の娘が言った。

「それは、貴方に恋したからじゃないかしら。一人は寂しかったんじゃないの?」

後から分かったのだが、私が歩いたあの山にはかつて本当に伯爵令嬢が居たらしいが、気を病んで桜の麓で亡くなってしまったらしい。私は線香に火を付けて、空へと向けた。

煙は揺蕩って、空へと昇っていった。

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