狂った愛に裏切りを返す日
「どうしてブルーのドレスを着ていないの?」
彼はひどく不満気に尋ねてきた。
「あら、今回王妃様がブルーのドレスをお召しになると......」
「そんなの関係ないよ。ねぇ、いつもの様に僕の瞳の色を纏って。」
彼は甘い声で囁くように私にねだる。
「ですが......」
「そんなに気になる?なら母上に違うドレスを着てもらおう。」
「殿下、お待ち下さい。」
今にも伝令を出しそうな彼を急いで引き留める。
「殿下、私黒色のドレスにブルーのアクセサリーをいたしますわ。」
「黒って僕の髪の色?」
「はい。」
「僕の色ではあるけれど、貴女に黒は合わないよ。」
「いいえ。先日出来上がったばかりのドレスが美しすぎて着るのをためらっておりましたが、あのドレスならば殿下もお気に召すはずです。たまには、いつもと違った私も見ていただきたいのです。」
「そう?貴女がそこまで言うなら、そのドレスを着て見せて。」
彼は少し、楽しそうに笑っていた。よかった、機嫌が直ったらしい。
私は侍女達に手伝ってもらい、急いでドレスを着替える。
先ほどまではピンクのドレスを着ていた為、それに合わせてメイクも髪も甘めだ。
今から着替えるドレスは光沢のあるダークブルーの生地にブラックのレースを重ねて透け感のあるクールなイメージの物なので、下ろしていた髪は全てアップにし、メイクも目元がキリッとなるよう濃いめにラインを入れ、リップもハッキリした色に塗り直す。
殿下に頂いた青い宝石のアクセサリーを身に付け、鏡で全身を確認する。
これなら大丈夫なはず。
「殿下、大変お待たせいたしました。」
私は丁寧にカーテシーをしてみせる。
殿下は私をまじまじと観察しているようだ。
「いつもの愛らしい雰囲気もすごく好きだけど、今みたいにクールな感じもいいね。その黒いドレスは青も使ってるんだね、ふふ、いいね。ドキドキするよ。このまま二人で閉じ籠っていたいな。」
彼はうっとりした眼差しで私を見つめた。
「ねぇ、誰にも見せたくないな。」
「いけませんよ、殿下。」
「僕以外に微笑んだりしたら、駄目だよ。」
「そんな事しませんわ。」
この部屋をでたら、私は無表情になる。
誰にも視線を合わせてはいけない。
決して殿下の側を離れてはいけない。
この方を愚かな王子にしてはいけない。
彼は不思議な力を持っている。
彼に命令されると、絶対に逆らうことができない。それが死であろうとも。
彼は歪んでいる。
彼の中にあるのは、私か私以外。
彼は独占欲が強い。
彼以外は私の笑顔を見ただけで、死に値するという。
彼は私を愛している。
けれど、彼は私に出会わない方が幸せだったのではないだろうか。
私さえ関わらなければ、あんなに優秀な人はいない。
歴代随一の賢王となれただろう。
私は彼を狂わせる。
私といると彼は愚かな暴君に成り下がる。
「難しい顔してどうしたの?」
「いつもと違う装いに、少し緊張しておりますの。」
「心配しなくても、貴女より美しい人は存在しないよ。僕以外が貴女に見惚れないかの方が心配だな。」
「私は殿下だけのものですわ。」
おそらく、私達が会場入りした瞬間、皆目を反らすだろう。
私と目が合ったと言って死を命じられた人は数知れないのだから。
私は彼等にとって死神に等しい存在なのだ。
私はもう数年、殿下以外に笑顔を向けたことも向けられた事もない。
彼の世界に私しかいないように、私の世界にも彼しかいなくなってしまった。
案の定、私達が入ると皆視線を反らした。
令嬢達は彼の耳にも届くよう、一斉に私の美しさを称え始める。
恐怖にひきつる顔で、なんとお似合いの二人なのか、と話すのだ。
その声が聞こえると、彼は満足そうに微笑む。
「ほら、皆が貴女の美しさを語っているよ。我が国の女性達は見る目があるね。」
「殿下、まずは陛下と王妃様にご挨拶したいのですけれど。」
「そうだね、行こうか。仕方がないから父上と母上にも貴女の美しさを見せてあげよう。」
「まぁ。」
「でも、父上にも微笑んだら駄目だよ。貴女の笑顔は僕だけのものだからね。」
「勿論ですわ。」
私は殿下を安心させる為に、ぴったりと寄り添った。
二人で国王夫妻に挨拶に行く。
「あぁ、よく来たな。」
「まぁ、素敵なドレスね。とても似合っているわ。」
「陛下、王妃様、ありがとうございます。」
「母上、ひどいではありませんか。」
私は体が冷えていくのを感じた。
「......何がです?」
「そのドレスの色ですよ。母上がブルーのドレスを着てしまうから、我が愛しの婚約者殿はブルーのドレスを着られなかったのですよ。このドレスもとても似合っているんですけどね。」
「私がブルーのドレスを着てもよいではありませんか。他の者にしてもそうですよ。」
王妃様は私を見て言った。
「貴女だって、いつもいつもブルーのドレスを着せられているけれど、今日の様に違う色も、着たいでしょう?可愛らしいピンクなんて似合うのではなくて?」
今、この会場でブルーのドレスを着ているのは王妃様のみ。
けれど、いつもは私だけ。
私一人だけが、ブルーの色を纏う。
他の者達には禁色と認識されている。
私と同じブルーのドレスを着た罪で令嬢が亡くなっているから。
王妃様はこれではいけないと、今回あえてブルーのドレスをお召しになっていた。
母親なのだから、あの時の令嬢の様にはならないだろうと、私も思っていた。
「彼女にはブルーのドレスしか用意していなかったはずなのに、なぜピンクのドレスなんて着ていたのかと思ったら、母上でしたか。」
それはひどく恐ろしい声だった。
「私の婚約者に勝手にドレスを贈ったのですね?」
「未来の娘にプレゼントをする事の、何がいけないのです。」
「彼女には私が用意した物以外身につけてほしくないのですよ。ましてや、私以外の色なんて、許せませんね。」
「いつまでそんな事を言っているつもりです。よく見てみなさい、お前がそんなだから、皆怯えているではありませんか。そんな事で、この国を統べることが出来ると思っているのですか!」
「母上、」
いけない。
「殿下!」
「貴女はもう必要ありません。私に許可なく彼女にドレスを贈るなど......。」
「殿下、殿下!」
私は彼にすがりつく。
「私に内密に彼女か彼女に付けていた侍女と連絡を取りましたね?」
「申し訳ありません、殿下。私が王妃様にドレスが欲しいとお手紙を書いたのです。」
彼は私の方を向き、優しく微笑む。
「嘘はいけないよ。貴女が手紙を出して、それを僕が知らないなんて事はありえないんだよ。」
あぁ......
「さぁ、母上。この世とお別れの時間です。私と彼女の間に入るだなんて、何者であっても許さない。」
「バカな事を言うでない。止めるんだ!」
「父上も、死にますか?」
「その様な事......!」
「あ、...ぁあっ...かはっ......」
「......王妃、王妃!誰か侍医を呼べ!急ぐのだ!」
王妃様は突然苦しみ出し、血を吐いて倒れてしまった。
私も地べたに座り込む。
彼は本当に狂っている。
たかだかドレス一枚で、いともあっさり実母を殺してしまうのだ。
会場中が恐怖に静まりかえる中、彼は私を抱き抱えた。
「座り込んでしまうなんて、どうしたの?どこか具合が悪い?すぐに侍医に見てもらおう。」
ひどく心配した様子で私の顔を覗き込む。
私を抱き抱える手はとても優しい。
彼を歪ませているのは私。
これまで、どうにかなるかもしれない。もしかしたら、私をの事を普通に愛し、きちんと国を治めてくれるかもしれない。そう信じてきたけれど、もうダメだ。
彼は戻れないところまで来てしまった。
私に出来るのはひとつだけ。
覚悟を決める時が来てしまったのだ。
本当はもっと早く、沢山の人の命が失われる前に決行すべきだったのに。
愚かな私を許して欲しい。
彼は私を抱えたまま、部屋に戻ってきた。
私をそっと、ベッドに下ろす。
「殿下、殿下はこれまで沢山の方々に死をお命じになりましたね。」
「どうしたの?急に。僕は罪人に相応しい罰を与えた事しかないよ。貴女が気に病む事はない。」
そう言って私を撫でる手は優しく心地よい。
「いいえ、殿下のお命じになった死は、全て私が原因です。殿下、殿下は先程、遂にお母上まで......」
「母上はでしゃばりすぎたのだ。仕方ないよ。」
「いいえ、殿下。殿下はやりすぎました。国王陛下も、民も、誰も貴方をお許しにはならないでしょう。」
「そんなの大したことないよ。僕には貴女がいればいいのだもの。心配ないよ、父上にも死んでいただいて、僕が国王になれば咎めるものなどいなくなるさ。貴女は僕の隣にいてくれれば、それでいいんだよ。」
彼は私を安心させようと優しく語りかける。
彼は自身が狂っている事に気がつかない。
彼の目には、あの恐怖にひきつる人々など映らないのだ。
彼の世界には私だけ。
私の世界にも彼だけ。
けれど、見える世界は違うのだ。
私達がわかり合える日など来ることはないだろう。
私は、彼を壊した責任を取る。
「殿下、私達二人にこの世はひどく生きづらい。」
私はずっとしまいこんであった短剣を二つ取り出す。
全く同じデザインのそれは、柄につく宝石の色だけが異なっていた。
ひとつは赤、ひとつは青。
これは私の実家に古くから伝わる短剣。
父と母が私に託してくれた物。
「これは私の実家に伝わる短剣です。この短剣でお互いを刺せば、」
「魂が輪廻転生するという、アレか?」
私は静かに頷く。
「はい。私と死んでくださいませ。」
彼は私の提案をそれは嬉しそうに受け入れた。
「貴女に殺してもらえて、僕も貴女の命を貰える。そしてまた貴女と生まれ変われるなんて、夢みたいだ。そうだね、この世は柵ばかりで少し生きづらいかもしれないね。僕は貴女と一緒なら死後の世界でも構わない。すごく、素敵だ。」
彼は死ぬのも怖くないらしい。
私の提案はひどく魅力的に感じられた様だ。
私は青い短剣を彼に渡す。
「殿下、この短剣は特殊なのです。腕を切れば苦しまずに死ねるのです。」
「貴女が苦しまないのはいいね。僕は貴女がくれる苦痛なら喜んで受け入れるのだけれど。」
私は彼に腕を差し出す。
「貴女が先に殺してよ。」
「わかりました。殿下、手を。」
私は彼の手を取ると赤い短剣でそっと腕に傷をつけた。
私は再び、彼に腕を出す。
「そんな少しの傷でいいんだね。全然痛くなかったよ。」
彼も優しく私の腕を切る。青い短剣で。
「何だろう、すごく幸せな気分だ。眠たくなってきた。」
彼は私を抱き締めて倒れこみ、そっと口づける。
「ふふ、今世最後のキスだね。」
私もそっと微笑む。
「そうですね、これで最後。殿下、私殿下を愛しています。これからもずっと。」
「僕もだよ。永遠に貴女だけ愛している。来世が楽しみだな。必ず、僕と一緒に生まれ変わるんだよ。」
彼はそう言って幸せそうに逝ってしまった。
一緒に生まれ変わるんだよ、と言った事で安心したのだろう。
彼の命令には誰も逆らえないから。
彼は覚えていないのだ。
初めて会った時に、彼が自分の不思議な力に気づく前に、まだ真っ直ぐだった頃、私に言った事を。
『あなたが僕の婚約者なの?僕の言うことなら何でも聞きますとか、そういうご機嫌取りみたいな事しないでよね。今日から僕と貴女は対等だ。』
一番始めに言われた言葉は、その後もずっと作用し続けている。
彼は最後まできづいていなかったけれど、私だけは彼の命令が聞かないのだ。
私は唯一彼に逆らえる人間だったのに。
どんどん歪んでいく彼を止める事ができなかった。
だから私は最後に嘘をついた。
赤い短剣は魂を輪廻転生させる物。
青い短剣は魂を消滅させる物。
彼は生まれ変わって今度こそ、正しく幸せになる。
彼が正しく生きていく為に、私はいてはいけないのだ。私と彼が会うことは二度とない。
私は彼を狂わせる。
この国の惨事の元凶は全て私。
彼を愛していたから、少しでも側にいたいと思ってしまった。
そして私は、責任を取ると言って彼を殺し、自らの責任を放棄して彼と共に死ぬのだ。
彼への罰は、彼を裏切り私の魂を消滅させる事。だから、愛する彼に安らかな死を与えた事を許して欲しい。
私の罰は自らの消滅。
私の魂は消滅するが、心は永遠に彼と共にある事を、どうか、どうか、許して欲しい。
これが愚かな私の最後。