積み重ねしもの
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と、内容についての記録の一編。
あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。
なあなあ、お前は家の家系図を見たことがあるか? 自分の家のものだぞ。
――そうか、ないか。まあ、家系図を持っている家っていうのは、珍しいかもしれないな。
俺の実家には家系図があるんだが……これが長いのなんのって、書初めで使う半紙など目じゃないほどのボリュームだ。
なにせ始祖が「スサノオノミコト」だぞ? そこから延々、延々続いているんだぞ? 選ばれし血統とかが好きな皆さんには、垂涎の設定だと思わないか?
でも、俺たちがこうして生きていられるのは、過去からずっと血をつないでくれた人がいるからなんだよなあ。血のつながりって、創作の題材としても、恰好のものだろう。
子供ができる限り、血筋は続く。一度、結んじまった血、混じっちまった遺伝子は、ずっとずっと、俺たちの中にも流れている。そこには過去を生きた英傑の血も眠っていて、目覚めの時を待っている……なんてな。つい、自分の可能性を信じたくなるだろ?
「継続は力なり」っていう言葉がある通り、続いていく途中には、何かしらの力が生まれるものかもしれない。そんなことを感じるようになった、きっかけとなる昔話があるんだが……興味はないか?
江戸幕府が開かれて間もなくの頃。
長く人々が祈願した、泰平の世の下でも、一部の人々は剣に対する追及を続けていた。
「殺人刀」と「活人剣」。もはや、耳にすることが珍しくない言葉であり、解釈も色々とある。著名な剣士である柳生宗矩によると、「殺人刀」は対峙した悪を確実に殺すものであり、「活人剣」はその悪を殺したことにより、多くの人が救われて、活きていくことができる、という概念らしい。それらは一体となって、存在しなければならない、と。
俺は個人的に、このことを「大義ある殺人」のことを指すと思っている。やたらめったらに人を斬る、という行為が問題視されるのも、この大義がないためじゃなかろうかとね。
だからこそ、悪でない相手をどうあしらうのか、ということも剣術を広めるにあたっての大きな課題だったんじゃないかと思う。
その日、とある道場に飛び入りでやってきた、武者修行の者がいたそうだ。
何人かの門下生と剣を合わせたが、あまりにも強く乱暴で、したたかに打ち込まれ、身体の骨が折れてしまった者もいる。
修行者はそれに気分を良くしたのか、上座で試合を見ていた師範に試合を申し込んだ。「あんたがとっとと立ち会わないから、門下生が苦しんだ」という、非難めいた言葉も添えて、挑発した。
師範は一部の者の中では、相当に名が知られている。
剣を持って数十年。全国をくまなく渡り歩いて50回を超える真剣勝負に望み、それに打ち勝ってきたと伝わっていた、無敗の剣士。
多くの者が目標とし、その道場を破ったという栄誉を求めてきたが、今までは門下生にすらかなわない、木っ端ばかりだった。
それを考えると、今回の挑戦者はかなり腕の立つ方、といえる。
師範は席を立った。木刀を手にすると、さっと修行者の前で構えたんだ。
門下生たちは驚く。師範の勝敗は、そのまま道場の趨勢に影響する。ここは師範代の誰かしらが出て、挑戦者を打ち倒し、お帰りを願うのが筋というもののはず。
――それほどまでに、あの言葉が逆鱗に触れたのか。
そう考えながらも、師範に剣を構えられては、口を出せる者は門下にはいない。
まんまと引きずり出せたと、ほくそ笑みを隠そうとしない挑戦者に対し、師範の表情からは何も読み取れない。
視線も挑戦者ではない、その向こうを見つめているかのようだ。
「眼前の者より、もっと見るべきものがある」。そう言葉なく、語っているかのごとき姿勢だったという。
勝負は一瞬で済んだ。しかし、それは多くの人が期待し、想像していた師範の一閃が挑戦者を打ち倒すものではなかった。
一言でいうならば、自滅。その立ち合いは、挑戦者が己の剣で自らを傷つけることによって、幕を閉じた。
試合の経過はこうだ。
両者は決められた間合いで、剣を構えて向き合い、「始め」の合図があってもしばらくは動かなかった。しかし、やがて挑戦者の方が動き、真っ向から面に飛び込もうとしたんだ。
防具はつけていない。まともに打ち込まれたら、これまでの門下生の二の舞、三の舞を演じることになる、必殺の打ち込み……のはずだった。
だが、その踏み込んだ足が、滑ったんだ。それはもう、ものの見事に。
瞬く間に、宙へ投げ出される形になった挑戦者の身体。その剣の先には、師範の姿はすでにない。最低限の半身の姿勢で、太刀先を紙一重でかわしていたんだ。
捕らえる先だったはずの、師範の身体を失ったことで、木刀は空を斬り、杖のように道場の床へ、ほんのわずかな間だけ突き立ってしまう。
それだけじゃない。滑ったことでほんのわずかに宙を飛んでいた身体が、突き立った木刀の柄の部分へ、重力に導かれるまま、もろにめり込んだんだ。みぞおちの部分へきれいに、な。
その場でえずき、道場の床を吐瀉物で汚しながら、その中へ突っ伏して動けなくなっていた。今頃、激痛と窒息の苦しみが、身体の中を駆け巡っていることだろう。
そばに立っているのは師範。真剣だったならば、この時点でとどめを刺されて、決着がついている。
だが、命は助かっても、挑戦者の剣士としての誇りは、ここで絶たれたのは間違いない。
死に体、自滅、嘔吐、ケイレン……そのいずれも、時さえ味方すれば、たとえ敗北の憂き目を見ようとも、気高き姿を表すものとして、多くの者に認知される可能性のあった要素たち。
それらが醜悪に絡み合った結果、この惨状に拍車をかけているんだ。
挑戦者は別室に運び出され、床の汚れは門下生によって拭われることになったが、その掃除の途中で多くの者が気づいた。
吐瀉物の近く。最初に師範が立っていた場所を中心に、血だまりができていることを。
挑戦者が吐いた血か、とも思われたものの、その血の形はどこか足型の一部にも思える。
――もしや、師範。けがをされていたのか? 足を?
あらかたの指示をしていた師範は、その日の稽古を中止。
すでに道場を後にしていた。
ややあって、血を見咎めた門下生が数人、師範の部屋の前に集まっていた。挑戦者を含めたけが人たちは、すでに医師たちの手当てを受けている。
門下生を部屋へと招いた師範は、白い足袋を履いていた。だいぶ使い込んでいるらしく、元々の白地部分はほとんど残っていない。代わりに土、ほこり、そして明らかに血がにじんだ痕が、ところどころに染み込んでいる。
こうしている今でも、両足の裏に真新しい血の色が浮かんできているのが、目に映った。
「ふふ、寄る年波には勝てんか。少々、血が出ただけで足がしびれるわ。若き頃に流しすぎたかのう」
懐かしむような口調で、師範はつぶやく。「足の手当てを」と動き出す門下生を、師範は手で制する。
「よい。久しぶりに動いたゆえ、『手入れ』も必要だろう」
ついてきたい者は、くるといい、と師範は先頭に立って歩き出した。方向からして、道場へ向かっているらしい。
――「手入れ」とは、何のことか。自分たちの掃除に、不備でもあるというのだろうか。
後を追う彼らは、首を傾げっぱなしだった。
道場の戸を開けた師範は、いきなり履いていた足袋を脱ぐ。まだ出血の止まっていなかった傷が、姿を表した。
両足の、親指から小指に至るまでの指の付け根。そこの皮がべろんと剥けているがために、血がしたたっているのだ。
真剣に稽古をした門下生の誰もが、一度は経験したことがある。
すり足が許す足運び。その限界に挑んで酷使した時に起こるものだ。深さにもよるが、はがれてしまった皮膚の内側の肉で床と接すると、特に足をつく時と、足を離す時がいっとう辛い。
そのような状態であろうはずなのに、師範ははだしのままで、ペタペタと道場の床の上を歩いていく。先刻、きれいにしたばかりの床に、また紅い足跡がつき始めた。
「わしは若い頃から考えておった。人を殺し、悪を絶つのが『殺人刀』であり、『活人剣』だと。しかし、目に見える所業を重ねる者はともかく、目に見えず、判断できぬ者をいかに殺せばいいのか」
師範の顔に脂汗が浮かんでいる。門下生たちは、その歩みをただ茫然と見守るのみだった。
「数十年、剣を握っていても、わしには判断できぬ。だが、それは生きている時間が短い故と思った。わしよりも長く生きているものならば、正確な判断が下せよう。その者に託そうと。
そしてわしが持つ、命以上に長く持っているもの……それは親から、いや先祖代々から分け与えられし、この血潮だった」
道場を巡り終わり、師範は道場の入り口に戻ってくる。出血は、もう止まりかけていた。
「剣と共に、わしは多くの血を流し続けた。全国を巡ってな。そしていつの頃からか……わしが剣で打ち倒さなくとも、相手は自ら倒れるようになった。先ほど見たように、自分の剣で、自らが倒れるのだ」
真剣勝負でも同じこと。柄が刺さるか、剣がひっくり返り、その切っ先が身体を突き抜けてしまうかの違いはあるが。後者の場合、例外なく相手は命を落とした。
一度、死した剣士の裏を洗ってみたことがある。何度、死罪にかけても足りないくらいの余罪が、ぼろぼろと出てきたらしい。
「染み込んだ血が裁いた。わしは次第に、そう思うようになっていった。生かすべき者を生かし、殺すべき者を殺す……わしの剣はただそこに在るだけでよい」
道場の床はそのままにされ、血がすっかりと染み込まされた。
先の話が信じられない門下生が師範に手合わせを願ったものの、いずれも一太刀も浴びせることなく、自分の剣の柄頭に身体を刺されて、もだえる羽目になったという。
しばらくして、師範は道場をいったん締めて、諸国漫遊の旅に出た。
あの話を聞き、実情を目にした門下生たちは、全国に血を染み込ませに出かけたのだろうと判断したそうだ。
そして師範はとうとう、死ぬまで無敗の記録を貫いたのだとか。