第35話 レッドドラゴンの巣、突入前
コハクさんに連れられるがままにやって来て早三日の時が過ぎました。
この間、ノボル様にはきちんとお暇を戴いてはいるのですが……しかし、ノボル様の顔をこんなにも見れない日が続くのは私の精神衛生上、良くはありません。ああ……ノボル様。
……いえ、そんな事ではいけません。特に今回は気を抜くわけにはいかないのです。
なにせ相手はレッドドラゴン。正面切って戦うつもりもありませんが、しかし相手取るのは事実。
慎重に慎重を重ねなければなりません。
私は気を引き締めながらも空を見上げます。
視界に映るはゴツゴツとした岩山がそびえ立っています。天を突くような高さを誇るこの岩山にレッドドラゴンは巣食っているとの事です。
「さあ、もうすぐレッドドラゴンと相見える事になるけど……用意は良いかい?」
「くく……遂に我もドラゴンスレイヤーの銘をその身に刻むのか」
コハクさんの言葉にアリスちゃんが元気よく返事をしてみせます。今日はペットのコカトリス君も一緒のようです。彼女の周囲を気持ちよさそうに旋回しています。
今回は相手が相手だけに私とコハクさんだけでは手に余るので一緒についてきて貰いました。
アリスちゃんは私よりも一回りは小さい子供ですが、その実力は大したものです。
きっと大事な戦力になってくれる事でしょう。
ただ――――問題が一つ。
「我の持つ魔王の血脈が宿りし強大な力を今ここに限界せしめん。さすれば紅き龍などアポカリプスの狭間へと誘ってみせようぞ!」
「…………えーと」
私は自信に満ちた笑みを浮かべるアリスちゃんに対し、苦笑いを浮かべる。
……そうです。私は未だにアリスちゃんの言っている事が半分くらいしか分からないのです。
いえ、何となく「私に任せて」と言ったニュアンスの事を口にしているのは分かるのですが……しかし、それでも細かいニュアンスまでは分かりません。
ノボル様がいれば万事分かるのですが……しかし、今日の目的を考えてもノボル様を呼ぶ訳にはいきませんでした。
……これで大丈夫なのでしょうか。
「いや、問題があるんじゃないかな」
と口にするコハクさん。
「あの……コハクさん。何をいきなり……」
「ん? アリス君とのコミュニケーションが心配なのだろう?」
「何故それを!?」
コハクさんは私の考えていた事をズバリと当ててしまいました。
「ははは、テレシア君。何を驚く事がある。ボクは男の娘、男ならず女までをも極めてしまった存在。そんな私に掛かれば人の心を見抜くなど造作もない」
さすがはコハクさん。言わんとするところは分かりませんが、コミュニケーションに長けているところは頼りになります。
「ではアリスちゃんの言っている事が分かるんですか?」
期待の込めた眼差しをコハクさんに向けたのですが、コハクさんは残念そうに肩を竦めました。
「いや……残念ながらアリス君はその限りになくてね。アリス君は純粋過ぎるが故にボクのコミュニケーション能力を以てしても見通せないところがあってだね」
「……その言い方だと私が穢れているという事になるのですが」
「…………。と言う訳で我々はアリス君と細かいコミュニケーションを取る事が出来ない。これは大問題なのではないかな」
「ちょっと!」
私、そんなに穢れてませんよ!? 穢れてませんよね!?
……まあそれはそれとしてコハクさんの言う通り、アリスちゃんとのコミュニケーションが円滑に行かないのは問題が残るやも知れません。
何せ私達の相手はレッドドラゴンです。少しの油断が命取りになりかねませんから。
「だからボク達もアリス君の言う事の細かいニュアンスを知っておく必要があると思うんだ」
「……と申されますと?」
「レッドドラゴンを相手取る前にアリス君の言葉のニュアンスを聞き出して分類、体系化してボク達でもアリス君と細かいニュアンス、までは行かずともある程度しっかりコミュニケーションが取れるようにしておこうって事だよ」
「成程。それは確かに有効かも知れませんね」
アリスちゃんとの細かいコミュニケーションはいつもノボル様に任せきりで私達はアリスちゃんとのコミュニケーションを放棄していた、と言って良いでしょう。
それをここでしっかりと出来るようになればノボル様の手を煩わせる事もなくなるのではないでしょうか。
それに……せっかく仲間になれた可愛いアリスちゃんの言っている事を半分くらいしか分からないなんてそんなの悲し過ぎます。
出来れば私だって完全にアリスちゃんの言っている事を理解したいのです。
「決まりだね。ではアリス君、準備は良いかな?」
「我に不足は無い」
私達の話を聞いていたアリスちゃんはふんすと鼻を鳴らし、胸を張ってくれます。
見ていて下さい、アリスちゃん。私、頑張りますよ!
「では……第一回チキチキ! アリス君の言っている事はなーんだクイズ! いえーぱふぱふ!」
「コハクさん!?」
「ん? どうしたんだい、テレシア君。もう始まるからトイレしたかったら先に行っとくんだよ」
「…………いえ、その……コハクさん?」
「こういう風に何事も楽しんでやるのがボクのモットーだよ」
一人盛り上がっている様子のコハクさん。
場所はレッドドラゴンの巣の手前。考えてもみれば何ともシュールな光景です。
普通はここでレッドドラゴンと相見える為、士気を上げるものですが……いえ、これもコハクさんらしくて素敵なのでしょう。
「地獄の窯が開いたか!」
「おお、アリス君も楽しいかい!? では一緒に! ぱふぱふ!」
「ぱ……ぱふ、ぱふ? こうか、コハク?」
気付けばアリスちゃんも楽しそうにきゃっきゃっと両手を上げ下げしていました。
ふふ、私に妹が居たらこんな感じなんでしょうか。
「では第一問から! アリスちゃん、どうぞ!」
コハクさんはアリスちゃんに耳打ちする。それをうんうんと頷きながらアリスちゃんは口を開いた。
「闇の衣を纏ったポセイドンよ……我が糧となれ! 祖の源泉にして十二の刻を生き、盟約に従ってその姿を開放せん!」
「…………?」
コハクさんに従い、アリスちゃんは何かしらを言っている様子なのですが、私にはさっぱり分かりません。
……ポセイドン? 海におわす神の事ですよね? えーと、でも我が糧って……戦っているのでしょうか? いやでも――――
「ぶぶー! テレシア君、惜しくもタイプアップです!」
こめかみを抑えながら考える中、コハクさんより終了の合図がなされる。
「うーん、難しいですね……その、正解はなんですか?」
「はい! では、正解はじゃらじゃらじゃらじゃら……じゃん! 『大好物、フライングフィッシュの天ぷらを前にテンションが上がっているアリス君!』でしたー!」
「待って下さい!?」
「第二問!」
「始まってしまいました!」
その余りにもマニアックな答えを前にして戸惑う私を知ってか知らずかコハクさんはスルーしつつ第二問へと進む。
……何故最初の問題がこんなにも難しいんでしょうか。最初はもっと簡単な回答から……いえ、コハクさんに普通を期待するのは無理と言うものでしょう。
しかし……コハクさんとアリスちゃんはきゃっきゃと笑い合いながら楽しんでいる様子。
……うぅ、私もあっち側に混ざりたいです。
「我の眼前より召喚されしは火を司りしサラマンドラ。万有の刻来たれり。その力を示すならば我が参列に加われ。貴様に出来る事は最早それ以外には残っておらぬ! レディ、アルマゲドン!」
先程と同じくコハクさんに指示された事を喋るアリスちゃん。
右手を振るい、拳を突き出しながら言う様はまるで演劇でもやっているが如き姿ですが、その言わんとするところは全く分かりません。
うぅ……駄目です。今回も全然分かりません。
「三、二、一……タイムアーップ! テレシア君、またも正解ならず――――ッ!!」
「はい……その、正解は……」
「そうですね! 正解はじゃんじゃかじゃかじゃかじゃん! 『大好物、ファイヤーピッグのハンバーグを前にテンションが上がっているアリス君!』でしたー!」
「待って!? 本当に待って下さい!?」
「第三問!」
私の言葉を完全にスルーするコハクさん。
いや、でもちょっと待って下さい! さっきと言っている事殆ど変わってないのに! 天ぷらからハンバーグに変わっただけなのに何でこんなにも言っている事変わっているんですか!?
アリスちゃんをちらりと見ますが、当のアリスちゃんも楽しんでいる様子ながらその表情はいつもの純粋無垢な様子。どうも意地悪しているようには見えません。
……であればアリスちゃんの言語を完全に理解出来るノボル様とは一体。
その海よりも深き洞察力と霧をも見通せる程の観察力はさすがはノボル様と言うより他にありません。
「ここまで一問の正解していないテレシア君! もう後がありません……しかし、ここでボーナスチャーンス! 次の問題を正解したらボーナスで百ポイントが贈呈されます! いえー!」
「……ポイント制だったのですか?」
「ここまでの所、解説のコカトリス君、如何ですか?」
「何でアリスちゃんのペットに今までの所を聞くんですか!?」
コハクさんはアリスちゃんの周囲を旋回していたフクロウのコカトリスに尋ねる。
ばっさばっさと飛んでいたコカトリスはアリスちゃんの肩に止まると、
「クェ――――ッ! クエッ、クエクエ! クエ――――ッ!」
と元気よく鳴き声を発した。
「成程。『クエー』だそうだ」
「我がサーヴァントであるコカトリスは『其の趨勢、混沌を呼び寄せている。しかして幸運の風は来たれり。勝負の行方は霧中の中に消えゆく』との解釈が正しい」
「……、だそうだね!」
どうやらアリスちゃんはコカトリスの言っている事が分かるらしいです。けれど、その言わんとしている所がアリスちゃん語なお陰で半分くらいしか分かりません。
コハクさんも理解を放棄している様子。
一方のアリスちゃんはコカトリスを良くやった、と撫でています。
……なんだか状況がホントによく分かりません。
「ではアリス君。次は…………」
先の二問と同じく何やら耳打ちするコハクさん。しかし、
「…………い、否!」
アリスちゃんは先の二問とは違い、耳まで顔を赤くしながら必死に首を振って見せた。
「む。アリス君、これは仲間の為なんだよ。……さあ、言ってごらん?」
「否。断じて否!」
ぷるぷると震えながらかぶりを振るアリスちゃん。
「コハクさん。一体何を言わせようとしているんですか?」
様子がおかしい事から嫌な予感がしたので私はコハクさんへと尋ねる。
するとコハクさんは明後日の方向を見ながら言った。
「いやね、色々な方向からね、言葉を引き出そうとしてね。今までとはちょっと違う形の視点からアリス君の言葉を引き出そうと……」
「…………。ちょっとエッチな事を言わせようとしましたね」
「そ、そんな事はナイヨー」
「言わせようとしましたね?」
「いや、ホントにちょっと、本当にちょっとだよ! 具体的にはおっぱいがどうのこうのってだけだよ!」
「駄目です、却下です! アリスちゃんになんて事を言わせようとしているんですか!?」
「大丈夫だよ、テレシア君。ボクだって相手は選んでいるつもりだよ。君には裸エプロンくらい要求するけど、アリス君に君と同じ事を求めようとはしないさ」
「裸エプロン……テレシア、それは一体何故なるモノか?」
「コハクさん! それを口に出さないで下さい!」
アリスちゃんが好奇心の籠った瞳でこちらを覗き込んで来ます!
駄目です、アリスちゃん! それは覚えてはいけない単語ですから!
「大体アリス君の言葉を引き出すには喜怒哀楽を始めとした様々な感情に即した言葉を言わせるのが一番。それを考えれば羞恥の言葉は引き出す必要があるのは必然にして明らかなのだよ!」
「駄目です! アリスちゃんにはまだ早すぎます!」
「くッ! 無知攻めシチュが最高という事が偉い人には分からないのか!」
「コハクさん、一体何を言い始めているのですか!?」
最早コハクさんが何を言っているのかさっぱりである。
「こうなればボク自らが行動でアリス君の羞恥を引き出すより他にない! さぁ、アリス君! その誰にも触られた事のない甘い果実をボクが手に取ってみせようぞ!」
「封印を解いてはならぬ! アルマゲドンが始まるぞ!」
「コハクさん、いい加減にして下さい!」
コハクさんのセクハラはどうにか防いだが、アリスちゃんの警戒を解くのに暫く掛かってしまいました。
……うぅ、ホントに先が思いやられます。
そして、結局アリスちゃん語を理解するヒントは得られませんでした。
アリスちゃん語、難解過ぎです。
と言うよりレッドドラゴンの手前で私達は一体何をやっているのでしょうか…………。




