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邪神様の古城生活

 

 ぱちり、と目が覚めた。

 瞼をゆっくりと開き、目のピントを合わせる。見慣れた石レンガの天井が視界一面に映り、僅かに空いた赤いカーテンの隙間からは、暖かい朝日の光が漏れていた。

 ピヨピヨと心地の良い小鳥のさえずりと共に意識が半覚醒した少年は、このまま怠惰を貪りたいという欲求を全力で抑え、腹筋に力を入れて上半身を起こす。


 一日が始まった。


 未だに微睡から抜け出せていない少年は、黒い目を右手の甲で擦り付けながらカーテンを開いた。割れた窓ガラスを通過して部屋を突き抜ける朝の心地いい風。

 暴力的なほどの光量に顔をしかめた少年は、目が光に慣れるまでの数秒間、少年は更に小鳥の声が大きくなるのを感じた。

 そして少年は改めて外の景色を眺める。ここ最近の少年のマイブームは、ここから見える景色を堪能して二度寝する事である。ただし、その試みは大抵の場合、愛すべき同居人たちに邪魔されてしまうのだが、それも今では日常の一環で、懲りずに毎朝二度寝を決行している。


 割れた窓ガラスから見えた景色。

 そこは巨大な古城と、広大な森だった。


 手前に見える巨大な古城。自分の部屋もその一部であり、ここは古城の一室から見えて居る景色である。所々赤で塗装されていたはずの屋根は、無残なほど破壊されており、朝日の光を直接通している。窓ガラスはほとんどが割れており、無傷のガラスを探す方が難しい程である。


 そして奥に存在している広大な森。その中心には壮大で神々しく生えている巨木。通常の数千倍はあるだろう、森の大部分を影で埋めているその巨木は、今日も不変であることを象徴しているが如く、悠然と立っていた。


 何千何万と繰り返し見た光景ではあるが、いつ見ても飽きる事は未来永劫無いだろう。なんて言っても明日には「もう飽きた」なんて言っていそうな自分が怖いと、少年は一人で思考する。


 少年はこの古城に住んで居る。毎日古城で起きて、毎日古城で業務をこなし、毎日古城で食事をして、毎日古城で眠りに落ちる。


 その生活を寂しいなどと感じた事は……結構あったりはするが、それでも少年の中ではこの変わらない日常を愛している部分が存在しているのも、覆す事の出来ない事実である。

 友人だってそれなりにいると自負しているし、そもそも少年はある組織のリーダー的なポジションにいるのだ。組織とは言ったが、平たく言えば他国から異教扱いされている教団の事なのだが。


 思考を一旦ストップする。このまま考え事をしていると、意識が全覚醒してしまうからだ。その事態だけは回避しなければならない。至福の二度寝タイムはまだこれからなのだ。


 しかし、少年にとって至福の時間を奪う侵略者は、唐突にやってくる。


「はいはーい!ご飯ですよー!」


 塗装が剥がれた扉を勢いよく開き、カンカン!とフライパンの底を玉杓子で叩く少女。

 青を基調としたエプロンドレスに身を包み、黄金の髪を風になびかせながら、少女らしい甲高いソプラノボイスで少年の二度寝を妨害する。

 その侵略者を目の前にして、少年は耳を塞いで布団に潜り込み、徹底抗戦の意を見せた。


「ご飯ですよー!ご、は、ん!早く起きないと冷めちゃいますよー!」


 少年の抵抗にも全く意を介さず、立てこもり事件の犯人を説得する刑事の如く少女は声を張り上げる。その声の響き様に、先ほどまで美しいさえずりを少年に聞かせていた小鳥たちは、立っていた瓦礫と化した屋根を蹴り上げ大空へと逃げ出した。

 今すぐ小鳥たちの仲間入りをして大空へと逃げ出したいと、布団の隙間から顔をのぞかせる少年が切実に願う。


 しかし現実はそう上手くはいかない。


 最終的には「エビフライもありましたよ」と悪魔のように囁く少女の誘惑に耐えきれず、タルタルソースかけ放題の取引によって布団からたたき出された少年。


 少年の脳内ではさぞかしエビフライと二度寝の天秤が揺れ動き、エビフライ派と二度寝派の軍議が白熱したのだろうが、結局はエビフライ派が二度寝派を制圧し、籠城を解いて降伏したようである。

 「エビフライ派、お前もか!」と悔しそうに嘆いていた二度寝派の声は、きっと一生少年の心に刻まれていくのだろう。


 だがしかし、少年の心の切り替えは光の速さだ。敗北者である二度寝派の事など記憶の彼方へと押し込まれ、今少年の脳内の過半数を占めるのは、エビフライへの耐え難い欲求唯一つである。エビフライ派の作戦はまんまと成功したわけだ。


 世の中とは、賢い者が生き残るのである。


 たかがエビフライと二度寝のどっちを取るか如きに、人生の哲学を学んでしまった少年であった。


 ◇


 完全に覚醒した意識で、少年は古城の廊下を歩く。先頭は少女である。

 廊下も窓ガラスのほとんどが破られており、石レンガはひび割れや蜘蛛の巣でいっぱいである。お化け屋敷さながらの雰囲気を醸し出す古城を、少年と少女は散歩するかのように軽々と歩く。いや、彼らにとってみれば、この古城など自らの庭なのだろう。


 少年は割れた窓ガラスの破片から、自分の容姿を確認する。


 寝起きだからだろう、所々跳ね上がっている漆黒の髪は、丸い黒目にかかる程度にまではカットされており、少年が廊下を一歩一歩踏むごとにピョコピョコと揺れる。初雪のように白い素肌は、太陽を一度も浴びた事が無いとでも主張していると感じるほど、美しくも病的な白だった。

 服装は起きた時から変わらずパジャマ姿。最高級の素材を自らの手で調達し、設計から裁縫に至るまで全てを納得できるまで一人でやり遂げたその至高の一品は、少年の髪色と同じく漆黒であった。多少だぶついているのが少年のこだわりである。純白のスリッパもそのついでに仕上げた物であり、その完成度には毎回鑑賞してはにやけてしまうほどだと自負している。


 中学生程度の華奢な体格をした少年――『煤神夜市すすがみよいち』は、「楽しみで待ちきれないぜ!」とでも言わんばかりに満面の笑みである。そこまで朝食にエビフライが参入したことがうれしいのだろう。時々その笑みが草食動物を狙う百獣の王の様な、獰猛で無邪気な笑みになったりしているのが、少年の印象を更に子供っぽくさせてしまう。


 初めに言っておくが、夜市の外見年齢は実年齢と比例しない。その説明は後々するとして――。


「まったくもう、毎朝二度寝を阻止しなければいけないこちらの身にもなってください!それに我が『邪神教』の崇める神なのですから、信者に失望されないように高潔に振る舞うのは神として基本です!」

「言っちゃったよこの人!」


 そう、煤神夜市は邪神教が崇める神。


 ――邪神様なのである。


 そして夜市の前を歩く少女も、また普通の者ではない。


 太陽の反射によってキラキラと幻想的に光る金髪は前髪ぱっつんで腰まで伸ばしており、海色の瞳はくりくりと愛くるしい小動物のような印象を抱かせる。夜市と同じく初雪の様なその肌は、その少女の場合、とても健康的な白に見える。外国人だと一目でわかる顔つきだからだろうか。

 服装は青を基調としたエプロンドレス。少女の青い瞳と同じ色であるため、中々似合っていると夜市は評価している。


 ――『エマ』。夜市の従者であり、そして邪神教の教主でもある。


 邪神教――煤神夜市を神として崇め、古城を拠点にして布教活動をする、それなりに歴史の長い宗教だ。


 邪神と教主はいつものように、多少の談話をしながら食堂までの長い廊下を歩く。埃を被ったレッドカーペット、照明として壁に設置されていたのであろう、完全に溶けきった蝋燭と割れた窓ガラスだけが、奥が見えない廊下に延々と続く。

 まるで一直線の迷宮に迷い込んだような錯覚に一般人は陥るだろうが、何度もこの廊下を歩いてきた二人にとって、こんな異常な空間さえも日常の一環である。


 長い長い廊下を歩いた先、装飾も修理もされていない、通常の三倍の面積はありそうな木製の扉が、二の前に現れた。

 二人はこの扉を知っている。食堂へつながる扉だ。


 食堂。

 主に邪神教の信者が食事をする場所であるそこには、毎日信者たちの注文が飛び交っている。有名な宗教では食に関しても何らかの規制がある場合が多い。例えば動物の肉を食べてはいけない。食べる前のお祈り。危ない宗教になってくると人肉を食べることまであるらしい。

 その危ない宗教の中には、邪神教も入ったりしているのだが、勿論人肉を食べる文化など存在しない。食に関する規制は何もないのだ。

 とは言ったが、信者の大半は料理すら出来ないものが多いので、自然と食堂の料理だけを食べるようになるため、食に関する規制があった所でそれほど信者たちの生活は変わらないのであろうが、そこら辺は心構えの問題である。

 夜市の感性から言えば、人は最小限のルールにのみ縛られるべきなのだ。例えば人を殺してはいけないとか。他人から物を盗まないとか。宗教以前に法律で縛られてるルールのほとんどが、邪神教のルールなのである。


 重厚感のある扉を両手で押し開く。ギィィと開かれたその扉の先には、真っ黒な服を着た百人程度の集団が、木製の椅子に腰掛けてテーブルに料理を置き、談笑している光景があった。

 

 そこに含まれるのは人間だけでは無い。

 

 獣の耳を持った獣人。紅葉葉のような手の形状をして、顔に鱗が存在している魚人。杖を片手に魔導書を読み耽る魔法使い。ちょびちょびと長い舌でミルクを飲む、明らかに人型ですらない妖怪。エクセトラ。

 

 壁には凛々しい表情でポーズをとっている、どこかの国の名前も知らない英雄の肖像画が飾ってある。亡国の城をあさっている時に、夜市が持って帰って来る物である。故にその肖像画には題名など無く、唯々風景の一部として飾られるだけの装飾品だ。決して宗教的に大切なものと言うわけでは無い。ただし、もっと先の未来でオークションに売りに出せば、きっとマニアの方々に高値の値段で売れるだろうと夜市は計画している。一体何万もの金になるのか、想像するだけでよだれが止まらない。思わず目が¥のマークになってしまうほどには。

 

「夜市様、おはようございます」

「おっすー」

「■■■」

「キ、キシャー!?」

「あ、夜市様ー。昨日ポーカーで貸したお金返して……あぁ!逃げるなぁ!」

「……」


 お辞儀をして朝の挨拶をする人間の信者。奇声を発しながら挨拶(?)をする妖怪の信者。たまに夜市とギャンブルをする獣人の信者。

 夜市は挨拶を普通に返し、挨拶(?)に変な対抗心を燃やして変な挨拶をしようとし、借金の取り立てには無言の撤退。


 しかし、撤退しようとしたその瞬間、隣にいたエマが夜市の首根っこをつかみ取って空中に吊り下げた。夜市の足は空を切る。悪戯がバレて主人に叱られる猫のような動作である。


「夜市様~?ギャンブルはダメって一昨日に言ってましたよね~?あと他の奴らも」

「「「ヒッ!」」」


 エマの目が殺人鬼のソレになる。一昨日夜更かしをしてギャンブルに勤しみ、夜市はおこずかいを全てギャンブルで摩ってエマに怒られた。それはもう閻魔大王の如く怒り狂った。夜市の中に消えないトラウマを残酷なまでに刻み込み、一か月おこずかい無しの刑に処したその次の日。なんと信者からお金を借りてギャンブルをしたというのだ。

 

 エマの身体から発せられる魔力が食堂を包み込む。夜市と一緒に拷問のような説教を受けていた信者は、まるで極寒の大地に丸裸で放り投げられた様に震え、その顔は生者が本来する事の出来ない程に青白くなっている。唇が紫色に変色し、白目を剥く者さえ出始めた。


 その魔力を至近距離から集中的に当てられた夜市は、正に顔面蒼白である。その冷や汗は滝のように夜市の肌を流れ、地面にぽちゃんと滴となって零れ落ちる。数分すれば小さな池でも作れそうな勢いである。ただしそんな汚い池を作る事は無かった。

 

 エマが手を離した。「助かったか!?」と一瞬だけ笑みを浮かべた夜市だったが、耳に小声で呟かれたその言葉に、また顔面を死者のソレにした。


「アサゴハンヲタベオワッタラ、オセッキョウデスヨ?」

「あ、ハイ」

「ミナサンモデスヨ」

「「「あ、ハイ」」」


 エマは夜市よりも邪神らしい、禍々しく恐ろしい魔力を発し続けながら、食堂をゆっくりと出た。

 「もう終わりだぁ、お終いだぁ」といった表情で絶望する信者数名。その中に夜市も加わり、周囲に絶望のオーラを振りまいていた。


「うわっ、何でそんな絶望オーラ全開なんですか」

「おー、オーちゃん。君も僕らと一緒に絶望しようよ。オーちゃんだって毎日が死にたくなるでしょ?」

「なりませんよ!?俺が一体何したっていうんですか!」

「何もしていないこと自体がしたことなんだよ」

「超理不尽!」


 夜市はテーブルに突っ伏したまま、横目でエプロン姿の青年を見る。

 

 夜市と同じ漆黒の髪を肩まで伸ばし、ポニーテールに纏めている。温和そうな赤い目は夜市をジト目で見下していた。

 背中には黒い翼が生えており、青年が動くたびにワサワサと動いている。

 

 食堂でただ一人の料理人。堕天使の『オロバス』である。


 その右手にはエビフライを山盛りに乗せた皿を持っており、左手にはタルタルソースが入った容器があった。夜市の目が飢えた肉食獣になる。ギラギラと猛烈に輝くその目はエビフライを凝視しており、無言の圧力となってオロバスを襲った。


 だが、オロバスはその圧力を物ともしない。むしろ睨み返して威圧する。視線と視線がぶつかり合い、火花を散らしている。視線の交差点を中心に風が巻き起こり、本当に火花が散り始めたころ、両者の無言の威圧勝負は、オロバスの降伏という形で終わりを告げた。


 テーブルにゴトンッと乱暴に置かれるエビフライ。一瞬だけ宙に浮いたエビフライは、サクサクの衣を周辺に飛び散らせる。そして着地したと同時に中身のエビの弾力が働き、プルンプルンと美味しそうな動きをした。

 

 同時に夜市が動く。いや、オロバスがテーブルにエビフライを置こうとした時点ですでに動き出していた。エビフライが宙を浮いている瞬間に、食器棚からフォークを取り出す。そしてエビフライが皿へと着地する数瞬の間に、オロバスの左手にあったタルタルソースを強奪し、エビフライにかける。かける。かける。一秒にも満たないその時間で、夜市はこれだけの行動をして見せたのだ。


 そしてフォークを握って手を伸ばす。衣を突き刺し、サクッとした心地いい音が夜市の耳を癒す。そして口の中に運び込む。衣のサクサクとした食感。エビのプリプリとした感触。タルタルソースの程よい酸味。その全てが三位一体となって夜市の意識を天国へと向かわせる。邪神なのに天国へ行けるのかどうかはこの際置いておこう。


 さっきまでの絶望のオーラは一気に発散し、幸せオーラを周りに放つ。隣の絶望信者とはえらい違いである。


 エビフライ一つで幸せな気分になる夜市の単純さにオロバスは呆れるが、ここはため息をぐっとこらえて口を閉ざす。腐ってもこの邪神教が崇める邪神なのだ。若干手遅れ気味だとは思うが、それなりに尊敬はしなければならないのだ。不本意ではあるが。

 

 オロバスから見て、夜市はいろいろと不思議な人物だ。そして不可解な人物でもある。

 まず、思考がとても人間寄りなのだ。

 当たり前ではあるが、邪神は人間よりも数段上の存在だ。まさしく格が違う。例えこの世界の全人類がこの邪神を殺そうとしたところで、きっと一日で人類が絶滅するだけだろう。それほどまでの差が存在しているのだ。

 なのに、彼は人間のように喜怒哀楽が激しく、人間よりも人間くさい。

 怒られたばかりなのに反省を一切せず、また愚行を繰り返す。自分よりも下位の存在からの言葉に凹む。食べ物ひとつで機嫌がコロコロと変わり、理屈では無く感情で行動しようとする。

 人間らしく、愚かで輝いている。


 次に不気味な点は、異常なほどの気安さと寛容さである。

 天使だった頃のオロバスと夜市は、過去に何度も殺し合った経験がある。いや、夜市からしてみれば『殺し合った』なんて思うほどの事でもないのかもしれない。

 一方的だった。

 奇襲は完全に見破られ、全力は腕を振るだけで無効化され、抵抗は蚊を潰すような気軽さで封殺された。何もできず、何もさせられず、ドミノ倒しのように仲間をバタバタと倒していく光景。

 今は仲間でも何でもない天使たちだが、昔は天使仲間としてそれなりに面識はあった。邪神討伐の名誉は渡さない様に、それなりに必死に技術を高め合っていた気がする。それが自分の前で惨殺されていく様は、今でも脳裏に刻み付けられている。

 まぁ、今はもう過去の話だが。

 だが、曲がりなりにも夜市を殺そうとしていたオロバスが、むしろ夜市の血となり肉となる料理を作る立場になるとは、とんだ波乱万丈人生である。

 そして自分を殺そうとしたオロバスを、「器用だから」なんてふざけた理由で料理人に任命した、夜市の寛容さ、もしくは馬鹿さは、世界でも一番になれるだろう。

 それにオロバス救われたのだ。


「んん~、やっぱりオーちゃんのエビフライは絶品だよ!」

「そりゃどうも」


 何もかもが謎だらけ。この古城に住み着いて百年近く過ぎたが、オロバスはまったく夜市を理解できなかった。

 恐怖、崇拝、親愛、そして嫉妬。オロバスが抱く夜市の印象は、中々に複雑だった。


「まぁ、でも、感謝はしてますよ」

「ん?何が?昨日の晩、オーちゃんの畳んであった洋服にぶどうジュースをぶっかけた事?」

「何やってくれてるんですかぁぁぁ!」


 前言撤回。オロバスが夜市に抱く感情は怨念だけだった。

 百メートル走選手もビックリのスタートダッシュに成功し、洋服のシミをなんとしても落とそうと自分の部屋へと走っていったのであった。


 ◇


 朝食を食べ終わり、エマからこってりと絞られた後、夜市は傷ついた心を癒せる場所を探し、大書庫までたどり着いた。

 ゾンビのようにうめき声を上げながら、吹き抜けとなっている大書庫の中心に設置されているソファーへとダイブする。夜市の身体は赤いソファーにズブズブと沈んでいく。

 意識までもが沈んでいく感覚を楽しみながら、夜市は瞼を閉じる。


「そこ、邪魔だから退きなさい」

「あい?」


 声の主を探そうと顔を上げた直後、夜市の視点は高く舞い上がった。というか、吹き飛ばされた。

 クルクルと空中で回転しながら、本棚に激突する。バン!と背中から地面に落ち、その衝撃で揺れた本棚から決して軽くは無い。むしろ辞書程の重さはありそうな本たちが、夜市の頭に落ちる。


 本の山に埋まれた夜市は、唯一埋まっていない右手で這い出る。


 夜市の後頭部にはたんこぶが出来上がっていたが、すぐに再生する。そしてパタパタと服についた汚れを叩き、鼻から吸い込んだ埃で咳を吐く。

 恨めしそうに夜市が睨んだその先には、奇妙な格好をした130センチ程度の人型生物がいた。


 紫色のローブを羽織って、黒い仮面を被った白髪の少女がいた。顔の造形は仮面のせいで全くわからないが、ふわふわの白髪を肩まで伸ばして前に流し、片手には分厚そうな本。そして何より魔法陣に乗って浮遊している事から、少なくとも普通の人間ではないことが分かる。


 夜市を吹き飛ばした張本人である少女は、そのことを謝りもせずに夜市が座っていたソファーに座る。どうやらこのソファーはこの少女にとってもお気に入りスポットだったようだ。

 だがしかし、夜市だって諦めたわけでは無い。若干怒りによって震えた声で少女に声をかける。傍目から見たら、コスプレした少女を攫おうとする変質者に見えてしまうのが悲しい所だ。


「『ルキヘラ』ちゃーん!?邪神様に向かって邪魔は無しでしょ!」

「自分で様なんてつけるやつを私が敬うとでも思ってるの?」

「じゃあただの邪神なら敬ってくれるの?」

「そうね。『どうぞ、この醜い豚を踏みつけてください。ぶひひぃ』とか言ってくれれば、敬う事も考えてあげてもいいわよ」

「プライドを投げ捨てろと!?」

「どうせなら身体も投げ捨てて、私の研究材料になれば?」」

「怖いよ君!」


 夜市が心底驚いた表情を浮かべて、一歩後ろへ下がる。

 その時に小声で小さく「恐ろしい子ッ」と言っている事から、夜市の内心ではそこまで怯えていないのだろうとルキヘラは判断した。

 

 いつもそうだ。この邪神は表面上では驚いたり恐れたりしているが、どこか馬鹿にしたような態度をとることがある。

 夜市曰く、「相手の警戒心を下げるため」と言ってはいるが、ルキヘラは信じていない。ただ単に面白がっているだけなのだろう。

 例え今ここで「この醜い豚野郎」と叫んだところで、表面上は起こったふりをするだろうが、内心はきっとふざけたままのはずだ。数十年ここで司書をやっているルキヘラだが、夜市が自分のために怒った事など一度も見ていない。その全てが周囲の人のため。その姿に憧れて邪神教に入信するような馬鹿(教主のエマだってその一人だ)もたくさんいるが、ルキヘラはその姿勢を不気味に思う。


 『自分が一番ではない生物など存在しない』。それがルキヘラの生物への価値観である。だからその生物の行動は全てが自分の為であり、自分の損になる事は絶対にしない。

 なのに夜市はルキヘラの価値観に当てはまらない。

 

 夜市からすれば踏み潰せば簡単に死ぬ蟻のような存在であるのであろう自分が、立場も弁えずに愚弄するようなことを言ってもふざけるばかり。

 プライドなど投げ捨てる量すら無いのではないか、と本気で推測してしまうほどだ。

 

 通常、生物も人間も人外も同じように、力とプライドは比例する物なのだ。

 強い力を持つからこそ、抑圧される事が弱い力を持つものよりも少ない。いつしかそれを当たり前だと信じ込むようになり初め、強者は弱者を見下すようになる。自尊心が肥大化し、より横暴な行動を起こす事が多くなる。

 人はそれを傲慢とも呼ぶのだろうが、悪魔であるルキヘラからしてみれば、自然の摂理であり当然の結果なのだ。

 むしろ、そうする事で強くなれるのではないか?とも考えている。


 プライド、言い換えれば自尊心が無い者は、自分を信用する事すら出来ずに、自分自身の能力にすら懐疑的になって何もできなくなってしまう。それが更に自尊心の低下につながり、負のスパイラルへと嵌ってしまうのだ。

 

 ルキヘラも曲りなりには悪魔だ。悪魔召喚術によって術者と契約し、術者の欲望を満たすためにありとあらゆる暴虐を尽くすことは多々あった。

 だがしかし、悪魔を召喚するような者は、総じて精神障害を患っている場合が多い。何故なら、自分を大切にしようと思わないからだ。

 悪魔召喚術には、それなりの代償を払う必要がある。

 召喚魔法陣を描くには自分の血液でなくてはならず、生贄は自分の大切にしてきた物を捧げ、たとえ悪魔と契約できても、契約終了と同時に代償が支払われる。ハイリスク、ハイリターンどころの騒ぎではない。もしかしたら、黄金の山を使うことの無いままその一生を終えてしまう危険性すらあるのだ。

 

 だからこそ、命が惜しい者は基本的に悪魔召喚術などしない。「そんな危ない物を使うくらいだったら、自分の手で何とかしよう」と考え、毎日を健全と生きていくのだ。


 逆から言えば、悪魔召喚術を使用する者は自分に自信が無いのだ。

 自分には何もできないと本気で思い込み、一方的に搾取されることを日常として受け入れてしまう。そうする事で、他人から奪われる事への精神的な抵抗が下がるのだ。それはつまり、悪魔召喚への抵抗が無くなるのと同義。

 しかし弱者にも踏み込んではならない一線が存在する。

 そうとも知らずに弱者よりも上の強者たちは、ずかずかと弱者を蹂躙し、何時しか一線を踏み越える。そこからが弱者の恐ろしい所だ。

 自分すら投げ打ってでも復讐を果たそうとする。自爆テロリストの如き形相で強者に牙をむく。「窮鼠猫を噛む」という諺が人間に存在しているが、あれはまさにその通りだ。猫が鼠の生命という踏み入れてはならない一線を乗り越え、その行動の代償として猫は鼠に噛まれるのだ。見事しか言えないほど、的を射ている。


 だが、それでも猫は噛まれるだけだ。

 噛まれたところで何時かは治癒するだろうし、鼠が猫の栄養として捕食される未来に変わりはない。無駄な足掻きなのだ。

 

 悪魔召喚術を使用した者だって、碌な末路がない。

 復讐の血の海に溺れ死に、手に入れた金塊に押し潰され、食べ物で膨れた腹に圧迫される。

 弱者の末路など所詮はそんな物なのだ。プライドが無い物に、最上の結果など有り得はしない。


 なのに。

 それなのに。

 この邪神にはプライドなどほとんど無い。無い筈なのに、これほどの力を持っている。


 それはルキヘラの理論の、固定概念の破壊に他ならない。邪神の存在自体が、ルキヘラの計算外なのだ。それはあってはならない事だった。そしてある意味喜ぶべきことかもしれなかった。全ての知識を我が物にし、この世界の真理を探求しようとするルキヘラが、邪神というこの世最大の不思議を解明する。そんなことが出来たら、きっとルキヘラの研究はさらに一段階上のステージへと進むだろう。

 

 だからこそルキヘラは、邪神教へと入信したのだ。

 邪神を傍で観察するために。


 「入信したい」と教主のエマに相談したが、エマはその正体ゆえに心をそれなりに読むことが出来るため、自らが崇める神を実験対象としてみているルキヘラを怨敵を見るような目で見ていた。しかし、邪神の方は喜んでルキヘラを歓迎した。やはりそこら辺は不用心だ。もしくは油断しているだけか。


 だがそれでもよかった。実際この古城生活はとても快適である。


 この大書庫では、邪神が拾い集めてくる亡国の本や、邪神が魔力操作を間違えて無意識に作ってしまった魔導書が大量に保存されている。異空間にある魔法練習所ならば、原子力魔法も世界崩壊する実験もやり放題だ。食事も堕天使のオロバスが文句を言いながらも運んでくれるため、食堂に行く必要すらない。しかも一年中ひんやりとした大書庫の空気は、悪魔である私にとって最も快適な温度である。毎日何時間でも研究に没頭できる、理想の職場といっても過言では無かった。

 邪神の髪の毛を採取できるのも、ポイントが高い。

 ルキヘラからして見れば、ここは正に天国なのだ。


「で?僕は何時になったら解放されるのかなぁ」


 ルキヘラの意識が、夜市の言葉で現実へと帰還する。


 そこには体の所々を魔剣で地面に張り付けされ、封印の護符を何重にも張られた夜市の姿があった。そしてそれに跨るルキヘラ。

 どうやら一人で思考している中に、邪神への研究意欲が身体を乗っ取っていたらしい。無意識に邪神を攻撃して細胞を採取しようとしてしまったようだ。流石ルキヘラ、例え上位の相手だろうがお構いなく研究しようとするその姿勢。そこに痺れる憧れる。


 突き刺した魔剣を一本ずつ抜いていく。わざとらしくゆっくりと、痛みを与えるようにグリグリと抜いているのは、きっと被害妄想なのだと夜市は思いたい。

 抜いたところから身体が再生する。護符によって再生力が一割以下になっているにも拘らず、この再生力。やはり規格外だ。ルキヘラは研究のやり甲斐のある邪神モルモットをじっくりと視て、舌なめずりをする。「ヒィッ!」と涙目で怯える夜市。やっぱり多分ふざけている。


「とにかく出て行きなさいよ。実験する気が失せるから」


 ポキッ。


「うわぁぁぁん!」


 何かが折れた音と共に、大書庫から出て行った夜市。大粒の涙を周囲にまき散らしながら、まるで子供のように走る。

 邪神の醜態を目前で観察したルキヘラは、「これで邪魔ものはいなくなった」と呟きながら、次の実験に専念するのだった。

 

 次は何かいいか。時間を遡る魔法の開発もまだまだ途中だ。それに邪神のクローンだって髪を触媒にして造りたい。きっと恐ろしい戦闘力を秘めた邪神となるだろう。勿論それで夜市を倒せるわけないのだが、もしかしたら魔王軍に重大な被害を与えられる程度には強くなるかもしれない。それとも自分と融合させてみようか。悪魔因子と邪神因子の相性は不明だが、同じ魔の属性なのだから悪いわけでは無いだろう。むしろ良くなくては困る。まあ、それもこの後に実験で調べようか。悪魔だけでは無い。人間や妖怪などの魔の属性とは違った性質を持つ生物にだって、邪神因子は適するかもしれない。あの邪神だって人と外見はそっくりなのだ。ただし人間離れの美しさではあるが。妖怪だって身体は丈夫だ。邪神因子にだって耐えられるかもしれない。もちろんこれらはすべて憶測だ。大書庫で長年魔法と邪神の研究をしてきたルキヘラにだって、分からないものはある。大事なのは分からない物を分かろうとするかどうかなのだ。考えれば考えるほどアイデアが湧いてくる。やはり邪神は素晴らしい。全ての物に応用が利く物だって開発できるのだ。世界を破壊する魔法だって、邪神の扱う魔法を独自に研究して、悪魔であるルキヘラにも使える様に魔力消費効率を極限まで抑え、威力自体も術者が消滅しない様に様々なプロテクトを施してやっと完成した。アレを素で何発も放てる邪神は本当に規格外としか言いようがない。きっと世界を破壊する魔法を邪神に放った所で、無傷で生還するのだろう。邪神はそういう法則に囚われない事をさも平然とやってのける。痺れもしないし憧れもしないが、研究意欲は湧いてくる。あの身体を思う存分実験したら、ルキヘラが苦戦している魔法の研究の7割は解決するだろう。本当に宝の生る木のような奴だ。それでも危険であることには変わりないのも事実ではあるのだが。それでも奴の功績はすさまじいのだ。本当に。勿論対価など払わないが。むしろ邪神教徒として毎日信仰の証として祈りを捧げてやってるだけでも、ルキヘラとしては身を割くような思いなのだ。まるで無知な人間が、都合のよい時だけ神を崇めている姿の様に感じてしまう。だから、実験蛙対象になるのだって、邪神には我慢してもらいたい。我慢して腹を切り裂けさして欲しい。臓物を元に新たな魔物を生み出せるだろうから。新たな魔物。これだってルキヘラの夢だ。夢と言うとこれも何だか人間ぽくてとても不愉快だが、こうとしか言いようが無いのだから致し方ない。それでも無理矢理言い換えるとしたら、目標と言ったところか。古代の文献に存在していた、八岐大蛇と呼ばれていた邪妖の再現と復活にも役に立つかもしれない。いや、同じ邪神因子を持つ者同士なのだから合わないはずが無い。これは憶測では無く確信だ。A型の人がA型の人の血を輸血して貰ったって、拒絶反応が出ないのと同じ原理だ。夢がどんどん膨らんでいく。さて、今日は何を研究しようか。


 ◇


 大書庫からも追い出されていた夜市は、癒しを求めて古城の庭園を彷徨っていた。やはり自然の緑はそれなりに心が安らぐ。これは動物の本能と言ってもいいだろう。邪神が動物という定義に当てはまっているかどうかの疑問は置いておくとして。


 庭園。

 そこには様々な植物が群生していた。人間界でもよく見られるトマト、ナス、ピーマン、ゴーヤといった夜市の苦手な野菜たち。本気で滅びればいいと思っているが、滅ぼしたらエマが「健康に悪いじゃないですかっ!」とか叫びながら大目玉を食らうのだろう。それは避けたいから、今のところ休戦状態となってはいる。視界にも入れたくはないが。

 それに珍しい植物だってそこら中にいる。声を聴いただけで命を刈り取る魔の植物、マンドラゴラ。魔界の瘴気が濃い所にしか生えないはずの魔霧草。最後には仙人が修行の時にしか食べない仙豆など、本来ここには生えるはずもない植物までもが、この庭園には存在しているのだ。

 全世界の植物学者から見れば、驚きのあまり失神確定だろう。


 だが、この不可能を可能にしてくれる存在が、この庭園の守護者として生活している。食堂の食材だってここから仕入れているのだ。まさに古城の自然食糧庫である。植物の生命力も桁外れのため、何十年放置していても全く問題ない。


 その時、ふと夜市の視界にイチゴみたいな果実が実った植物が入った。完熟しているわけでは無いが、全体が青い事も無いので、きっと食べられる程度には熟しているだろう。気まぐれに一つまみしようとして――


 夜市の右手が吹き飛んだ。


 手首からスッパリと切り飛ばされている。鮮血をまき散らしている右手は、数百メートル先の食人植物コーナーの方まで飛ばされた。食人植物たちの無言の歓喜の声が聞こえる。邪神の右手はさぞ美味いのだろう。夜市としては悲しい事この上ないが。


 夜市はきれいに切断された手首の断面を見る。豆腐のように分離されたそれはすでに傷口の再生が始まっており、数秒後には完全に元の状態になった。

 再生された右手をグーパーしながら、夜市は不機嫌さを隠しもせずに、夜市の右手を切断した張本人に声をかけた。


「何か弁明する事はある?『園木そのぎ』ちゃん」

「いえ、ボクの子供と言っても過言ではない植物たちが、邪神様の魔力に怯えているようだったので、つい」

「『つい』で僕の右腕切断!?」


 いつもの通りオーバーリアクションで驚く夜市。それを無機質な目で見るのは、手に泥を付けた黒髪ショートヘアの美少女だった。


 機械のように冷たく暗い翡翠色の目。所謂ジト目で夜市の痴態を見下しており、信仰心など欠片もない。口をへの字にして睨み付ける園木は、悪びれもせずに夜市の右手を切断した刀をハンカチで磨く。返り血を吸収したハンカチは園木が地面に落とした瞬間、地面から生えていた植物の根が回収した。うねうねと蠢きながら地面を這う植物を、園木は愛おし気な表情で観察する。

 夜市としてはあまり理解できないが、園木にはこの植物が赤ちゃんにでも見えているらしい。いや、それも彼女の正体を知れば無理もないかもしれないが。

 

 思わずため息を吐いてしまう夜市。この邪神教、宗教なのに信仰心が皆無の信者たちが居すぎやしないか。勿論夜市だって、狂的な信者が欲しいわけでは無い。ほどほどの信仰が夜市にとってはちょうどいいのだ。

 なのにこの邪神教徒たちは、邪神の二度寝を妨げ、話してただけなのに身体中に魔剣を刺し、挙句の果てにイチゴらしき果実を食べようとしただけで右手切断である。これはもう泣いてもいいレベルなのではないか。ほかの宗教だったら間違いなく死刑だろう。邪神教は寛容だから死刑などないが。むしろその体制がこの信仰心皆無現象に繋がっているのか。だとしたらもうおこしちゃおうかな?と答えにたどり着く一歩手前で、園木から声がかかった。


「何てことしてくれたんですか邪神様。あなたが地面を踏んだせいで地面が固まってしまった。草が生えなくなってしまったらどう責任とってくれるんです?」

「ふふっ、ふふふふふふっ」

「……ついに狂いましたか。ならばこれも邪神教徒の務め。あなたが世界を滅ぼす前に、ボクがあなたを滅ぼします」


 居合いの状態で構える園木。完全にマジで夜市を攻撃するつもりである。夜市の感情メーターがついに振り切った。


「フフフ、ッヒヒはハア、ブヒャヒャヒャヒャヒャ!」

「笑い方気持ち悪いです」

「むっひょおおおおおおぉぉぉぉ!」


 夜市が一歩踏み出した。その反動で大地が割れ、空気が震える。夜市を中心とした竜巻が発生し、先ほどまで晴天だった空は、不吉な黒雲へと姿を変えていた。

 

 二歩目。夜市の身体から黒い霧のような者が噴き出した。瘴気である。魔界にしか存在しないはずのソレは、魔界の神でもある邪神そのものも放出することが出来る。常人が匂いを嗅ぐだけで気が触れると伝承されている瘴気は、竜巻に巻き込まれてさらに周囲を黒く染める。

 

 三歩目。これが最後の歩だった。


「ッッッ!何てことしてくれたんですかぁぁぁ!」


 ボガァン!


 三歩目を夜市が踏み始めたと同時に、古城の最上階からロケットのように勢いよく飛び出した少女。邪神教教主エマである。手には金属製のフライパンが一つ。何に使っていたかは不明だが、エプロンドレスを着こなしているからだろうか、とてもよく似合っている。

 空中を浮遊した後、空気を蹴り上げる。音速を突破したその空中蹴りは、ソニックブームを発生させながら夜市の頭上まで接近した。


 そしてフライパンを振りかぶる。音速を超えたその一撃は、夜市の頭を地面へと潰す。


 夜市をフライパンで蚊のように叩き潰したエマは、夜市を叩いた反動を利用して勢いを殺す。地面を抉りながらも着地に成功。砂煙をまき散らしながら立ち上がる。

 心なしか影が鬼のようになっており、目が紅く光っていた。


 血の池と化した夜市は、細胞同士を結合させながら再生する。

 まるでカメラの逆再生のようにズルズルと身体の部位が出来上がる。それぞれが磁石のように引っ付き合い、骨を中心にして張り付き、人体模型のような状態から肌が出来上がっていく。髪の毛と歯が生え、よろよろと立ち上がる。


「何も殺す事は無いでしょぉ!」

「食べ物を粗末にする邪神様なんて、フライパンで圧死されちゃえばいいんです!」

「実際にされました!実際にフライパンで圧死しました!」


 涙ながらに語る夜市。流石にアレは痛かったらしく、本気で怒っている様だった。


 しかしエマにはそんな事関係ない。昔自分の親戚で「パンが無いならケーキを食べればいいのよ」とか言っていた人がいたが、その人は革命によって民衆に殺された。食べ物の恨みは怖いのだ。粗末にしたりすれば、それが命取りになりかねない。

 敬愛する邪神にはそうなって欲しくないのだ。出来るならば邪神教のみんなと一緒に、毎日楽しく健やかに生きていければ、エマはそれで十分なのだ。だからこそ、食べ物を粗末にするような真似を邪神がやっていたら、自分が邪神を叱るべきなのだ。例え邪神をフライパンで殺したとしても。そもそも自分が邪神を殺しきれるわけが無いので、邪神には全くダメージらしいダメージなど残らないだろうが。


 「ちょっとこっちに来なさい!お説教です!」と叱りながら夜市を引きずるエマ。引きずられている夜市はというと、涙の後を地面に残しながら「助けてぇぇ!殺されるぅぅぅ!」と助けを懇願していた。


 ちょうどその時、夜市と園木の目が合った。「助かったか!?」と希望の感情を顔に出す夜市だったが、次の瞬間、園木は更に夜市を絶望へと叩き落とす言葉をはなった。


「あ、説教が終わったら、あなたが荒らしたところの清掃よろしくお願いしますよ――


 今夜は眠れるなんて、思わないでくださいね?邪神様」


 邪神の古城生活は、こうして過ぎていく。

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