ウェッドヘンドルの霧雨の城
そもそも、ただの貴族の娘なら、こんな心配はしない。
長引く戦いで、王位継承権のある者が、従兄弟のサーバル皇子と、アーカム卿の娘ディオナだけになってしまっていたのだ。
後は、戦死、急死、病死。
毒を盛られた者もいたかもしれないが、誰にもわからない。
ただし、呪い殺されるのは、悲惨だ。
手足の先から、とろけて腐るなんてのは、御免こうむりたい。
それぞれ、かなりの魔法使いを雇っていたので、つまり、2人だけが、生き延びた。
父親のアーカム卿を助ける為に、魔術師ギムリが、この城をあけていた。
もちろん、防御はおこたってはいなかったのだが、相手も考えたものだ。
城ごと、閉じ込められてしまった。
正確には、城の周りの堀の水だ。
ギムリの備えにも、そこまでの対処は無く、
ディオナは、無駄にクルクル歩き、無い知恵を絞る事になっていた。
元々雨の多い地域で、堀の水は増えるだけだったが、ゾッとする高さになっていたのだ。
ギムリが残しておいてくれた魔法の従者には、水に強いものもあったが、荒れ狂う堀の水に、巻き込まれ外に知らせに行く事も出来ないでいた。
そもそも、魔法の従者なので、力負けすれば、消えてしまう。
その度、ディオナは弾き出され、身体に戻ってきていたのだった。
弾き飛ばされた事より、相手の魔法に負けた悔しさで、夜も眠られないほどだったのだ。
ギムリが張り巡らせた結界もいつまで持つか、わからなかった。
霧雨の城は、今や堀の水に呑み込まれかけていて、瓶詰のドロ水に沈むグダグダのスコーンの様だった。
ディオナは、クリスタルのカタツムリに全てをかける事にした。
ノロマだが、唯一の救いは、水を跳べる能力が、あったのだ。
カエルや魚では、呑まれて消えた。
鳥も水の手に掴まれ引きずり込まれていた。
ギムリは、ディオナにクリスタルの使い方を簡単にしておいてくれた。
難しい呪文や魔方陣無しでも、ディオナの血の一滴で、魂の半分がクリスタルに宿り、動かすことが出来た。
同じクリスタルから、削り出された従者たちだけが、結界を越えられる。
後は、ディオナの魂だけが許されていた。
《なんなりと、お姫様。》
カタツムリは、目醒めてかしこまった。
《急ぐわよ。この身体は置いてかなくちゃならないし。
万が一、失敗したら、サーバルを殺してやるんだから。》
カタツムリは、乗り込んできた姫にギョッとして、思わず殻にめり込んだ。
城に残していく、魂の半分の身体は、上手く動けず、寝てばかりの状態になっているので、城の者に頼むしか無い。
今回はかなり離れなければならないが、仕方ない。
カタツムリの方は、一か八か、塔の上から、投げてもらった。
高波が、塔の先端まで打ち寄せ、魔法の水が、カタツムリを捕まえようと伸びた。
一瞬早くカタツムリは、襲う水を避け、雨粒を跳んだ。
弾けて、堀の外に転げて落ちた。
そこに、水が押し寄せる。
雨の粒を使い、カタツムリは、次々と跳んで行く。
疲れ果てた時、城のそばの岩山まで跳んでいた。
追っ手の水も、ここまで追う力はなかったらしい。
少し休んでから、カタツムリの尻を叩く。
そもそも、走り回ったりする様には出来てない、従者なのだから。
雨があるうちに、先に進みたかった。
《行くのよ。城が水に呑まれて、この中でずっと私と暮らす事になるわよ。》
カタツムリには、それ以上の脅しはいらなかった。
のんびり、マントルピースの上で昼寝して暮らせたら、それが幸せと言うカタツムリだったのだし。
いくら雨が多い季節でも、止む時は止む。
《もう、何時だって、こっちの都合の悪い時に限って、天気って晴れたり降ったりするんだから。》
カタツムリは、疲れ果てていた。
《千年分働きました。》と、か細い声がした。
休むしかなかった。
岩山の頂上付近で、小さな窪みを見つけ、体をねじ込んで、中に入った。
不思議な2人は、丸まって寝た。
カタツムリの悲鳴で目覚めると、空だった。
カラスだ。
光り物が大好きなカラスにさらわれたのだ。
クリスタルなので、喰われる事は無いが、キラキラ光る物が大好きな若いカラスの宝物になった様だ。
連れ込まれた巣には、瓶の欠片やひしゃげたコインが光っていた。
どうしようも無い。
カラスの巣で一晩過ごす事になった。
雨が降れば、雨粒を跳んで、逃げられるだろうが、こんな時だからこそ、天気の良い朝が訪れるのだった。
2人は、ため息で起きた。
若いカラスが朝の餌でも探しに留守にすると、別のカラスがカタツムリをくわえて、巣から飛んだ。
鳥のクリスタルに入った事もあるディオナは、落ちついていたが、カタツムリは、ギャーギャー騒いで、頭ごなしに叱ってやった。
《静かにして。
今更、落ちても運命は変わらないわよ。》
騒ぐだけ騒いで、カタツムリは口をつぐんだ。
カラスが、どこかの城壁に降りて、ポトンと落としてくれたのだ。
《もう時期、ギムリ様がいらっしゃいます。
申し遅れましたが、ギムリ様の従者のカラスです、ディオナ姫様。》
カラスは、ぺこりと頭を下げた。
ギムリが現れ、カタツムリをすくい上げた。
もう安心だ。
ディオナが、内情を話すと、たちまち銀龍を呼び寄せ、ウェッドヘンドルの城に向かった。
黒雲の上のちっこい龍を倒すと、水の魔法をかけていた、魔法使いをズタズタにした。
城の堀の水は平和を取り戻し、ディオナは無事に身体に戻ることが出来た。
その頃、陣頭指揮を取り、父アーカム卿と共に戦っていた、フリエス三世が、急死した。
魔法は怖い。
ディオナを狙っていたのは、王自身だったのだ。
急遽、サーバルを王としてたて、戦いには、勝利した。
ディオナがサーバルに嫁ぐ事で、国はおさまった。
亡くなった母に面影の似ている従兄弟は、申し分のない婿殿だった。
クリスタルのカタツムリは、褒美として、マントルピースの上での昼寝が与えられた。
王の城のマントルピースだ。
これ以上の栄誉を、彼は望まなかった。
平和が続き、ディオナの血筋の者の血が触れない限り、彼はそこで、惰眠を貪れるのだ。
クリスタルの寿命は長い。
夢のまた夢をカタツムリは、ただよう。
ウェッドヘンドルの霧雨に包まれたあの冒険を、夢に見るのだろうか。
人知れず時々、身震いしてるのを、若い王と王妃が笑って見つめているのだった。
今は、ここまで。