8.叔父の結婚(前編) ~王都にて~
「ヒスイはいませんよね」
きょろきょろと、娘は“紅き竜と巫女の領域”を見渡す。
「山の中にいるはずだが。探しているのか?」
竜も首を伸ばし、ヒスイの魔力を探る。
「いえ、逆です。あの子には聞かせられない話をしようかと思いまして」
「お前たちが旅に出ていた時の話か」
「はい」
「母さま、私はいてもいいのか」
ルリが娘の隣に並ぶ。
「ええ、大丈夫ですよ。たまには女同士の話もいいものでしょう?」
娘が片目を閉じて笑いかけると、竜とルリも、それぞれ呆れ顔と好奇心を含んだ笑みを返してきた。
「師匠が、とある国のお姫様と結婚した際のあれこれなんですが」
◇ ◆ ◇
雪山を下り、いくつかの街や村を経て、娘たちは再び広大な砂漠の国へと足を踏み入れた。
「ここに来るのも一年ぶりか」
尾が二股のネコに擬態したカナリヤが、伸びをしながらあくびをする。
砂漠の国、一番の交易都市を兼ねる王都まではまだ距離があるが、遠目からでも賑わいがよくわかる。
「お前と会ってからだいぶ経つんだな」
クラノはがははと笑いながら、褐色肌の少女ラニの、白に近い金髪頭にぽんぽんと手を置く。
ラニはなんとも言えない表情でクラノを見て、
「クラノさん、手、重いんですけど……」
背中叩かれるよりはマシだけども、と身をよじった。
娘はいつものように微笑みを浮かべ、
「そろそろあなたともお別れですから、最後の我慢ですよ」
「そうだね……」
ラニの浮かない顔を見て、娘はおやと思ったのだった。
「クレ……巫女さんたちじゃん!」
王都の宿で宿泊の手続きをしていると、知った声が聞こえた。
「あら、あなたは」
「おー、スカイか。久しぶりだな」
ともに魔王に挑んだ仲間のひとり、少年剣士スカイと待合室で出会った。今は剣も提げておらず、軽装だ。
「あ、カナ……コハク今日はネコなんだ」
「まあな。こんな人間の多いところじゃ擬態するよ……って、おいこらやめろよ」
スカイは擬態したカナリヤを見つけると、すぐさましゃがみこんで頭をわしゃわしゃと撫でる。
「やめろって。ところで、お前ひとりか?」
「いや? ミストとキララは買い物行ってる。バーニスとか、他のみんなも近くの宿屋にいるよ。ここ中継地だから」
スカイは、自身を含めた幼なじみ三人衆の魔導士ミストと治癒術士キララのほか、吟遊詩人バーニスをはじめとした魔王討伐仲間たちの名をあげた。
聞けば、娘たちが雪山へ寄っている間に、他の仲間たちはこの都へまっすぐ進んできたという。
それぞれの故郷へ帰るにしろ旅を続けるにしろ、交易の拠点である王都へ向かうということで意見は一致したそうだ。
「あれ、ところでそこのちっこいのは?」
スカイが、娘の後ろに隠れているヒスイに目線を合わせるように腰を屈める。
「ヒスイです。最近生まれたばかりの私の子ですよ」
「へぇっ!?」
素っ頓狂な声をあげて、スカイは尻餅をつく。
「ヒスイ、ごあいさつを。この前聞かせたお話を覚えていますか? 彼は勇者のひとりですよ」
「は、はじめまして……ボクは、ヒスイです……」
顔だけ覗かせたヒスイはそれだけ言うと、また娘の後ろへ隠れてしまった。
「え、こどもっていつ……最近って、でも大きいよな?」
「それはほら、私はこういう者ですから」
起き上がりながらまじまじと娘とヒスイを見るスカイに、娘は魔法布で巻かれた左腕を叩いてみせる。
「世の中俺の知らないことがいっぱいだなあ……」
驚嘆するスカイの横で、カナリヤが気まずそうに視線を外していた。
「ここへ来たってことは、みんなもどっか行くの?」
「ええ。私も故郷へ帰ろうかと」
「俺は愛弟子を送り届けたらまた旅にでも出るかな。その前に、こいつを送りにきたんだよ。ここが故郷だからな」
クラノはそう言ってラニを見る。
そしていつものようにラニの背中をつつこうとし、さっと横に飛び退いたラニにそれを避けられた。
「いい加減その手は食わないんだから!」
「お。やるじゃねーか。お前も成長したなあ!」
上機嫌に、クラノはラニの頭を乱暴に撫でる。ラニは髪をくしゃくしゃにされながら、
「やめてくださいってば! 私だって成長するんだから!」
今度は逃げることもせず、何か他に言いたげに、ラニはされるがままとなっている。
娘とカナリヤ、スカイはお互いの顔を見合わせ、改めてじゃれるふたりを見た。
◇ ◆ ◇
夜、娘たちは王都一大きな酒場に集まった。
数十日ぶりに出会った仲間たちは三つの円卓に座り、別れてから今までの出来事をつまみに酒を飲み交わす(ヒスイとカナリヤは宿で留守番だ)。
砂漠の国では十五歳で成人なので、ラニ、スカイ、キララの最年少十六歳組も問題なく杯を手にしている。
「へー、そんなことがね」
幼なじみ三人衆の姉役ミストは、ちらりと隣の円卓を見やる。そちらでは主に年長者組がいて、クラノの隣に座ったラニがさっそくクラノにちょっかいを出されていた。
「たしかに、前よりもそんな感じかもー」
キララが酒を飲みながら、のんびりと口にする。空いている片手は、すでに出来上がりかけているスカイにかざし、酔いを弱める治癒術をかけていた。
「なんだなんだ、何かおもしろい話かい?」
杯を持ってもうひとつの円卓からやってきたのは、長い髪をゆるくまとめた優男、吟遊詩人のバーニスだ。その顔は酒のせいか、ほんのりと赤い。
「あれ、イルニスは?」
「あの通り。ヴァンにべったりだよ」
そう言って、自分が今までいた円卓を指差す。
岩のような厳つい男ヴァンに、白い肌と特徴的な長耳の美女エルフが腕を絡ませている。ヴァンの顔が真っ赤な理由が酒によるものでないことは、一目で知れた。
対魔王戦で身を挺して守られて以来、イルニスはヴァンから離れようとしないという。
「まったく、熱すぎて近くにいられないね」
気障な仕草で前髪をかきあげ、バーニスは少年少女たちの円卓に加わった。
「で、何の話をしてたんだい?」
そう言いながらも、バーニスはちらと年長者組の円卓に視線をやる。大まか気づいてはいるのだろう。
「なるほどねえ。そういうことか」
おもしろそうに目を細め、杯を傾ける。
「ええ。見ての通り、ラニは師匠に恋をしていますね」
ヒューイッと、ミストが口笛を吹いた。
◇ ◆ ◇
ふらりと、ラニは酒場の露台に出た。砂漠の夜風が、熱を持った頬に心地良い。
空を見上げれば、細い月が明るく輝いている。
王都を離れて一年。
最初は半ば脅されてあの一行に同行させられ、何度も帰りたいと思っていた。
腕に鱗を持つ巫女は普段にこやかだが、笑顔のまま怒るので怖いし、コハクは珍しいネコだと思ったら正体が竜だった。それを知った時、ラニの心臓にどれだけ負荷がかかったことか。
クラノはクラノで、力加減というものを考えずにラニの背中を叩いてきたりするし。その上、最近は犬でも撫でるかのような乱暴さで髪を乱してくる。
頭に置かれた手は重いわ、指に髪が絡んだりして痛いわ、髪はぐしゃぐしゃになるわで。
なのに、あの屈託のない笑顔はなんだ。
ラニとは十以上年が離れているのに、まるで少年のようではないか。
ラニには、それがなんだか腹立たしかった。
腹が立つと言えば、ラニは自分にも腹を立てていた。
気が付けばあの大男を目で探していることも。
こちらを見ていない時に、広くて強い背中を見てしまうことも。
今日のように、いつの間にか隣の席に座ってしまっていることも。煩わしいちょっかいをかけられることなどわかっているというのに。
「ううん、違うよね……」
俯き、ため息とともに独りごちる。
故郷に着いて、ようやくあの非常識な一行から解放される。しかし、喜びはあまりない。
ラニとてわかっているのだ。この憂鬱の正体を。
いつの間にか変化した自分の心持ちを。
もうほとんど認めていたし、これ以上は隠しきれるものでもないだろう。
ラニはもう一度ため息をつく。
「ラニ」
涼しげだが、どこか慈愛を含んだ声がラニを呼ぶ。
頼りになるが、ラニにとって苦手意識のある人物が露台に出てきたのだ。
「果汁を持ってきました。最近人気なんだそうですよ」
そう言って、酒気のない杯を差し出してきたのは巫女だった。顔には優しげな笑みを浮かべている。
「ありがとう……」
素直に礼を言って受け取り、一口含む。
濃い紫色の果汁は、少しの渋みが甘さを引き立てていて、なかなか美味だった。
「浮かない顔をしていますね」
大体のところはわかる気がしますがと、巫女も同じ果汁の杯を口にする。
巫女を苦手としている理由は、ラニが自覚しているものを、こんな風に臆面もなく口にしてくるところだ。
「気にしているのは、やはりあのことですか?」
月明かりに照らされた巫女の白い肌と、艶っぽく潤む目に思わずどきりとする。
これだから美人は、と毒のひとつも吐きたいところだが、相手が相手だけに後が怖い。
それに、今は胸の内を明かしたい気分でもあった。
「巫女さんたちと会う前、私が王都でやってきたことについては後悔はないよ。誰が止めても私は動いてたと思う。だけど……さすがに男の人に打ち明けるのは躊躇う話なんだよね」
「そうですね。男性にはやや刺激の強い話だとは思います」
「だよねぇ……」
ラニは再び月を見上げる。
約一年前も、形は違えど明るい月が出ていた。
巫女と出会った日、“刈り姫”と噂されていたあの時も。
◆大男と少女
「ちょっとクラノさんてば! 痛いって言ってるじゃないですか!」
褐色肌で、白に近い金髪の少女が、頭ふたつ分ほど身長差のある大男に食ってかかっていた。大男が少女にちょっかいを出したのだろう。
またか、と魔導士ミストは目をやる。が、止めはしない。
なんやかやあって、ミストを含む幼なじみ三人衆は、魔王を倒すための仲間としてこの奇妙な一行に同行した。まだ日は浅いが、このやりとりは毎日目にしている。
ふたりの元々の仲間である巫女は、穏やかな笑みを浮かべて見ているだけだし、尾が二股のネコ(正体は竜だ)のコハクは呆れ顔で、やはり見ているだけだ。
それもそうだろうと、ミストは思う。
ラニは本気で怒っているが、その割にクラノの側からあまり離れない。
クラノはクラノで、ラニが怒るのをわかっていながら、あれこれやらかしているフシがある。
もう少し力を加減してやった方がいいとは思うのだが。
「あれって、もしかしてもしかするー?」
のんびりと、ミストの幼なじみの治癒術士キララは指で示す。
「そうなんじゃない? 違うかもしれないけど」
なるようになるでしょと、ミストも呆れからため息をついた。
◆噂
「なー、バーニス知ってる?」
酔いが回り、若干怪しい呂律でスカイが尋ねる。
「知ってるって、何を?」
「一年くらい前に、この辺を騒がせてた事件のこと。“刈り姫”って噂」
「ああ、その話か」
バーニスは吟遊詩人だ。物語りながら各地を回る性質上、各地の噂や流行にも明るい。
「俺も王都に近いところで小耳に挟んだくらいなんだけどさー、なんか真っ二つなんだよね。評価っていうか」
「それはそうだろうな。女にとっては救世主、男にとっては背筋の凍るような話だから」
「なにそれ」
スカイは円卓に頬をつけるという行儀の悪い格好で、半分瞼が落ちた目を訝しげに細める。
バーニスはやや思案した後、口を開いた。
「スカイ。男として死ぬというのはどういうことだと思う?」
聞き手に与える衝撃を抑えるため、極力端的に語られた内容は、それでもスカイの酔いを吹き飛ばして震え上がらせるには十分なものだった。




