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紅き竜と変わり者娘 〜ふたりが出会ってからのこと〜  作者: いろは紅葉
番外と旅の章:娘たちはかく語りき
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7.ギンとカガミ

カガミはいかにして。

 後に妖精竜、紅き竜と呼ばれる竜たちが生まれるよりももっと昔の物語。


 当時から霊峰と呼ばれていたある山に、人間の幼子が迷い込んだ。

 親とはぐれ、道に迷い、闇雲に歩き、さらに人里から離れ……。


 そして幼子は、きらきらと陽の光を反射する鱗を持つ、大きな銀色の竜と出会った。


「どうした、人間の幼子よ」


 銀竜は一声かける。

 幼子は目を丸くして、口をぽかんと開けたまま何も言わない。


「迷い子か。ここは霊峰と呼ばれるところでな、人間たちはみだりに立ち入らぬ。迎えは来ないものと思え」


 聞こえているのかいないのか、幼子は反応を示さない。

 銀竜は小さく息を吐いて、


「お前、名はなんと言う」

「うー……」


 幼子は魚のように、口をぱくぱくと動かしたが、そこから意味のある音は出なかった。

 ただひとつの持ち物である、小さな手鏡を握りしめるだけ。


「名も言えぬほど幼いか。まあいい。お前は“カガミ”。これからはそう呼ぶ」


 はたしてそれは、銀竜の気まぐれだったのだろうか。




「ギン! ギンってば!」


 山地の草木などないかのように駆け抜けて、少女は山中の開けた場所へ飛び出した。


「カガミか」


 中心で寝そべっていた銀竜が、頭を持ち上げてカガミを迎える。

 あれから年月は経ち、カガミは齢十を数える少女に成長した。

 今では銀竜を勝手に“ギン”と呼び、好奇心の赴くまま、山の生き物たちと山野を駆けめぐる日々である。


「なんかさ、見たこともないおっきい卵見つけた! 鳥魔獣とりじゃないみたいだけど、食べられるかなー?」

「……どれ、見に行くか」


 銀竜は身を起こし、立ち上がった。



 銀竜が目にしたのは、カガミの背丈よりも小さな卵たちだった。

 カガミは気づかなかったようだが、銀竜は、近くの森の中に親と思われる竜の亡骸を見つけた。

 元から弱っていたのか、産卵で体力を使い果たしたか。

 銀竜は静かに、竜式の弔いの礼をとる。


「これは竜の卵だ」

「竜の? ギンみたいなのが生まれるの?」

「さあな。竜は生まれるまではわからぬ。自ら殻を破る時まで楽しみにしていろ」


 銀竜とカガミは、竜の卵をふたつ、銀竜の巣へ持ち帰った。



 卵はふたつとも無事孵った。

 岩のように硬そうな土色の竜はカガミよりも大きく、晴れ渡る空のような蒼い翼竜はカガミの腰までの大きさだった。


「へー、竜って何が生まれるかってほんとにわかんないんだ」

「ああ。幸い、こやつらは私とも暮らせる性質の竜だ。たとえば親が火竜、子が氷竜だと、相性が悪くて育てられぬ」

「そんなことあるんだねー。大変そ」

「無事でも、子育ての大変さはこれからだぞ」


 銀竜はにやりと笑った。



「獲物捕ってきたよー!」


 カガミは、両手に六羽の兎をぶら下げて帰ってきた。

 子竜たちの鼻先にそれを持って行くと、食べ盛りたちは素早く食いつき、一羽をほんの二、三口で平らげてしまう。


「よく食べるねー。全然追っつかないよ」

「赤子とはいえ、お前より大きいしな。私も魔獣を狩ってくるから、お前はこどもらしく無茶をしないで待っていろ」

「えー、やだ!」


 銀竜は驚いたように、目をわずかに見開く。


「あたしが見つけたんだもん。あたしだってギンとおんなじ、この子らの親だからね! あたしらはふた親なんだから!」

「何?」

「頼ってくれていーよ!」


 カガミはふふんと胸を張る。銀竜はその胸を鼻先で軽く押して転ばせた。


「何すんのさー!」

「言うことだけは一人前だと思ってな。そんな顔をするな。これでも嬉しいのだ」

「ふーん?」


 カガミは半眼で銀竜を見て、起き上がるために地面に手をついた。その指先に、なにかが触れる。


「あ、落ちちゃったんだ」


 拾い上げたそれは、カガミが最初から身につけていた唯一の持ち物。手鏡だった。

 しかし、その鏡面は細かくひび割れ、破片が地面に散っている。


「今ので割れてしまったのか。すまないことをした」

「あ、気にしないで。けっこう前に、河原で落として割っちゃったんだよ」


 そう言って拾い上げた破片は、カガミの指先から滑り落ち、


「ん?」

「ん?」


 ……滑り落ちなかった。

 間の抜けた声を出したひとりと一頭の目の前で、鏡の破片はカガミの腕に貼りついた。

 カガミは何を思ったか、手鏡をしまっていた小袋に手を突っ込み、くすんだ銀色のかけらを手にする。


「それは私の古い鱗ではないか」

「そうだよ。そのへんで粉々になってたのを一緒に持ってたんだ」


 これをこうして……と、カガミは銀竜の鱗の破片を、鏡の破片を中心にして腕に並べていく。

 鈍色にびいろだった鱗の破片は、とたんに本来の白さと輝きを取り戻し、カガミの腕に馴染んでしまった。

 銀竜は目を丸くする。そして目を細めてカガミを見ると、


「これは……」

「なになに、どーしたの?」

「カガミ。お前はいつの間にか、人間とも竜ともつかないものになっていたようだ」


 カガミはきょとんとした表情で、銀竜を見ていた。



 カガミが十五の時、その両腕は銀の鱗で覆い尽くされた。貼りつけたもののほか、カガミの肌から自然に生えてきたものもいくらかある。

 それは、“人間でも竜でもない者”に目覚めた証でもあった。


「おーい、ごはんだよー!」


 カガミが引きずってきたのは、カガミの何倍もの体格を誇る鹿型の魔獣だ。


「大物だな」

「ゲンコツで一撃だった!」


 上機嫌で返事をし、獲物を子竜たちの前に放る。

 鱗が両腕に広がって以来、カガミは“人間でも竜でもない者”として、怪力や魔力的な力に目覚めていた。

 今日のように、魔獣を拳ひとつで沈めることも珍しくない。


「この子らって、巣立ちにどれだけの時間が要るの?」

「自力で獲物を捕れるようになったら、だな。今日は狩りの練習をさせようと思っていたのだが」

「そっか。じゃー明日だね」

「ああ、仕方ないな」


 一頭と二人は、カガミの体格をとっくに追い抜いた二頭の子竜たちの食事を眺めて談笑する。


「そういや、竜って名前つけないの?」


 カガミは銀竜に問う。

 カガミが普段口にしている“ギン”というのは、幼い頃から勝手に呼んでいる名前だ。


「竜にも名はある。が、竜というのは魔法生物のひとつだ。魔力の高い者に名を呼ばれれば、意のままに操られてしまうこともある」

「竜でも?」

「竜であってもだ。だから私たちは、巣立ちの前に自分で真名以外の名乗りを決める」

「ギンも?」

「私もだ。もっとも、お前の呼ぶそれが、私の名乗りのようなものだがな」


 それを聞いて、カガミはにかっと歯を見せて笑ったのだった。



「元気でねー!」


 土の竜に数日遅れて、蒼の翼竜も独り立ちをした。

 遠ざかる背中に、カガミは大きく手を振る。

 カガミは齢二十になっていた。


「寂しくなっちゃったねー」

「そう言うな。気持ちはわかるが、これは喜ばしいことだ」


 銀竜が応える。


「カガミ、お前はどうする?」

「どうするって。あたしはここにいるよ。ギンの子育てを手伝うつもりでいるんだけど?」


 手を頭の後ろで組みながら、カガミは銀竜の足元を見る。

 そこには、カガミの腰までの高さの卵たちがあった。最近銀竜がつがい、産み落としたものだ。


「“半端もん”のあたしにゃ、お相手もいないしね。なんともなけりゃ、しばらくこのままいるよ。ね、親友?」


 カガミは悪戯っぽく片目を閉じる。

 銀竜とカガミは笑い合った。



 それから何度か、銀竜は子をした。

 一頭とひとりで獲物を狩って運び、ある程度成長したら狩りを教え、名を与え。

 子らは自分の名乗りを決め、巣立つ。

 そのまま、一頭とひとりの日々は続くと思われた。



「狩りに出てくる」


 ふたつの卵を残し、銀竜は自身の魔力を蓄えるため、魔獣を狩りに出かけた。

 竜は魔法生物だ。魔力はその存在を維持するために必要不可欠で、そのため、時折魔獣などの魔力を持つ獲物を狩らなければならない。

 銀竜が魔獣以外に魔力の拠り所としているのは霧だが、ここのところ快晴が続いていたし、子育てのためにどの道食事が必要だった。


 一日が過ぎ、三日が過ぎた。

 銀竜はまだ帰らない。

 この霊峰は長く高く、魔獣も多いのだが分布範囲も広い。そのため、魔獣の狩りは数日がかりになることが普通だった。


 さらに三日経ち、一週間経った。

 銀竜はまだ、戻らない。


「どうしちゃったのさ、ギン」


 親が不在の卵を世話しつつ、カガミはこぼす。

 ふたつの卵の内、ひとつはそろそろ孵りそうだというのに。

 暇にあかして、銀竜の尾を模したものまで作ってしまった。銀竜の鱗のかけらを貼りつけたそれは、腰に下げれば、カガミが体内に貯め込んだ魔力を通して自在に動かすことができる。


「じっとしてても仕方ないか」


 カガミは腰を上げ、山の中へ入っていった。



 角兎を狩って戻ってみると、まさに今、ひとつの卵が孵ろうとしているところだった。

 ひびが大きくなり、殻に穴が開いて姿を見せたのは、


「ちっちゃ!」


 子猫ほどの大きさしかない、黄玉おうぎょく色の竜だった。

 おそらく妖精竜というものだろう。背中の小さな翼をぱたぱたと動かし、不思議そうにカガミを見ている。


「ははうえ……?」


 カガミは一瞬言葉に詰まったあと、


「そう、あたしがあんたのかーさんだ。まずはこれを食べな」


 角兎を適当な大きさに裂いて鼻先に持っていってやると、小さな妖精竜はぱくりと食いついた。

 カガミの顔に自然と笑みが浮かび、


「あんたのきょうだいもじきに生まれるだろうから、いっちょ魔力の多い獲物でも狩ってくるかね!」


 腰に付けた銀の尾が、カガミの気合いを感じ取ったかのように、力強く地面を打つ。



 とびきりの魔獣を狩って戻る頃には、もうひとつの卵から、カガミより少し小さいくらいの火竜が生まれていた。

◆かみさま


 カナリヤたちを見送り、カガミはシラユキと数日過ごした後、狩りをするために霧深い霊峰を縦横無尽に進んでいた。

 両腕を覆う鱗の本来の主は霧を操る銀竜で、霧の中にいれば狩りなどする必要もなかったが。“半端者”であるカガミはそうもいかない。

 あちこちを疾風はやてのように移動していると、いつの間にか見慣れた場所に来ていた。


 銀竜と初めて会った、山深い中にある開けた場所。


 銀竜の本来の巣である急峻な岩肌へと移動して以来、数えるほどしか訪れていなかった。

 あれから三百年以上経ったというのに、植生も含めてほとんど変わりがない。


「ギンのやつ、どうしちゃったんだろうねー」


 カガミは呟きながら頭をかく。

 口ではそう言っても、薄々わかってはいるのだ。竜とて生き物、いつかはその時が来るだろうことなど。

 ふっとひとつ息を吐き、カガミは霧に覆われた空を見上げる。そしてふと違和感を覚えた。


 霧はこんなに濃かっただろうか。


「ちょっとちょっと。かみさまにでもなっちゃったの?」


 言葉とは裏腹に、カガミは満面の笑みを浮かべながら、上空から近づいてくる影を出迎えた。

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